兄弟ごっこ
「帝人君、兄弟欲しいんだって? 俺がお兄さんになってあげようか?」
あの人はそう言って笑った。いつもの、笑顔で、整った顔立ちとそれに比例する美しい声は、どこか冬の空を思わせる澄み切ってはいるが凍てついた声と表情。
僕はどう答えたのかをもう思い出せないでいる。
「あの……、臨也さん?」
「兄さんか、兄貴って呼んでくれないか? お兄ちゃんでもいいけど」
黒衣の青年はそう笑う。二人きりになったときの小さな小さな約束事だが、僕は守ったためしがない。どうしていいか判らないからだ。
僕には兄弟が居ない。だから、とても憧れていて、だからといっていきなり『兄』になってあげると言われても対処のしようがない。
そもそもとして、兄でいいのだろうか、いや僕は彼とどんな関係を望んでいるのだろうか、それすらも判らない。
小さな、小さな僕の部屋で、臨也さんはこたつに入りミカンを食べている。丁寧に、神経質そうに白い筋を一本、一本剥いでいく、細く長く器用な指先が少し黄色く染まっている。
「白いとこ苦手なんですか?」
「まあね、帝人君は?」
兄と呼べというわりには、僕に対しての呼称は帝人君のままだ。でも、弟らしい呼び方など浮かばないし、『帝人』って呼ばれるのはもっと恥ずかしい。
「好きじゃないですけど、めんどくさくて……」
「そうなんだ? 甘栗は好き?」
綺麗に向いたミカンの半分を僕にくれると、臨也さんは今度はがさがさと甘栗の袋を引き寄せた。
「好きですけど……」
「剥くのは嫌だと、俺の弟はめんどくさがり屋さんだね」
楽しげにぷちぷちと臨也さんは栗を剥いていく、形のよい爪を栗の腹に刺して、ぷくりぷくりと剥いていく。
硬い殻に包まれた飴色の栗の実が、コロコロとこたつの上に転がっていく。
「臨也さんは剥くのとか好きなんですか?」
「好きだよ? 蟹とかも好きだし、楽しいからね」
そう笑いながら臨也さんは栗を剥いていく、固い皮を剥いで、生身を晒して、露わにして…………
「でも一番好きなのは……」
こたつの中で臨也さんの足が僕の股間を触っている。
「ここの皮を剥くことかな?」
「皮なんか被ってません」
そう言い切れば、笑いながら臨也さんは続ける。もちろん、足も元気だ。
「自分が被っているからって、僕まで巻き込まないでください」
そう言って僕は臨也さんの足を身じろぎ交わせば、臨也さんは栗を剥いた指先をウエットティッシュで拭き始めた。
「酷いなぁ被ってなんかないよ。確認してみるかい?」
もぞもぞと臨也さんはこたつから出ようとしている。楽しげな笑顔が妙に腹立たしい。
「結構です。服脱ぐくらいならお茶煎れてきてくださいよ」
「帝人君のお願いでもそれは聞けないな」
そう言えば再びこたつの中に臨也さんは潜ってしまった。僕もこたつに入ると潜りっぱなしになるけど、臨也さんも同じ人種だ。いや、人間全てがそうなんだと思う。
このこたつも臨也さんが買ってくれた。というよりかは、自分が入りたいから持ってきたのだ。曰く、
『俺の部屋にはこたつないからね』
と言うことらしいが、靴のままで生活しているという室内にこたつは似合わないのだろう。
「あと服を剥くのも好きだよ。隠しているモノが暴かれるって良いと思わないかい?」
「思いませんよ。それとこれとは違うことですよ」
くすくすと笑いながら、臨也さんの手が近付いてくる。少しミカンの匂いがする甘い指先が、僕の服に掛かりボタンを探る。
「一枚、一本、丁寧に剥いていくのが、俺は好きなんだけどね」
「僕達兄弟じゃなかったんですか?」
兄弟ごっこと始めに言い出したの臨也さんの方だ。弟の服を性的な意味で脱がすのは、普通の兄弟とは言えない。
「そうだよ。だからさ、近親相姦しようよ」
そう笑うと、臨也さんは僕の引き寄せようとする。でも、こたつの脚がそれを阻んでいる。まるで堅牢な殻のようにこたつが僕の身を守ってくれている。ヤドカリみたいに体だけ出している僕達だけど今はその殻が、僕の身を悪いお兄さんから守ってくれている。
僕は逃げるように横を向いても、器用に脚を避けながら臨也さんはこちらに手を伸ばす。
「誘ってるのかい?」
意味が解らなかったけど、逃れるように背中を向けたその背後に重みを感じて、なおかつ温かい殻の中では臨也さんの何かが僕のお尻に触れている。
「違います」
「そうかな?」
今度は解る。手が、きっと少し黄色く染まった指先が僕のお尻を撫でている。
身を捩っても、耳元であの美しい声で囁かれるだけだ『誘っているの?』と。冷気を纏った冬の空のように澄み切った声に、僕の体は熱を取り戻すように火照っていく。
「帝人君……」
囁く冷気が僕に熱く、火を灯す。僕は片付けていないかった教科書を取るとそれを臨也さんに投げつけた。
「痛っ、酷いなぁ」
とは臨也さんは言うが、片手で教科書を抑えている。反射神経の良い人だから受け止めたのだろう。
「僕達兄弟なんですよね?」
「そうだよ」
「僕、兄弟喧嘩してみたかったんですよ」
ポイポイとまだ積んであった教科書や、置いてあった鞄を僕は臨也さんに投げていく。避けたり、受け止めたりしながら臨也さんは降参だと両手を挙げている。
「悪かったよ、帝人君」
「喧嘩中なので口は聞きません」
僕は頑なに突っぱねる。
「蜜柑剥いてあげるから、白いところ全部取ってあげるし」
「甘栗もみんな剥いてあげるよ?」
子供みたいに僕の期限を臨也さんは取ろうとする。大きな子供がいるみたいでどちらが兄だか判らない。
「お茶煎れてきてくれたら考えます」
「仕方ないな……」
ゆっくりと臨也さんはこたつから出ていく、あんなに出ることを拒んでいたのに、少しは喧嘩を堪えたのだろうかと思えば僕の背中が温かく重くなった。
「臨也さん?」
「兄弟ごっこ飽きたよ、帝人君」
子供みたいに臨也さんは言う。飽きるも何も始めたのは臨也さんで、実行しているのも臨也さんだけだ。僕は便乗しただけだし…………
ずっしりと重みが肩に掛かり、耳元をさらさらとした臨也さんの黒髪が擽っている。だらんと僕の前に垂らされた細くて長い腕がぶらぶらと揺れている。
「恋人ごっこしようよ」
僕は何も言わない、だって兄弟喧嘩はまだまだ続いている。
「帝人君、ミカンだよ」
剥きっぱなしのミカンを一房僕の口に臨也さんは運ぶ、薄皮に包まれたオレンジ色の果肉が、ゆっくりと僕の乾いた唇に押しつけられてつるりと口内に入っていく。
「甘栗だってあげるよ?」
甘酸っぱい果肉をゴクリと飲み込めば、今度は香ばしく甘い実が口許に押しつけられる。飴色をしたぎゅっと締まった実を迎えれば、ほくほくとした甘さが口いっぱいに広がっていく。
喉が渇く。
「お茶煎れてくるっていいましたよね?」
「煎れ来たら、帝人君恋人ごっこしてくれる?」
「考えておきます」
子供みたいに言う臨也さんにはいはいと堪えれば、絶対だよともっと子供らしい答えが返ってきた。
コトコトと音を立てながら用意されたお茶は、ふわふわと白い湯気を立てている。
「冷めるまで恋人ごっこしようよ」
相変わらず臨也さんは二人羽織みたいに、僕を背後から抱き締めている。
あの人はそう言って笑った。いつもの、笑顔で、整った顔立ちとそれに比例する美しい声は、どこか冬の空を思わせる澄み切ってはいるが凍てついた声と表情。
僕はどう答えたのかをもう思い出せないでいる。
「あの……、臨也さん?」
「兄さんか、兄貴って呼んでくれないか? お兄ちゃんでもいいけど」
黒衣の青年はそう笑う。二人きりになったときの小さな小さな約束事だが、僕は守ったためしがない。どうしていいか判らないからだ。
僕には兄弟が居ない。だから、とても憧れていて、だからといっていきなり『兄』になってあげると言われても対処のしようがない。
そもそもとして、兄でいいのだろうか、いや僕は彼とどんな関係を望んでいるのだろうか、それすらも判らない。
小さな、小さな僕の部屋で、臨也さんはこたつに入りミカンを食べている。丁寧に、神経質そうに白い筋を一本、一本剥いでいく、細く長く器用な指先が少し黄色く染まっている。
「白いとこ苦手なんですか?」
「まあね、帝人君は?」
兄と呼べというわりには、僕に対しての呼称は帝人君のままだ。でも、弟らしい呼び方など浮かばないし、『帝人』って呼ばれるのはもっと恥ずかしい。
「好きじゃないですけど、めんどくさくて……」
「そうなんだ? 甘栗は好き?」
綺麗に向いたミカンの半分を僕にくれると、臨也さんは今度はがさがさと甘栗の袋を引き寄せた。
「好きですけど……」
「剥くのは嫌だと、俺の弟はめんどくさがり屋さんだね」
楽しげにぷちぷちと臨也さんは栗を剥いていく、形のよい爪を栗の腹に刺して、ぷくりぷくりと剥いていく。
硬い殻に包まれた飴色の栗の実が、コロコロとこたつの上に転がっていく。
「臨也さんは剥くのとか好きなんですか?」
「好きだよ? 蟹とかも好きだし、楽しいからね」
そう笑いながら臨也さんは栗を剥いていく、固い皮を剥いで、生身を晒して、露わにして…………
「でも一番好きなのは……」
こたつの中で臨也さんの足が僕の股間を触っている。
「ここの皮を剥くことかな?」
「皮なんか被ってません」
そう言い切れば、笑いながら臨也さんは続ける。もちろん、足も元気だ。
「自分が被っているからって、僕まで巻き込まないでください」
そう言って僕は臨也さんの足を身じろぎ交わせば、臨也さんは栗を剥いた指先をウエットティッシュで拭き始めた。
「酷いなぁ被ってなんかないよ。確認してみるかい?」
もぞもぞと臨也さんはこたつから出ようとしている。楽しげな笑顔が妙に腹立たしい。
「結構です。服脱ぐくらいならお茶煎れてきてくださいよ」
「帝人君のお願いでもそれは聞けないな」
そう言えば再びこたつの中に臨也さんは潜ってしまった。僕もこたつに入ると潜りっぱなしになるけど、臨也さんも同じ人種だ。いや、人間全てがそうなんだと思う。
このこたつも臨也さんが買ってくれた。というよりかは、自分が入りたいから持ってきたのだ。曰く、
『俺の部屋にはこたつないからね』
と言うことらしいが、靴のままで生活しているという室内にこたつは似合わないのだろう。
「あと服を剥くのも好きだよ。隠しているモノが暴かれるって良いと思わないかい?」
「思いませんよ。それとこれとは違うことですよ」
くすくすと笑いながら、臨也さんの手が近付いてくる。少しミカンの匂いがする甘い指先が、僕の服に掛かりボタンを探る。
「一枚、一本、丁寧に剥いていくのが、俺は好きなんだけどね」
「僕達兄弟じゃなかったんですか?」
兄弟ごっこと始めに言い出したの臨也さんの方だ。弟の服を性的な意味で脱がすのは、普通の兄弟とは言えない。
「そうだよ。だからさ、近親相姦しようよ」
そう笑うと、臨也さんは僕の引き寄せようとする。でも、こたつの脚がそれを阻んでいる。まるで堅牢な殻のようにこたつが僕の身を守ってくれている。ヤドカリみたいに体だけ出している僕達だけど今はその殻が、僕の身を悪いお兄さんから守ってくれている。
僕は逃げるように横を向いても、器用に脚を避けながら臨也さんはこちらに手を伸ばす。
「誘ってるのかい?」
意味が解らなかったけど、逃れるように背中を向けたその背後に重みを感じて、なおかつ温かい殻の中では臨也さんの何かが僕のお尻に触れている。
「違います」
「そうかな?」
今度は解る。手が、きっと少し黄色く染まった指先が僕のお尻を撫でている。
身を捩っても、耳元であの美しい声で囁かれるだけだ『誘っているの?』と。冷気を纏った冬の空のように澄み切った声に、僕の体は熱を取り戻すように火照っていく。
「帝人君……」
囁く冷気が僕に熱く、火を灯す。僕は片付けていないかった教科書を取るとそれを臨也さんに投げつけた。
「痛っ、酷いなぁ」
とは臨也さんは言うが、片手で教科書を抑えている。反射神経の良い人だから受け止めたのだろう。
「僕達兄弟なんですよね?」
「そうだよ」
「僕、兄弟喧嘩してみたかったんですよ」
ポイポイとまだ積んであった教科書や、置いてあった鞄を僕は臨也さんに投げていく。避けたり、受け止めたりしながら臨也さんは降参だと両手を挙げている。
「悪かったよ、帝人君」
「喧嘩中なので口は聞きません」
僕は頑なに突っぱねる。
「蜜柑剥いてあげるから、白いところ全部取ってあげるし」
「甘栗もみんな剥いてあげるよ?」
子供みたいに僕の期限を臨也さんは取ろうとする。大きな子供がいるみたいでどちらが兄だか判らない。
「お茶煎れてきてくれたら考えます」
「仕方ないな……」
ゆっくりと臨也さんはこたつから出ていく、あんなに出ることを拒んでいたのに、少しは喧嘩を堪えたのだろうかと思えば僕の背中が温かく重くなった。
「臨也さん?」
「兄弟ごっこ飽きたよ、帝人君」
子供みたいに臨也さんは言う。飽きるも何も始めたのは臨也さんで、実行しているのも臨也さんだけだ。僕は便乗しただけだし…………
ずっしりと重みが肩に掛かり、耳元をさらさらとした臨也さんの黒髪が擽っている。だらんと僕の前に垂らされた細くて長い腕がぶらぶらと揺れている。
「恋人ごっこしようよ」
僕は何も言わない、だって兄弟喧嘩はまだまだ続いている。
「帝人君、ミカンだよ」
剥きっぱなしのミカンを一房僕の口に臨也さんは運ぶ、薄皮に包まれたオレンジ色の果肉が、ゆっくりと僕の乾いた唇に押しつけられてつるりと口内に入っていく。
「甘栗だってあげるよ?」
甘酸っぱい果肉をゴクリと飲み込めば、今度は香ばしく甘い実が口許に押しつけられる。飴色をしたぎゅっと締まった実を迎えれば、ほくほくとした甘さが口いっぱいに広がっていく。
喉が渇く。
「お茶煎れてくるっていいましたよね?」
「煎れ来たら、帝人君恋人ごっこしてくれる?」
「考えておきます」
子供みたいに言う臨也さんにはいはいと堪えれば、絶対だよともっと子供らしい答えが返ってきた。
コトコトと音を立てながら用意されたお茶は、ふわふわと白い湯気を立てている。
「冷めるまで恋人ごっこしようよ」
相変わらず臨也さんは二人羽織みたいに、僕を背後から抱き締めている。