約束していた正しい関係
夜の学校なんてものに、イイ思い出は無い。
そんなことを思いながらも、自分は屋上に続く階段を登っていた。
明かりなど無い校舎の光源といえば、各所に設置された非常灯の緑と窓から見える満月の光。
夜目が効く方で良かった、などと思いながら、辿り着いた先の扉を開く。
ギィ……
何年も手入れなどしていないのだろう、思ったより夜に音を響かせた扉の向こう。
大きすぎる月を背に佇む人影が、こちらを振り返った。
「――よォ、いい夜だねぇ」
シニカルな笑みを浮かべた男は、軽い調子で声をかけてくる。
「ああ、そしてそっちはイイご身分だな」
応える自分の顔にも、きっと同じような笑みが浮かんでいるのだろう。
「まったく、珍しく呼びつけたかと思えばこんなところか。
迷子を探す羊飼いでもあるまいに、よくもまあ遠出をしたものだ」
「ハ、羊飼いは探す相手を間違えてるんだよ。
行方知れずの迷子より、吼える狼を捕まえる方が効率的ってな」
「そうして羊飼いと狼は共犯になると?」
「言うこと聞かない羊には、丁度いい重石だろ?
『お兄ちゃん』の言うことを聞かない弟への牽制にもなるし、な」
「死子の齢を数えて年上だと偉ぶるのは本末転倒と言わないか」
「その理屈で言うと、オレら二人とも死んでるって。なァ、『七夜志貴』くんよ」
「確かにな、『四季お兄ちゃん』」
益体も無い会話を交わしながら、互いの吐息すら感じ取れる距離まで近付いて。
「――逢えて嬉しいぜ、兄弟」
「あァ――同感だ」
キィン――
響き渡るのは、金属と何か硬いものが接触する甲高い音。
死角から伸ばしたはずのナイフは、いつの間にかぱっくりと開いていた傷口から流れ、硬化した血液に弾かれる。
「さぁ――殺し合おう」
感じるのは、ただただ途方もない幸福。
ここにいるのは、一度殺し損ねた、愛しい愛しい『バケモノ』だ。
七夜志貴に用意された最高の獲物が、誰に横取りされる懸念も無く、ここにいる。
――ああ、ああ――今度こそ、彼を“殺せる”なんて――!!
どんな相手を殺せるとしても、感じる事の無かっただろう興奮。
背筋に走る快感という名の電流は、そのまま全身を甘く支配する。
――喜びもそのままに、白い夏の夜、最初の宴は幕を開けた。
一投、二投、三投――!
フェンス際を駆けながら、投擲される深紅の刃。
弾き、かわし、時には殺しながら、その全てを捌く。
どれほどの攻防を繰り返したか、既に三十を数えたというのに、相手の武器は尽きる様子を見せない。
だが、それも当然。
遠野四季、かの鬼種の武器は――。
「効率無視だな。大盤振る舞いにも程がある。
貧血で倒れても面倒は見んぞ?」
「ハッ、こちとら生憎タチの悪いのに絡まれたお陰で主食変更、ギョーザも食えない偏食家にされてんだ。
精々活用させてもらわないと、なっ!」
開いた傷口から惜しげもなく流れる血が、形を変える。
続け様に投げつけられる刃は針のように細く、容赦なく。
「質より量か――」
流石にその数全てを払うことなど叶わない。
――だが、果たして全てをどうにかする必要があるのか?
「……ぬるい」
腰を落とす。
低く。
地面に付きそうなほどに深く曲げられた足は、あたかも発条(ばね)のよう。
撓められた枝の如くしなり、地面を蹴る反動を以って、この身体は弾けるように四季へと向かう。
数が多いのであれば、攻撃を受ける面を絞ればいいだけの話だ。
身体そのものを針としたかのように真っ直ぐに飛ぶ、身体。
降り注ぐ大多数は己の横を通り過ぎ、地面に刺さってはぴちゃり、と液体に戻る。
狙うは鬼の懐、第二陣が来る前にバラいてやろうか、と考えて。
「ハ、浅いんだよ、読みが――!」
眼前に展開する、赤。
「――っ!」
咄嗟、右足で地面を踏みしめる。
前へと進もうとしていた身体は、慣性に従う。
強いGを受けながら、それでも身体が前に進むことを許さない。
前に向かっていた身体を無理矢理方今転換させ、改めて距離を開けた自分の視界には、四季を取り巻く赤い檻が見えた。
遠野秋葉の檻髪、ではない。
それは、血の揺り籠。
「チ、惜しい……」
残念そうに舌打ちする四季を囲う、万能な防御だ。
「……全く、上手くないな。
盾、刀、飛び道具、壁。
その節操の無さはどうにかならないのか」
「バカ言うな、液体に決まった形なんかあるわけないだろ?
器次第で、どんな形にでもなる――そんな当然のことに、文句なんか言われても困る」
遠野四季の鬼種としての能力の一つは、血液の硬質化。
それはつまり――血を流せば流すほど、テリトリーは広がる、ということ。
「やれやれ、今夜は本当にバケモノ揃いだな」
「バケモノ筆頭がどのツラ下げてそんなこと言うのかね。あのタイミングで無傷って、ぶっちゃけアリエネェ」
「いや、七夜はあくまで人――混ざり物ナシで、オマエたちを殺す為の殺人者さ。
そう、言っただろう?」
「――ああ、言ったな。
良く覚えてるぜ、勿論……っ!」
笑みと共に返した台詞と同時、ワンアクションで跳躍した四季は、先程よりも大きく開いた傷口を見えるようにコチラへと翳す。
「穢れよ、大地……!」
言葉と共に溢れ出し、形を成す血。
そして自分を中心に据えた血刃の扇。
……躱しきれない。
だからと言って、この刃を身に喰らえば肉すら抉れる。
ならば。
――七夜の短刀を、構える。
降り注ぐは幾多の血。
視認出来る数の、凶器。
逃げ場が無いというのならば――。
ズキリ、と、鈍い頭痛がする。
だがそんな泣き言など口にも出来ぬ。
出来るはただ、《殺す》こと、のみ。
「斬刑に処す――」
一閃、二閃、三閃、四閃――更に早く、早く。
書かれた線はキリトリセン。
辿るだけで死んでしまう、命のキリトリセンだ。
キン――
キリトリセンを切り取られた血刃は、その時点で液体に戻ってピチャリ、と地面に落ちた。
まるで血溜まりの中に立っているような、錯覚。
――いや、事実血溜まりか。
「っ、の……っ!?」
空中から追撃をかけようとしていた四季が、顔を引き攣らせるのが分かる。
俺を串刺しにするはずだった血刃は、全て俺に殺されたからだ。
狙いが外れた四季は、しかし攻撃を止められない。
自棄になったかのように、長い爪が闇雲なまでに真っ直ぐに伸ばされ。
「――蹴り」
敢えて完全には避けず。右肩を抉られながらも身を捻り、上体を倒す。
斜め上、四季を目掛けて繰り出された、蹴り。
靴裏が、真っ直ぐに伸びきった腕を下から蹴り崩し。
「穿つ――!」
爪先に鳩尾を抉られた四季は――フェンスまで、吹っ飛んだ。
そんなことを思いながらも、自分は屋上に続く階段を登っていた。
明かりなど無い校舎の光源といえば、各所に設置された非常灯の緑と窓から見える満月の光。
夜目が効く方で良かった、などと思いながら、辿り着いた先の扉を開く。
ギィ……
何年も手入れなどしていないのだろう、思ったより夜に音を響かせた扉の向こう。
大きすぎる月を背に佇む人影が、こちらを振り返った。
「――よォ、いい夜だねぇ」
シニカルな笑みを浮かべた男は、軽い調子で声をかけてくる。
「ああ、そしてそっちはイイご身分だな」
応える自分の顔にも、きっと同じような笑みが浮かんでいるのだろう。
「まったく、珍しく呼びつけたかと思えばこんなところか。
迷子を探す羊飼いでもあるまいに、よくもまあ遠出をしたものだ」
「ハ、羊飼いは探す相手を間違えてるんだよ。
行方知れずの迷子より、吼える狼を捕まえる方が効率的ってな」
「そうして羊飼いと狼は共犯になると?」
「言うこと聞かない羊には、丁度いい重石だろ?
『お兄ちゃん』の言うことを聞かない弟への牽制にもなるし、な」
「死子の齢を数えて年上だと偉ぶるのは本末転倒と言わないか」
「その理屈で言うと、オレら二人とも死んでるって。なァ、『七夜志貴』くんよ」
「確かにな、『四季お兄ちゃん』」
益体も無い会話を交わしながら、互いの吐息すら感じ取れる距離まで近付いて。
「――逢えて嬉しいぜ、兄弟」
「あァ――同感だ」
キィン――
響き渡るのは、金属と何か硬いものが接触する甲高い音。
死角から伸ばしたはずのナイフは、いつの間にかぱっくりと開いていた傷口から流れ、硬化した血液に弾かれる。
「さぁ――殺し合おう」
感じるのは、ただただ途方もない幸福。
ここにいるのは、一度殺し損ねた、愛しい愛しい『バケモノ』だ。
七夜志貴に用意された最高の獲物が、誰に横取りされる懸念も無く、ここにいる。
――ああ、ああ――今度こそ、彼を“殺せる”なんて――!!
どんな相手を殺せるとしても、感じる事の無かっただろう興奮。
背筋に走る快感という名の電流は、そのまま全身を甘く支配する。
――喜びもそのままに、白い夏の夜、最初の宴は幕を開けた。
一投、二投、三投――!
フェンス際を駆けながら、投擲される深紅の刃。
弾き、かわし、時には殺しながら、その全てを捌く。
どれほどの攻防を繰り返したか、既に三十を数えたというのに、相手の武器は尽きる様子を見せない。
だが、それも当然。
遠野四季、かの鬼種の武器は――。
「効率無視だな。大盤振る舞いにも程がある。
貧血で倒れても面倒は見んぞ?」
「ハッ、こちとら生憎タチの悪いのに絡まれたお陰で主食変更、ギョーザも食えない偏食家にされてんだ。
精々活用させてもらわないと、なっ!」
開いた傷口から惜しげもなく流れる血が、形を変える。
続け様に投げつけられる刃は針のように細く、容赦なく。
「質より量か――」
流石にその数全てを払うことなど叶わない。
――だが、果たして全てをどうにかする必要があるのか?
「……ぬるい」
腰を落とす。
低く。
地面に付きそうなほどに深く曲げられた足は、あたかも発条(ばね)のよう。
撓められた枝の如くしなり、地面を蹴る反動を以って、この身体は弾けるように四季へと向かう。
数が多いのであれば、攻撃を受ける面を絞ればいいだけの話だ。
身体そのものを針としたかのように真っ直ぐに飛ぶ、身体。
降り注ぐ大多数は己の横を通り過ぎ、地面に刺さってはぴちゃり、と液体に戻る。
狙うは鬼の懐、第二陣が来る前にバラいてやろうか、と考えて。
「ハ、浅いんだよ、読みが――!」
眼前に展開する、赤。
「――っ!」
咄嗟、右足で地面を踏みしめる。
前へと進もうとしていた身体は、慣性に従う。
強いGを受けながら、それでも身体が前に進むことを許さない。
前に向かっていた身体を無理矢理方今転換させ、改めて距離を開けた自分の視界には、四季を取り巻く赤い檻が見えた。
遠野秋葉の檻髪、ではない。
それは、血の揺り籠。
「チ、惜しい……」
残念そうに舌打ちする四季を囲う、万能な防御だ。
「……全く、上手くないな。
盾、刀、飛び道具、壁。
その節操の無さはどうにかならないのか」
「バカ言うな、液体に決まった形なんかあるわけないだろ?
器次第で、どんな形にでもなる――そんな当然のことに、文句なんか言われても困る」
遠野四季の鬼種としての能力の一つは、血液の硬質化。
それはつまり――血を流せば流すほど、テリトリーは広がる、ということ。
「やれやれ、今夜は本当にバケモノ揃いだな」
「バケモノ筆頭がどのツラ下げてそんなこと言うのかね。あのタイミングで無傷って、ぶっちゃけアリエネェ」
「いや、七夜はあくまで人――混ざり物ナシで、オマエたちを殺す為の殺人者さ。
そう、言っただろう?」
「――ああ、言ったな。
良く覚えてるぜ、勿論……っ!」
笑みと共に返した台詞と同時、ワンアクションで跳躍した四季は、先程よりも大きく開いた傷口を見えるようにコチラへと翳す。
「穢れよ、大地……!」
言葉と共に溢れ出し、形を成す血。
そして自分を中心に据えた血刃の扇。
……躱しきれない。
だからと言って、この刃を身に喰らえば肉すら抉れる。
ならば。
――七夜の短刀を、構える。
降り注ぐは幾多の血。
視認出来る数の、凶器。
逃げ場が無いというのならば――。
ズキリ、と、鈍い頭痛がする。
だがそんな泣き言など口にも出来ぬ。
出来るはただ、《殺す》こと、のみ。
「斬刑に処す――」
一閃、二閃、三閃、四閃――更に早く、早く。
書かれた線はキリトリセン。
辿るだけで死んでしまう、命のキリトリセンだ。
キン――
キリトリセンを切り取られた血刃は、その時点で液体に戻ってピチャリ、と地面に落ちた。
まるで血溜まりの中に立っているような、錯覚。
――いや、事実血溜まりか。
「っ、の……っ!?」
空中から追撃をかけようとしていた四季が、顔を引き攣らせるのが分かる。
俺を串刺しにするはずだった血刃は、全て俺に殺されたからだ。
狙いが外れた四季は、しかし攻撃を止められない。
自棄になったかのように、長い爪が闇雲なまでに真っ直ぐに伸ばされ。
「――蹴り」
敢えて完全には避けず。右肩を抉られながらも身を捻り、上体を倒す。
斜め上、四季を目掛けて繰り出された、蹴り。
靴裏が、真っ直ぐに伸びきった腕を下から蹴り崩し。
「穿つ――!」
爪先に鳩尾を抉られた四季は――フェンスまで、吹っ飛んだ。
作品名:約束していた正しい関係 作家名:羽柴清香