【APH】ゆめにおちる【独普】
イタリアが膝に頬を乗せ、瞳を潤ませて日本を見ていた。そんな彼の頭を撫でて、きゅっと優しく抱き締めてやる。その体温は、ひどく低く感じた。
「……いた、りあ?」
声がした。
日本とイタリアが弾かれたように頭上を仰げば、そこには虚ろな瞳ドイツが立っていた。久々に聞く彼の声はしわがれていて、表情も疲れきっている。
けれどその口元だけは、歪な笑みを浮かべていた。ぞっとするほど、空っぽな笑顔。
「ドイツ――?」
イタリアが怯えたように名前を呼んで、ゆっくりと立ち上がる。日本も同じように立ち上がり、ドイツを見上げた。
するとドイツはことんと首を傾げる。その目は先程とは対照的に何故か妙に晴れやかで、まるで何事もなかったかのようだった。そのあまりの差にぞっとするものを覚え、日本は自分の腕を掴む。
「ドイツ? ……何を言っているんだ。俺は国家ではないぞ?」
「――え?」
ドイツの思わぬ発言にイタリアが声を上げる。日本も目を瞠った。けれどドイツは先程の発言を訂正しようともせず、そんな二人の反応が逆に不思議だとでも言いたげである。
不意に、イタリアが乾いた笑みを零した。ドイツのシャツに縋りついて、茶色の瞳を揺らす。
「何言ってんの、ドイツ。ドイツは、ドイツ、でしょ? ずっと俺たちと一緒にいた……ドイツ」
自分自身にそうなのだと言い聞かせるように繰り返すイタリアとドイツを交互に見て、日本も深く頷く。しかしドイツは頭を振り続けた。
「いや――俺は国家ではないぞ。お前こそ何を言っているんだ」
当たり前のような反応に、イタリアは言葉を失った。力を無くして膝からくずおれそうになるイタリアを支え、日本はドイツを見上げる。
「日本?」
呼ぶ声は以前と何も変わらないのに、そこには何か、距離感があるように感じた。日本は意を決して口を開く。
「……ドイツさん、覚えていらっしゃらないのですか? ……ドイツさんは、貴方は国家で、……貴方以外に、ドイツと言う国家は存在しないのですよ」
傷を抉ってしまうことになるかもしれないと分かってはいるが、その現実をドイツに突きつけるしか出来ない。一体何が起こっているのかも理解出来ていないのだ。一体どうして、ドイツが自分はドイツではないと言うのか。プロイセンの消失以上に理由が分からない。
日本の瞳をじっと見て、ドイツは静かに部屋の中を指す。
「ドイツはあそこにいるぞ?」
「え?」
「まだ幼いが、あいつだって立派な国家だろう」
先に視線を動かしたのは、イタリアだった。茶色い瞳が驚愕に見開かれ、あ、と掠れた声が漏れる。日本も部屋の中を見て、絶句する。
そこに――先程までドイツが眠っていたはずのベッドにいたのは、まだ10歳ほどの幼い少年だった。
白い肌。銀の髪。開かれた瞼の奥には――緋色の、瞳。
その少年は、まさしくプロイセンの生き写しだった。
イタリアが這うように部屋の中に入って行き、少年の傍で「どうして」と呆然と呟く。少年はドイツと同じように首を傾げて、どうしたんだイタリアと問いかけた。まだ未発達な声帯の紡ぐ声は歳相応に幼い。
このまま育ったら、間違いなくイタリアや日本がよく知るプロイセンそのままに育つのだろう少年。
日本はろくに言うことを聞かない脚で立ち上がり、ドイツの服を掴む。
「…………でしたらドイツさん、今の貴方は、一体何なんですか?」
ドイツはその問いかけに迷うこともなく答える。
「今の――と言うのはよく分からないが、俺はただの記録係、観測者だろう? お前たち国家を、忘れてしまわないための記録だ」
「観測、者? きろく?」
「死ねないだけのただの人間だよ。お前たち国家が、人に忘れられることで存在意義を失くしてしまわないよう、お前たちをずっと覚えている存在だ」
「――そんな、やくめ」
今まで聞いたこともなかった。そもそも死ねないと言う時点でそれは人間ではない。けれどドイツは自分を確かに人間なのだと言い切った。国家ではないのだ、と。
そうしてその存在理由は――国家を、忘れてしまわないためだと。
「(プロイセンさんが消えた理由を、分かっていて?)」
日本は指から力が抜けていくのを自覚しながら、イタリアと向かい合っている少年を見る。ドイツはあの無垢な表情の少年を、本当のドイツなのだと言った。
「(ドイツさんがあの子を、生み出した?)」
分からないことだらけだ。
国家が国家であると言う運命から逃れられるなんてことも、国家が国家を生み出すなんてことも聞いたことがない。観測者と言う役割を負った人間の存在も、日本もイタリアも知らなかった。否、きっと誰一人として知らないだろう。
ドイツが自分を守るために。一度は消えてしまった兄をもう一度生かすために、そう在ろうと決めた、架空でしかない存在なのだから。
恐らく本当に、今のドイツは国家と言う存在ではない。国家同士で繋がる部分と言うものを、今の彼との間には感じられなかった。先程感じた妙な距離感はその所為だったのだ。
運命を捻じ曲げ、自分の記憶や存在全てを改竄してまで、ドイツは兄を生かしたいと願った。
きっと心はとうに崩壊して、倒錯的な感情に支配されて。
プロイセンのことを忘れ、プロイセンに良く似た子供を新しくドイツとして生み出した。その存在も最早、正常なものとは言えない。
何が間違いで何が正常か。もう、分からない。
「あ、貴方は――っ!」
「なぁ!」
日本は声を絞り出したが、元気な子供の声に遮られる。見れば、少年がドイツの方に走り寄って男らしい厚い掌をきゅっと握った。
「腹減った。何か作ってくれ、ルッツ」
無邪気な笑顔で紡がれた言葉。
子供はドイツのことを、ヴェストではなく、ルッツと呼んだ。間違いなく。
「――ルートヴィッヒ、さん?」
日本が確認するように震える声で言えば、ドイツは子供を抱き上げながら表情を柔らかなものにする。
「何だ。忘れていたのか?」
ドイツは――否、ルートヴィッヒは子供の髪を撫でて愛しそうにその頬にキスをして、甘く笑った。
それは既に壊れてしまった、目の前の幸福に酔っている、笑み。
日本は悪寒が背筋を這い上がるのを感じながら、最期に一つだけ、と囁いた。
「その子の、名前は」
「うん? あぁ――」
知らなかったか、とルートヴィッヒは何の疑いもなく、その響きを舌に載せた。
「ギルベルトだ。ギルベルト・バイルシュミット」
幸せそうにその名前を告げる彼に、日本は何も言えなかった。
ベッドに座り込んだままで、イタリアは声も上げずに涙を零し続けていた。
「どうして――」
そこは、楽園。
二人きりの楽園。
新たな役目を自らに科し、それまでの全てを忘れ、放棄してまで愛した兄と共にまた過ごしていきたいと願った彼の、楽園。
そうしてきっと彼は兄に似た少年を愛し、またあの日を迎えるのだろう。その次の日も、確実に愛する人が消えることなく存在している未来を自ら作り上げて。
甘美な夢はきっともう終わらない。夢だと知っても終わらない。
他の全てを巻き込んで、狂って壊れて、砕け散り。
もう二度と喪わない。
終わらない。
終われない。
作品名:【APH】ゆめにおちる【独普】 作家名:三月