milky way
オレ達の関係をカミングアウトした時、中距離恋愛と評したのは泉だったか巣山だったか。
西広は週末婚って笑っていたっけ。
卒業してから八年が過ぎても、オレ達はまだ一緒にいる。
社会人になって五年目になり、休みの過ごし方もだいぶ上手くなったもんだと最近しみじみ思う。
小学校教諭になり立ての頃は押し付けられた雑務をこなすのに精一杯で、休日は授業の準備に追われていた。阿部とのんびり過ごせる時間など長期休暇ぐらいにしか取れなかったにも拘わらず、文句一つ言わずにただひたすら待っていてくれた事は今でも申し訳無く思うし、感謝もしている。
高速を降り、一般道に入っても一度出してしまったスピードはなかなか落とせず、前を走る車との車間距離がすぐに詰まってしまう。安全運転がモットーの阿部が助手席にいたら怒鳴られる所だ。赤信号で止まった隙に携帯を開き、これもきっと怒られるなと苦笑しつつ『もうすぐ着く』とだけメールを打って送信した。
大学を卒業し、地元で教員になったオレから遅れる事二年、大学院へ進学した阿部は大手メーカーに就職し、埼玉から車で二時間の所にある会社の寮で一人暮らしをしている。
てっきり阿部は実家で父親に付いて仕事を教わるものだと思っていたので、内定もらったぞ、と報告を受けた時は正直驚いたし、物理的な距離が離れてしまう事に寂しさと不安を感じて手放しで祝ってやる事も出来なかった。そんなオレに、社会勉強をしてゆくゆくは弟と二人で家業を継ぐつもりだから帰ってくるまで待ってろ、と言った、妙に偉そうな阿部の姿を思い出して思わず笑ってしまう。対向車の人に見られて無ければいいんだけど。
駅前にある二十四時間営業のスーパーに寄り、五百ミリリットルの缶ビール六本セットとつまみを適当にカゴへ放り込んだ。二人で食事を用意する時は、メニューの選択権はオレにある。理由は阿部より好き嫌いが多いから、ただそれだけ。
そこから車を五分程走らせると、阿部が住むマンションに到着する。駐車場に車を停め、管理人室でルームナンバーを告げて事前に阿部が申請しておいてくれた来客用の駐車許可証を受け取り、車に戻るとフロントガラスの内側から張り付けた。会社の寮とは言っても借り上げのワンルームマンションなので、気兼ね無く遊びに行けるのがありがたい。
阿部の部屋の前に着きインターフォンを押そうとした途端、開いてる、と声がして、ドアの横の窓から中を覗くと目の前に阿部の姿が見えた。
「ごめん、道路混んでて遅くなった」
「おお、とりあえず入れよ」
こちらを向きもせずにそう告げられ、それもそうだなとドアノブを回した。
「おかえり」
オレが遊びに行くと、阿部はいつもそう出迎えてくれる。
「だからいつも言ってるけどさー」
「うるせー。どう迎えようと、自分の家なんだからオレの自由だっていつも言ってるだろ」
眉間に皺を寄せながらそう言った阿部は、オレの手からスーパーのビニール袋を取り、中身を覗く。
「栄口、飯食ってきたのか?」
「うん。阿部は?」
「食堂で軽く。じゃあわざわざ作る事もねーな」
阿部はケースからビールを二本だけ取り出すと、それをビニール袋に入れて残りを冷蔵庫にしまい、プロ野球中継の流れるリビング兼寝室に入って行く。
「お邪魔しまーす」
阿部は嫌がるが、オレはこの台詞を言わずに他人の家に上がり込む事にどうしても抵抗があった。ここが阿部個人で借りている部屋ならまだしも、家賃のほとんどを会社が負担しているのだから尚更だ。かと言ってまた同じ遣り取りをするのも何なので、折衷案として阿部に聞こえないぐらい小さな声で呟き、ユニットバスに寄ってから阿部の待つ八畳間へ向かう。
袋の中身を全部テーブルに並べ、阿部は既にビールを飲んでいた。
「先に始めてるぞ」
「うん。今日勝ってる?」
「負けてる」
テレビに目をやると、高校時代のライバルがちょうどバッターボックスに入った所だった。座るのも忘れてその打席に見入ってしまう。阿部もアルミ缶を握り締めたまま、睨むように見詰めていた。
「……三振か」
「今シーズン、調子上がってこないね」
攻守交代となり、CMが流れてからようやく腰を下ろすと阿部にビールを手渡される。
「あんがと」
プルタブを開け、阿部が手にしている缶に軽くぶつけてみたが予想通り特に反応は無くて、でもそんな事が面白くて笑ってしまった。
「何だよ」
「何でもな……フッ……フフフフアハハハハ!」
「気持ちわりーなー」
「ごめ……アハハハ! と、止まらないー!」
一度ツボに入ってしまうとなかなか抜け出せず、ヒーヒー笑いながら腹を抱えているオレを阿部は怪訝な顔をして見ていたが、その内諦めたらしくまたテレビの方に向き直る。
一頻り笑い、落ち着きを取り戻すと今度は喉の乾きを覚え、ようやくビールに口を付けた。
「はー、旨い!」
「そりゃ良かったな」
溜息混じりの口調で吐き捨て、阿部がオレの頭を乱暴に撫でてくる。こういう時の阿部は機嫌が良いという事も、オレは知っていた。
オレ達の贔屓のチームは今日も負けて三連敗中だ。
「風呂、このまま洗っちゃっていい?」
「おー、頼む」
先にシャワーを浴びた阿部に、いつも通り声を掛ける。阿部が徹底してお客さん扱いをしないのに対して、オレのこの家での立ち振る舞いは曖昧だ。どこかで保険を掛けている事に後ろめたさもあるが、失った時の事を考えると、阿部のように真っ直ぐにはなれなかった。
手早く浴槽を磨き、シャワーで洗い流してタオルで水滴を拭き取る。今更遠慮も無く、下着だけで浴室を出ると阿部は洗濯機をセットしていた。
「これもよろしく」
洗濯物を放り込み、タイマーをセットして完了。
「寝るか」
「だね」
几帳面な阿部は、どんなに疲れていても一通り家事を片付けてからではないと眠らない。
それを知った時、阿部と結婚する人は大変だね、と何の気無しに口にしたら酷く傷ついた表情をされ、慌ててフォローをした事があった。阿部がそこまで本気でオレとの将来を考えていてくれる事が嬉しかった反面、ほんの少しだけ、怖くもなる。
人間なんて、いつ心変わりするかわからないのに。
オレの気持ちが他の人に向いてしまったら、阿部はどうなってしまうのだろうか。
一人暮らしには似つかわしくないサイズのベッドに二人で転がり、眠気が来るまでぼんやりと天井を眺める。
一緒に家具を選びに行った時、阿部は二人で寝る時にシングルだと疲れるから、とダブルベッドを購入しようとしていて、阿部の新生活に当たり前のようにオレの存在も組み込まれていた事に驚かされた。ただそれはさすがに部屋が狭いだろうと、阿部はともかく、オレはデカくなれなかったんだから大丈夫だとか何とか必死に説得して、それでもこれだけは譲れないと結局セミダブルが搬入されたのだが。
一歩引こうとしても、付き合いが長い分、物にも場所にもオレの身の回りのありとあらゆる事に阿部とのエピソードが纏わっていて、それを思い出す度に雁字搦めになってしまう。
阿部はこんな風に苦しくなる事は無いのだろうか。
「明日、どうする?」
オレの苦悶を知ってか知らずか、阿部がゴロリとこちらに寝返る。