表面張力
「表面張力、ですか?」
続けられた話はわけがわからない。
「そう、表面張力。知ってる?」
知ってるか知っていないかと問われれば、それはもちろん知っている。
臨也が今から何を言おうとしているのかはまるで予想はつかないが。
ちょっと待っててね。と言って臨也は立ってキッチンへと向かった。
カチャカチャという食器の音と水が流れる音がする。
お待たせ、といって水の入ったコップを2つ持って帰ってきた。
表面張力を実際に見せるつもりなのだろうか。
ひとつのコップを前に出される。
「この水が俺の帝人君への気持ちだとするね。こんな風に一瞬一瞬多くなっていってる。」
もうひとつのコップに入れていた水を足していく。
「これは、俺が好きだって言うのを我慢してる状況。我慢できる量がコップの容量だよ。結構大きいでしょ?俺の器」
「自分で自分の器が大きいって言う人に本当に器が大きい人は居ないと思いますよ」
おやおや、辛辣だね。と言いながら臨也はコップに水を注ぐ手を止める。
「ほら、見て。」
コップには水が満たされていて、今にも溢れそうになっている。
「これは俺が我慢してる状況。今の状況もこれと似たり寄ったりかな」
「そうなんですか」
少年はコップの表面でぷっくりとしている水を手で触れた。
水は溢れてコップの側面を伝う。静かに穏やかに。
「あーあ。溢れちゃった。俺が説明してる途中なのに。触れてみたくなっちゃったんだ?さっすが帝人君。好きだなぁ、その感性。やっぱり帝人君愛してるよ」
「臨也さんは本当に我慢しているんですか?」
先程も愛してると言ったはずなのにまた愛してると言った臨也に帝人は問う。
「やだなぁ、してるってば。さっきも言ったじゃないか。我慢しなければ語尾にずっと愛してるって言っても足りないくらいだよ?」
「それは嫌なのでやめてください」
「うん。我慢してるよ。我慢してるんだけど、帝人君が俺の感情に刺激を与えるから好きって感情が溢れて伝えちゃったんだ。
さっき帝人君が水に触れて溢れさせちゃったみたいにさ。愛してるって言葉で伝えただけだからまだまだ満タンだねぇ、また我慢しなくちゃ。」
臨也はそう言いながら今度はさっきまでと逆のコップに水を注いでいる。
「帝人君と話していて好きだって気持ちが増えるのはこのくらいの速さだとする」
コポコポ、とあまり角度をつけずに水は注がれる。
「でも、帝人君が俺の琴線に触れるような行動を取るとする。さっきみたいに水に触れちゃうとか。そうすると、速さが変化する。」
コップを傾ける角度を変えられた水の勢いは変化する。
「さっきまであったたくさんの余裕が少なくなる。」
帝人は立ち上がり、キッチンに入った。
帝人が布巾を持って戻ってきた時には臨也は傾けたコップを戻すことなく、そのまま水を溢れさせていた。
持ってきたばかりの布巾で零れた水を帝人は拭いていく。
「この水は俺の帝人君への愛だって言ってるのに、淡々としてるなぁ」
「ただの比喩じゃないですか。」
「あー、もう。俺の説明をまともに聞かないし、聞いてる部分も軽く聞き流して。本当に好きだなぁ。帝人君」
「また言った」
「帝人君が俺を刺激することを言うからだよ。そうなると我慢がきかなくなる。俺の我慢は表面張力のように弱いんだから。」
「我慢弱いんじゃないですか」
呆れたように帝人が言うと、にやりとした笑みを浮かべて臨也は答えた。
「我慢してるとは言ったけど、我慢強いとは言ってないじゃないか」
いっそ清々しいほどの臨也の声だった。
「それに、知ってる?帝人君。表面張力の強さって液体の温度によって変わるんだよ。
温度が高いと表面張力は弱くなるんだ。だから、俺の帝人君への気持ちが熱くなれば熱くなるほど我慢弱くなるんだよ。真理だね」
「それが真理と言い切ってしまうんですか」
帝人は溜息を吐いてコップを持ち上げてコップの下の水を拭く。
「うん。言い切るよ。ダメ?」
「ダメだって言い切ったら自分の意見を曲げるんですか?臨也さんらしくもない」
「さすが帝人君。俺のことわかってるね。やっぱり大好き。」
青年は少年を抱きしめて床に押し倒してキスをした。
少年が手にしていたコップから水は当たり前のように全て床に零れた。
青年は水に濡れた床を気にしていない。
帝人はキッチンに行っていてその場面は見ていなかったけれど、きっと臨也は注ぐ水の勢いを変えないままで水を溢れさせたんだろう。
水が表面張力でコップから零れるのを耐えていた時とは違って表面張力が作用する暇もないくらいな勢いで。
そして、その勢いのように愛を帝人に伝えたら今の状況のようになるということなのだろう。
少年は水が零れる様子を見て、まだ溢れる状況じゃなかった水がコップを真っ逆さまにされて落ちていく様子を見て考えていた。
臨也の愛が止め処なく増えて溢れる物だとしたら、自分の愛はこの水のようだと。
愛を告げることに対しての我慢など知らない。しているつもりもない。
けれど、愛は確かに心の中にある。
告げようとする気も確かにある。
けれど、告げるきっかけは外力に左右される。
そして、そのきっかけを作るのはその愛の相手にほかならない。
臨也の手によって零された水のような自分の愛は今、どのくらいの量なのだろうか。
きっと臨也に好きだと愛してると言われる度に増えているだろう愛の量。
そんなことを考えながら、キスを貪ってくる臨也の髪を撫でた。
表面張力のような我慢
それは弱くて脆い
もっと頑丈で我慢強かったらきっと帝人は臨也をここまで好きになっていなかった
愛を惜しみなく囁く臨也だからここまで好きになった
好きだと言うなと言うけれど、本当に好きだと言わなくなることなどないと帝人は信じきってそれを言う
帝人は臨也の我慢弱さを好ましく思う
そんな人で良かったと嬉しく思う
もっと愛を告げて
弱い弱い我慢の塞き止めを壊していつでも愛を告げて
心の中だけで願うのは恋人の愛の言葉