私を愛したあなたなんて大嫌いだ
近いところで見つめたペリドットが潤んで、あ、と思ったときには丸っこい頬を涙が伝っていた。仕方ないなあと言いながらそれを軽く舐め取る。たったそれだけの接触で震える皮膚が悲しかった。
イギリスは清廉であろうとするその意識に反して、実際には自身を酷く乱されることを強く望んでいた。酷く、痛く、強く、自分の心も体も、滅茶苦茶にされればされる程喜んだ。何もかも欲しがって、それでも中々手に入れられない苦しさから、彼は何かを自分に刻み込まれることを好むようになった。
俺はそんなイギリスが可哀相で、馬鹿らしくて、どうしようもなく愚かだと思った。こんな手段でしか誰かと繋がれない弱さ。どうしてこうなってしまったのと問うたところで彼は答えられない。イギリス自身の問題は正にこの部分だった。確かに誤っているのだと、このままでは良くないと分かっているのに、現状を招いた原因も、これからどうなるのかということでさえも、考えることは出来るのに、答えは決して出せない。もしかしたら出したくないのかも知れないが、何にせよ指し示す結果は同じだ。彼は嘆くだけ、何ひとつ現状は好転しない。
間違いだというならきっと二人出会ってしまったことが一番の誤りであったのだと思う。決して相性が悪いのではなく、むしろ長い時を過ごす内に殊更深く噛み合うようになった関係は恐らく最高といえた。イギリスは与えられることを望んだし、俺は与えることを望んだ。しかしそれは同時に多大な危険を孕んでいた。相補性の高い関係は共依存もまた生み出すのだと、知らなかった。
――気付いたときには、俺はイギリスを手離そうとは思えなくなっていた。きっと他に、もっと楽に気持ち良く付き合える相手がいると知っていたけれど、この手のかかる、とんでもなく面倒な男をなくしてしまう気は起きなかった。そうしてまたイギリスも、もう取り返しがつかない程、俺に何もかも許され、与えられることに慣れてしまっていた。
イギリスを愛した俺も、俺を愛したイギリスも、お互い完全に救いようがない。特にイギリスの感情は混沌の中にある。こんな相手を愛した自分が嫌で、そんな感情を生んだ関係が嫌で、もう何もかもが嫌で、それでも気が狂いそうな程の気持ちは止められなくて。きっと互いに酔っているのだ。相手を好きで、そんな自分が嫌いで、けれどそのことで苦しむ自分は好きで、苦しい溺れると言いながらも、心の底ではにんまりと笑っている。
そうだ、だから、俺のこの問いかけだって結局は、現状を直視することで恐れをなして気持ちよくなるための装置でしかない。イギリスの頬に舌を這わせるのを一度止め、ねえ、と再度呼び掛けた。濡れたぺリドットは傷付いて罅割れている。その光を捕えて、逃げ出す前に言葉で縛る。
「答えてよ」
「っ、ふら、んす」
「目を逸らさないで。坊ちゃんがどんな格好をして、どんなことを求めて、どんなにいやらしいのか、ちゃんと見て?」
「っ、やだ、や…っ」
「嫌じゃないでしょ? 難しいことも言ってない。目を閉じたり、逸らしたりしなければいいの」
「ふ、や…やだ、」
「坊ちゃん?」
もういやだとイギリスが短く叫ぶ。そうして数度躊躇って、けれど結局何かを堪えられずに、噛みしめて酷く腫れた唇を震わせた。全く彼らしくもない、拙い発音の英語が僅かに開いたそこから零れる。
どうしてこんなこと、と、呟かれた言葉に、俺は弾かれたように声を上げて笑った。どうして? どうしてと、他でもないお前が聞くの?
滲んだ涙を指先で拭う。そうしてから、ぽかんとして俺を見やるイギリスの頬に唇を寄せる。ちゅ、ちゅ、と小さく音を立てて数度口付けた。赤く染まった耳朶に触れ、軽く歯を立てる。一度体を離して互いに見つめ合った。ちらりとこちらを確かめる視線を絡め取って満足し、唇をゆっくりと寄せた。そうだね、教えてあげようか、可愛いイギリス。
「だって好きでしょう、こういうの」
答えた声は我ながら、これ以上ない程的確に相手を嗤っていた。
貴方を愛した私なんて大嫌いだ、私を愛した貴方なんて大嫌いだ。イギリスの心中は全て裏表の考えで出来ている。彼はもう何もかも分からないのかもしれない。全て分からなくて、怖くて、どうにかなりそうで、だからこそまた、いけないと思いつつも俺に縋って、更に深みへと落ちていく。
そうして俺もまた落ちていく先はきっと同じなのだろうと思う。膝から力が抜けたのか、ぺたりと座りこんでしまったイギリスの体を抱き直して硬めの髪をやさしく撫でた。
どうして俺を愛したのとイギリスは俺を責める。そうして彼はまた、そんな自身もを激しく糾弾する。何て歪んで捻じれた関係だろうか。唇の端が緩むのを堪えられない。ああ愛おしい、
ねえイギリス、他者嫌悪と自己嫌悪にまみれ、疲弊して、それでももうどうにもなれない、そんなお前が愛おしいよ。
(101127/仏英)
お題お借りしました
「私を愛したあなたなんて大嫌いだ」
si,(http://kamawanu.blog.shinobi.jp/)
作品名:私を愛したあなたなんて大嫌いだ 作家名:はしま