微妙な告白
「心臓、すごい早いですね」
臨也の胸元にそっと手をあてて、帝人が呟く。緊張してるんですか? それとも怖いですか?
肋骨の合間に指を立てられて、臨也は苦痛に息を詰まらせる。帝人のその仕草は、この中にあるものを直に掴みとってみたいと言わんばかりだった。小鳥のそれのごとく早い動きを繰り返す自分の心臓のことは、臨也自身とっくに自覚していたのだが。
「緊張? 恐怖?」
問いかけられた選択肢に口角が上がるのを止められない。
「それは君の方じゃないのかな」
男の浮かべた笑みの凄絶さに、少年が初めて色のない表情を崩した。警戒。不穏な気配に瞬時に身を引こうとする感覚の鋭さは賞賛に値するだろう。幼子にするようにえらいえらいと褒めてやりたくなって、臨也は喉の奥で笑う。
後ずさろうとする帝人を膝で遮り、自由を取り戻した両手で捕らえるまでは半瞬も必要としなかった。
「な、手…!」
「本気で拘束するなら布紐なんか使わないこと、基本だよ」
しかもこんな摩擦が少ない生地は絶対に駄目だね、と嗤いながら少年の身体を床に引き倒す。あらゆる事態、例えばこんな風に後ろ手に縛められてしまうような万が一に備えて己が隠し持っている刃物のことは話さない。目の前で起きたことが信じられないと言いたげな、驚きを湛えた瞳に気分がいい。まるで手品の縄抜けを見せられたように思っていることだろう。
「ねえ帝人君、君は少し俺を舐め過ぎてるんじゃないかな」
形勢逆転。片手で少年の首を押さえつけ、のしかかるような形で動きを止めつつ空いた方の手で足の拘束も外す。余裕で馬乗りになると、下にした細身が折れそうで少し怖いほどだ。
「こんな風にして俺を捕らえたと本当に思った?大人しく君の元で飼われるって?それはちょっとありえないでしょ」
それともそんなことも判断がつかないほど目が曇っちゃってたのかな。恋情は人を狂わせるっていうからね。君はもっと賢い子だと思っていたけど、
「俺のことが好きなんだもんね?好きで好きで仕様がなかったんだもんねー。ははっ、だから頑張ったのに、残念だったね」
あからさまな揶揄に、帝人の瞳にじわりと水が滲む。哀しいとか悔しいとかいうほど感情が追いついているとは思えない、興奮のため生理的に生じた反応だろう。そろりと頬を包むように手を添えてやると、びくりと大きく震えた。
今この手の中にあるものが自分のものだったら、どんなにかいいだろう。優位に立っている愉悦と相反する願望の甘さで頭がおかしくなりそうだ、と臨也は思う。先ほど臨也の胸元に触れていたとき、帝人もこんな風に感じていたのだろうか。
「ねえ、手抜きしないでよ」
もっと欲しがって。身体だけあればいいとか妥協するのはやめて。俺の事で取捨選択するなんて許さない。身体も言葉も心も欲しいって言って。全部自分のものにしたいって、ねえ。
男のそら恐ろしくなるほど魅力的な囁きに、今度こそ帝人の瞳から涙が零れた。悔しい、恥ずかしい、怖い。こんな台詞を、臨也がどういう意図で言っているのか計りきれない。からかっているのだろうか、それとも多少は望みがあるのか。そう思わせて舞い上がったところを突き放して遊ぶ算段かもしれない。こんな相手をどうして好きになってしまったのか。
そもそも彼に恋をした瞬間からずっと感じていたのは怖れだった。
自分が何を望んでいるのか気づいたときには愕然とした。
(そう、僕はこの人が欲しいんだ)
人間という種を愛していると言う男に、君だけだと言わせたい、そんな願望。
(君が好きだって、君だけを愛しているんだって言ってほしいんだ)
その困難さに絶望した。彼の最愛の人間になるなんて、不可能だと思った。そのために何をどうしたらいいのか全くわからなかった。まともにいって相手にしてもらえるとは思えなかった。だからせめて心は諦めようと思ったのだ。無理にでもとにかく形或る肉体の方だけならなんとか手に入るのではないかと思った。だからこそこんな暴挙にでたというのに、あっさり形勢を返されて。
(悔しい、悔しい、悔しい)
臨也が帝人に今迫っていることはーー仮令それが遊びのつもりでもそうでなかったとしてもーー、全面降伏である。惚れた方が負け、というところの敗者の側であることを認めろということだ。
ね、言って?と甘やかな声を耳に直接吹き込んでくる想い人がいっそ憎らしい気さえして、顔を背ける。そんな少年に、男は実に楽しげな笑みで応じた。
「素直じゃないねえ!今更恥ずかしいもないだろう?誰にも見せたくないから閉じ込めたいとか、そんな熱烈すぎる告白しておいて、もっと基本的なことが言えないなんて」
仕方ないなあ、意地っ張りの帝人君が言いやすいように、ちょっとサービスしてあげよう。そんなことを言い出すので、なにかと思っていると背けた顔を無理に正面に固定された。臨也と至近距離で視線をあわせる形になって、いたたまれない。あのね、と掛けられた声に身構える。
あのね、
「別に世界中の人間が俺の視界から消えないままでも、君が次に言ってくれる言葉と同じものを俺は返すよ」
一瞬、帝人はその意味がわからなかった。ひとつふたつ、ゆっくり呼吸する。「だからもう、ここまで俺が言ってあげたんだからいいでしょ、君も言えってば」と促されて、ようやく理解した。
帝人は自分の心臓がこれまで以上に早く動いているのを感じていた。顔が熱い。これだって彼の手管なのかもしれないと思いつつも、もうどうでもよかった。
君が好きだと、君と愛していると、自分が言われたい言葉の全ては、自分が彼に言いたいものなのだから。仮令自分が世界中でたったひとりの人間というわけではなかったとしても、今ここにいるのは自分と彼だけなのだから、もうそれでいいではないか。そう考えて帝人は覚悟を決めた。今ここが、帝人の世界の果てなのだ。
「あなたが好きです」