君と、明日を。
前編
人間には誰しも、振り返ってみればあそこが絶頂だったと思う時期があるものだ。
竜ヶ峰帝人にとってそれは、去年の冬だった。
高校二年生という若さで何を言うのかと思われるかもしれない。けれども帝人にとって去年の冬は、それこそ一生分の運を使い果たしたのではないかと言うくらい、怒涛の冬だった。
だって、折原臨也と言う教師は、眉目秀麗を絵に描いたような姿をしているし、性格は少々残念だが授業は面白くて、教師としての人気もある。お世辞ではなくモテモテで、バレンタインには箱単位のチョコレートを宅配で届けられ、帝人はずいぶんと機嫌を悪くしたものだ。そんな人と、両思いになったのが去年の冬。ただでさえ男同士、教師と生徒、障害がありまくりの2人が、よくもまあ結ばれたものだと今でも思う。
あの時はそれが奇跡だとしか思えなくて、こうして一年がたった今、変わらず同じ家に住み続けていられる今日を、想像さえできなかったのだけれど。
最近は、思う。
この人と、いつまでこうしていられるのだろうか、と。
「帝人君、どれがいい?」
にこにこと笑いながら差し出されたカタログには、様々な種類のクリスマスケーキが並んでいる。そういえば予約が始まっていたなあ、と思いながら、帝人はカタログを手にした。
「生チョコレートのもいいですけど、やっぱりクリスマスケーキは生クリームって感じがしますよね」
「プッシュドノエルもいいけどね。あ、でも、クリスマスイブは外食するから、それは25日に食べる用のね」
好きなの選んでしるしつけといて、と言う臨也の声は弾んでいる。帝人はちらりとその顔を見上げて、
「いいですけど、ちゃんとお休み取れるんですか?最近臨也さん、忙しい忙しいって全然休日いないのに」
と、小さく嫌味を言ってやった。
実際、今年は三年の担任を受け持つ臨也には仕事が多く、進路相談がどうの、受験がどうの、就職活動の斡旋がどうのと、休日もないような状態だった。寒くなるにつれその傾向も強まり、ベッドの上で帝人を抱きしめながら『もう二度と三年の担任なんかしない!』と泣き言をいうくらいなのだから、本人も相当きついらしい。
「大丈夫だよ、ちゃんと生徒たちにも言っといたんだから。先生クリスマスは恋人とラブラブで甘甘に過ごすんだから死んでも邪魔するな、邪魔するくらいなら死ねって」
「それ、教師として・・・いえまあ、いいんですけど」
臨也がそんな物言いをするのはいつものことなので、生徒たちも最早なれているのだろう。進路だ就職だ進学だ、という単語を聞くたびに、帝人自身も己の進路希望調査票を思い出して頭が痛い。
正直に言えば、とても、迷っているのだ。
もともと、帝人は明確になりたい職業などなかったし、池袋に出てきた理由と言うのも非日常的だったからというだけだ。今の学力なら本気を出せばかなりいい大学を狙える、と担任に言われたが、どこの学科に行けばいいのかよく分からない。それなら手に職をつけたほうが後々困らないのでは?と思う反面、就職してしまったら臨也と過ごす時間が減りそうで怖い。結局は、無難な大学の無難な学部に進学することになるのかな、と漠然としたビジョンしか浮かんでこないのだった。
本来なら、現職教師の臨也に相談に乗ってもらうのが一番なのだと、思う。何しろ恋人でもあるのだから。けれどもこうして疲労困憊な臨也を見ていると、相談すら躊躇われて結局抱え込んでしまうのだった。
「帝人君?どうしたの、おいで」
「あ、いえ・・・実家から、今年は帰ってくるのかって聞かれてて、どうしようかなあって」
「・・・ああ」
おいで、と招かれるままその胸にぽすりとおさまり、帝人は臨也の体温に安堵の息をつく。実を言えば実家のほうからは、とっくにお前は今年も帰って来ないんだろうなと諦めのコメントをもらっている。けれども去年の様に臨也に、「居てほしい」と言って欲しくてそんな嘘をついてしまった。
「夏休みは俺も一緒に帝人君家に遊びに行っちゃったからね・・・流石に冬も俺が行ったらマズイか」
「遊びにって・・・挨拶に来てくれたって、親は喜んでましたけど」
「俺にしてみれば、息子さんを僕にください!の勢いだったんだけどね」
やっぱり土下座してくればよかったかな、なんて飄々と言うものだから帝人は困る。いざとなったらこの人とかけおちくらい、難なくしてしまいそうな自分がいるわけで。
夏休み、息子さんをお預かりしている折原です、と菓子折りを持って帝人の実家に挨拶に来た臨也は、恋人の贔屓目抜きにも完璧な好青年を演じていたと思う。母親なんて素敵な人ねえとうっとりしていたし、あの人のところなら安心だと話もあっという間にまとまったのだから。
「・・・なんだかなあ、あれから一年もたったんだよね」
ぎゅう、と帝人を抱きしめる腕に力をこめて、臨也は感慨深げに呟いた。
「一年もたったら、満足するかなあって、思っていたんだけど」
「満足?」
「ちょっとは余裕できるかなってさ。去年は子供みたいに駄々こねちゃったし、学校でがっついちゃったし、かっこ悪かったじゃない、俺」
「そんなこと、ないですよ?」
「かっこ悪かったの」
もっと大人の余裕があるほうがかっこいい、と臨也が言うのに、帝人は首をかしげた。少なくとも自分は、ストレートに要求されるほうが愛されている感じがしていいなあと思うのだけれど、臨也には臨也の美学があるらしい。
「・・・なのに、全然だめだな。一年ずっと一緒にいたのにね」
小さく苦笑を漏らして、臨也は緩やかな動作で帝人を抱え、所謂お姫様抱っこで立ち上がる。うわ、と声をあげたものの、別にそんな風に運ばれることは珍しくないので、帝人は反射的に臨也の首にしがみついた。一度これで暴れて落ちたことがあるのだが、地味に痛いのだ。
「臨也さん?」
こういう運ばれ方をするときは、大抵そのままベッドに連れ込まれて、まあその、恋人同士の行為になだれ込むわけなのだが、明日は学校がある。臨也は普段滅多に平日は行為に及ばないので、帝人は少し驚いた。問いかけるように視線を向ければ、返ってくる余裕のない笑み。
「何でかなあ、帝人君が、腕の中にいると思うとね」
ベッドに下ろされると同時に上にのしかかってきた臨也が、愛しげに帝人の頬をなでた。その指が丁寧に唇をなぞる。
「キスしたいなって思うだろ。そしたら次は、触りたいなあって」
「んっ、臨也さ・・・っ」
軽く唇を合わせたら、臨也の手はすでに帝人の服にかかっていた。ボタンを外してゆくその指先を見ると、それだけで帝人の体温も急激に上がってしまう。
「そんで、触ったら次は、舐めたいとか鳴かせたいとか突っ込みたいとか、もうそんなことばっかり」
「い、ざやさ、っ、ひぁ・・・っ」
「ほら、そうやって君があんまり可愛く鳴くから・・・もっと、って思っちゃうんだ」
煩悩は人類の敵だよね、なんていいながら、臨也は帝人の耳を舐める。学校で隠れてキスをするときの背徳感やドキドキも、こうして直に肌を合わせる時間の胸の高鳴りには、流石にかなわない。そういえば最近、臨也が忙しくてご無沙汰だったような気がする。くっついて眠るだけでも帝人は幸せだったけれど、そういうことをしたくないわけでは決してないので。