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円環

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主が最後に運転手としての俺を使ったのは、国道の脇へ僅かに残った緑化地帯からクローバを持ち帰るためだった。手向ける花のろくにない父親の墓への慰めに、土の匂いがするものを取りにいくのだと言う。
車の鍵はどこだろうと問われたので、台所で芋の皮を剥いていた俺は手をとめ、屋敷の裏手の車庫へ回った。支柱が曲がり、たわんだ日除け越しに差し込む橙の光が、門扉のなくなった車庫全体を染め上げていた。惜しみなく豪華な、そして異様なまでのまばゆさだった。

燃料電池車はとうの昔に盗まれてしまったから、今この家には乗ることなどなくなって久しいほとんど鑑賞物のようなクラシックカーしか残っていない。バンパーとボディのドア脇が大きくへこみ、フロントガラスを切り裂くように斜めに亀裂が入っている空色の古いセダンは、キーを差し込んでペダルを踏み込むと、静かに溜息をつき震えた。深手を負ってはいるが、どうやら見た目よりは上等に動くようだった。
しかし今外へ出ることは、安全とはとても言いがたかった。いつ何を奪われても文句は言えず、言ったところで戻ってくるものもない。
後をついて車庫へ出てきた主が、割れた窓から手元をのぞきこむ。

「エンジンはかかったか?」
「かかりましたねえ」
「運がいいな」
「いや、それはどうだか」
「ああ……違いない。むろん運転は俺がしよう」
「冗談言わないでよ。あんたにこんなふっるいマニュアル車の運転なんか出来るわけないでしょう。アクセルとブレーキですらいまだに踏み間違うくせに。危っかしくて、運転席になんか乗せらんないよ」

そんなことはと言い募ろうとした主は、結局弁解がみつからないまま口をつぐんだ。子供のようにあけすけな不満を浮かべていた口元が、やがて物言いたげな微苦笑に変わる。
困った人だなあと思った。だが俺は運転手であるので、乞われればどこまでも運転をする。
作品名:円環 作家名:haru