君と、明日を。
帝人は素直に臨也に抱きついて、頬を摺り寄せキスをねだった。この仕草だけはこの一年で格段に上手くなったように思う。
「・・・どんどん、欲張りになるよ俺は」
乞われるまま口付け、臨也が言う。
「もっとキスしたいし、もっと触れたい、もっと抱きたい。もっと長く繋がっていたいし、もっと帝人君の時間を拘束したい。君は俺のものだって言う確かな印をつけたくて、たまらないんだ」
そうして、帝人が何か言う前に、その唇にもう一度噛み付く。
印なんか、いくらでもつければいいのに、と帝人はそのキスに応えながら思った。誰にばれたって、帝人は困らないし全然構わない。ただ臨也の立場を考えれば生徒に手を出したというのはまずいだろうと、必死に関係をかくしてはいるけれど。
臨也が望むなら、学校でだってどこでだって、こうして組み敷いてくれても帝人は全然構わないのだ。あわよくばそれで噂でも流れて、臨也に思いを寄せるライバルたちが少しでも減ってくれたらいい、なんてことまで考えて、でも結局は。
好きだから。
負担になんかなりたくないと思うこともまた、事実で。
臨也の手がゆっくりと帝人の体のラインをなぞるその感触が、気持よくてただ熱い息を吐く。愛してる、囁くかすれた声に心が震えた。
このままずっと、一緒にいられたらいいのに。
臨也の背中に爪を立てながら、帝人はただそれだけを、願った。
「聞いたか帝人ー、現国の折原の噂」
「え?」
クリスマスイブは金曜日だった。一旦帰宅してから臨也をまって、一緒に食事に行く約束をしていた帝人は、その日一日をそわそわしながら過ごしていたと思う。昼休みになってもそれは変わらず、今年になって同じクラスになった正臣が不審がるほどだった。
クリスマスだから浮かれてるのか?の台詞の後、正臣が話題を変えようかと続けたのが、さっきの台詞だ。
「何、折原先生どうかしたの?」
ゴシップや噂の多い人だから、帝人は日ごろから臨也の話題には積極的に混ざるようにしている。このときもどうせそういう、根拠のない噂話なのだろうとは思っていたけれど。
「今回のは大スクープだぞ、聞いて驚け!」
自信満々に声を潜めた正臣が、きょろきょろと周りを見渡しながら帝人の耳元に口を近づける。
そして囁かれた言葉に、帝人は凍りついた。
「折原、矢霧センセとゴールイン間近らしいぞ」
一瞬の静寂が、痛いほど長く感じる。
帝人は反応ができずに静止して、いつもなら適当なリアクションを返せるのにそれさえできなかった。ただ、耳障りな音を立てて脈打った心臓を押さえて、息を吐く。
「な、んで、そういう話に?」
ぎこちなく切り出した質問を、不思議に思うでもなく正臣は、ぺらぺらとその「噂話」を話し出した。
「3年のクラスで、クリスマスは恋人と過ごすから邪魔するなって生徒に釘刺したんだと。それでついに先週の土曜日、矢霧とデートする折原が目撃されて、女子がお通夜みてーになってんの」
「先週の、土曜・・・?」
その日はたしか、センター試験対策の授業があると言って、出て行かなかったか?夜遅くなって帰ってきて、疲れたよ帝人君って、いつもみたいに笑って・・・。
「で、昨日の話。廊下で2人がクリスマスイブがどうのって話してるのを聞いちゃったヤツがいるんだってさ。もうここまで揃ったら確定じゃねえの?」
「そ、そんなのわかんないじゃない、単に用事があって・・・」
「デートしてた先、不動産屋だぜ?これは同棲フラグだろ」
心が、一気に冷えた。
不動産屋、だって?
2人で一緒に住むつもりで、家を見に行ったって?
そんなことあるわけない。だって現に今、臨也は自分と一緒に暮らしているじゃないか。2人で暮らすなら、臨也はただ帝人を捨てて、出ていけと言うだけでいいんだ、そもそもあそこは臨也の家なんだから。それともまさか、帝人に同情して、帝人の住む家でも探してくれたとでも言うのだろうか。ありえない、そんなはずない。だって、臨也は・・・。
その日の夜も、愛してると囁いて、帝人を抱いたのだから。
「・・・帝人?」
遠慮がちに呼びかけられて、はっと我に返った。考え込んでいた様子をおかしく思ったのだろうか、正臣は心配そうに帝人の顔を覗き込む。
「どうした?なんか具合でも悪いのか?」
「あ、うん、ちょっと・・・風邪かな?今朝から少し」
「熱でもあんのか?保健室行くなら、ついてくけど」
どうする、と尋ねる正臣に、一人で大丈夫だよと答える。一気に食欲が無くなって、半分以上残っていたお弁当箱のフタを閉めた。
「ほんとに、ついていかなくて平気か?」
「大丈夫、悪いけど次の時間・・・」
「先生に言っとく」
「・・・うん、お願い」
引きつった笑いを浮かべ、ふらふらと教室を出て、帝人は本当に保健室に向かおうかどうしようか迷った。たしかに具合は悪いのだが、さっき急激に悪くなったのだから病気とも言い切れない気がする。
臨也に限って浮気なんかないと、信じている。
信じているけれど、それならどうして矢霧波江と一緒に出かけたことを、嘘をついてまで帝人に隠したのだろう。後ろめたいことがないなら、言ってくれれば何も疑いなどしないのに。
それに。
帝人が実家に帰ろうか迷っている、といった日。
臨也はあの時みたいに、「居てほしい」とは言わなかった。
それがまだ、引っかかっている。
「・・・なんで、」
もしかして自分は今、臨也の幸せな結婚の邪魔になっているのだろうか。
あっちが本命で、帝人の方こそ浮気なのかも知れない。そんなことないと何度打ち消しても、嘘をつかれたショックで頭が麻痺してしまったかのように、上手く考えがまとまらなくて、帝人はただ呆然と階段に座り込んだ。
どこか遠いところで、授業開始のベルが鳴る。
自分と臨也では幸せな家庭も結婚もできないのだ、と。
現実を付きつけられたような、気がした。