七・六五ミリ口径
「仙蔵と連絡が取れない。仕事が入ったから連れてきてくれ」
そういった内容のメールを受け取り、文次郎は大きなため息をつき携帯を閉じた。今日は久しぶりに休みをもらったから部屋の掃除をしようと意気込んで穿いていたジャージの裾をまくりあげ、上は古いポロシャツというスタイルで掃除機を引っ張り出した矢先だった。着ていたものを全て脱ぎ、クローゼットの中から馴染みのスーツを取り出すと急ぐこともなくのたのたと着替える。ワイシャツはアイロン掛けし忘れていてくたくたのままだったが仕方ない。最後にベッドサイドの金の腕時計をはめると、鏡で姿を確認することもなく部屋を出た。
仙蔵が音信不通になるのは珍しいことではない。代わりに文次郎に連絡すれば済むことなので、最早誰も気にしていない状態だ。警戒心の強い仙蔵はあまり人に家を教えない。自分がその貴重な一人であることに優越感を覚えていないと言うと嘘になるが、休日にまで連絡係にされるのは勘弁してほしい。
仙蔵の家の前に着くと、まず仙蔵の部屋の窓を確認した。いつものことだが、カーテンは閉め切られている。スプレー缶の落書きだらけの壁を横目で見ながら、割られたまま修理されていないガラスの扉を押して階段を昇る。五〇七号室に近づくにつれ、ガシャガシャと小さく音が漏れているのがわかった。どうやら音楽のようだ。どうせノックをしても気づかないだろうとそのままドアを開けた。
ドアを開けた瞬間、煙草の煙で視界が真っ白で、思わず片目を閉じ咳込んだ。音楽は以前食満が置いて行った古いラジオから聞こえるもののようで、有名なギタリストがコカイン、コカインと連呼していた。
「おい。換気くらいしたらどうだ」
ラジオを消し声をかけても、ソファーの上でぼーっと煙草をふかしている人物は振り向きもしない。髪は上で綺麗にまとめあげられ、格好はスーツのままだ。サイドテーブルに置かれた灰皿はもう山のようで、テーブルの脚元にはさらに煙草の吸殻と灰が平らな山を作っている。灰皿がいっぱいになったら床に捨てていたらしい。いつものことなので大して驚きはしないが。ふと電話に目をやると、電話線は引き抜かれ力なく床に落ちていた。
「仕事が入ったそうだ。勘弁してくれよ、電話くらいいつも繋いどけ」
電話線を拾い壁に空いた穴に繋げてやると、ようやく部屋の主は背もたれに預けていた身体を起こし、吸殻をばらばらと宙に舞わせながら無理矢理煙草の火を消した。
「ああ、気付かなかった。いつの間に抜けていたんだろう」
そう言って足を降ろすと軽く伸びをし、親父並みに口を広げ声を出しながら欠伸をした。
「長次のところに寄って行こう。本を返したい」
「お前その本のために電話線抜いただろう」
「ああ。なかなか難解だったもので」
「悪気ゼロかよ」
連絡係として家に訪ねるだけでなく、オフィスまでついて行くのも日課になってしまった。今ではすっかり慣れてしまって今更苦に感じることもない。
着くなり仙蔵はノックもせずに長次のオフィスのドアを開けた。
「借りていた本を返すよ。ありがとう」
突然部屋に入られて自分の読書の時間を邪魔されたにも関わらず、この男は怒ることなくいつもの無表情で軽く頷いただけだった。仙蔵は長次の机の上に座って足を組むと片手をつき、長次の耳に唇を寄せて何か耳打ちした。恋人が見ている目の前で。仙蔵の言葉に頷くと、引出しを開け一丁の拳銃を取り出し、仙蔵の手に乗せた。仙蔵は自分の手の中にあるそれを愛おしそうに見つめた後、長次に触れるだけのキスをした。またしても恋人が見ている目の前で。
銃を懐に仕舞うと机から降り、機嫌よく部屋を出て行った。長次が何か言いたそうな複雑な表情をしていたが、文次郎も部屋を出て仙蔵の後に続いた。
「なぁ、仙蔵、その拳銃はどうしたんだ?」
「長次に手に入れてもらったんだ。七・六五ミリ口径オルトギースのオートマチック」
仙蔵は嬉しそうに懐に手を入れると、古ぼけたその拳銃を取り出した。
「古いな。それってもう100年前の型じゃないか」
「その通り。名前は文次郎とでも名付けようか」
「やめてくれ。それにしてもどうしてそれに執着するんだ?」
文次郎がそう言うと仙蔵の足がぴたりと止まった。
「執着?」
「ああ、わざわざ探してもらったんだろ。お前銃なんて撃てれば何でもいいって言ってたじゃねぇか」
仙蔵は銃口を自分の顎にぺしぺしと叩き遊ばせると、視線を上に向け、わざとらしく何か考えている仕草を見せた。
「J.D.サリンジャー」
「は?」
「さっき私が長次に返した本の作者だ。お前も読んでみるといい」
「それと銃がどう関係するんだ?」
「うーん、お前の頭じゃ到底理解するのは無理だろうな。ヒントをやろう」
仙蔵は文次郎を見据えたまま持っていた銃の銃口に口づけた。にやりと艶やかな赤い唇が弧を描く。ちゅ、と音を立てて銃口を唇から離すとそのまま右のこめかみに当てた。撃鉄を起こしていないとはいえ、文次郎はひやりと背筋に凍るものを感じた。仙蔵は妖艶な笑みを浮かべたまま口を開く。
「私は死に場所を決めたんだ」
そういった内容のメールを受け取り、文次郎は大きなため息をつき携帯を閉じた。今日は久しぶりに休みをもらったから部屋の掃除をしようと意気込んで穿いていたジャージの裾をまくりあげ、上は古いポロシャツというスタイルで掃除機を引っ張り出した矢先だった。着ていたものを全て脱ぎ、クローゼットの中から馴染みのスーツを取り出すと急ぐこともなくのたのたと着替える。ワイシャツはアイロン掛けし忘れていてくたくたのままだったが仕方ない。最後にベッドサイドの金の腕時計をはめると、鏡で姿を確認することもなく部屋を出た。
仙蔵が音信不通になるのは珍しいことではない。代わりに文次郎に連絡すれば済むことなので、最早誰も気にしていない状態だ。警戒心の強い仙蔵はあまり人に家を教えない。自分がその貴重な一人であることに優越感を覚えていないと言うと嘘になるが、休日にまで連絡係にされるのは勘弁してほしい。
仙蔵の家の前に着くと、まず仙蔵の部屋の窓を確認した。いつものことだが、カーテンは閉め切られている。スプレー缶の落書きだらけの壁を横目で見ながら、割られたまま修理されていないガラスの扉を押して階段を昇る。五〇七号室に近づくにつれ、ガシャガシャと小さく音が漏れているのがわかった。どうやら音楽のようだ。どうせノックをしても気づかないだろうとそのままドアを開けた。
ドアを開けた瞬間、煙草の煙で視界が真っ白で、思わず片目を閉じ咳込んだ。音楽は以前食満が置いて行った古いラジオから聞こえるもののようで、有名なギタリストがコカイン、コカインと連呼していた。
「おい。換気くらいしたらどうだ」
ラジオを消し声をかけても、ソファーの上でぼーっと煙草をふかしている人物は振り向きもしない。髪は上で綺麗にまとめあげられ、格好はスーツのままだ。サイドテーブルに置かれた灰皿はもう山のようで、テーブルの脚元にはさらに煙草の吸殻と灰が平らな山を作っている。灰皿がいっぱいになったら床に捨てていたらしい。いつものことなので大して驚きはしないが。ふと電話に目をやると、電話線は引き抜かれ力なく床に落ちていた。
「仕事が入ったそうだ。勘弁してくれよ、電話くらいいつも繋いどけ」
電話線を拾い壁に空いた穴に繋げてやると、ようやく部屋の主は背もたれに預けていた身体を起こし、吸殻をばらばらと宙に舞わせながら無理矢理煙草の火を消した。
「ああ、気付かなかった。いつの間に抜けていたんだろう」
そう言って足を降ろすと軽く伸びをし、親父並みに口を広げ声を出しながら欠伸をした。
「長次のところに寄って行こう。本を返したい」
「お前その本のために電話線抜いただろう」
「ああ。なかなか難解だったもので」
「悪気ゼロかよ」
連絡係として家に訪ねるだけでなく、オフィスまでついて行くのも日課になってしまった。今ではすっかり慣れてしまって今更苦に感じることもない。
着くなり仙蔵はノックもせずに長次のオフィスのドアを開けた。
「借りていた本を返すよ。ありがとう」
突然部屋に入られて自分の読書の時間を邪魔されたにも関わらず、この男は怒ることなくいつもの無表情で軽く頷いただけだった。仙蔵は長次の机の上に座って足を組むと片手をつき、長次の耳に唇を寄せて何か耳打ちした。恋人が見ている目の前で。仙蔵の言葉に頷くと、引出しを開け一丁の拳銃を取り出し、仙蔵の手に乗せた。仙蔵は自分の手の中にあるそれを愛おしそうに見つめた後、長次に触れるだけのキスをした。またしても恋人が見ている目の前で。
銃を懐に仕舞うと机から降り、機嫌よく部屋を出て行った。長次が何か言いたそうな複雑な表情をしていたが、文次郎も部屋を出て仙蔵の後に続いた。
「なぁ、仙蔵、その拳銃はどうしたんだ?」
「長次に手に入れてもらったんだ。七・六五ミリ口径オルトギースのオートマチック」
仙蔵は嬉しそうに懐に手を入れると、古ぼけたその拳銃を取り出した。
「古いな。それってもう100年前の型じゃないか」
「その通り。名前は文次郎とでも名付けようか」
「やめてくれ。それにしてもどうしてそれに執着するんだ?」
文次郎がそう言うと仙蔵の足がぴたりと止まった。
「執着?」
「ああ、わざわざ探してもらったんだろ。お前銃なんて撃てれば何でもいいって言ってたじゃねぇか」
仙蔵は銃口を自分の顎にぺしぺしと叩き遊ばせると、視線を上に向け、わざとらしく何か考えている仕草を見せた。
「J.D.サリンジャー」
「は?」
「さっき私が長次に返した本の作者だ。お前も読んでみるといい」
「それと銃がどう関係するんだ?」
「うーん、お前の頭じゃ到底理解するのは無理だろうな。ヒントをやろう」
仙蔵は文次郎を見据えたまま持っていた銃の銃口に口づけた。にやりと艶やかな赤い唇が弧を描く。ちゅ、と音を立てて銃口を唇から離すとそのまま右のこめかみに当てた。撃鉄を起こしていないとはいえ、文次郎はひやりと背筋に凍るものを感じた。仙蔵は妖艶な笑みを浮かべたまま口を開く。
「私は死に場所を決めたんだ」