円環
翌週いっぱいかけて、俺は主の目を盗みながら大量にパンを焼いた。皮の厚い日持ちのする固パンだ。
そして屋敷の食料庫から干し肉とチーズを車のトランクへ移しておく。芋と玉葱も積む。米も多少積む。一本ずつ残っていたワインとウィスキーも入れる。もちろんガソリンは、たっぷり積んでおく。最後に自前の薬箱の底から睡眠薬を一瓶出してきてナプキンに包み、食料を詰めたバスケットの底へ押し込む。
米と小麦粉が底をついているので、遠出になるが知人のところまで譲り受けに行きたい、話しはつけてあるから……と言うと、主は考え込んだ。
「ならば、俺も行こう。またこの間のようなことがないとも限らぬし、そうなったときに一人ではかえって危ない。人数がいたほうがいいだろう」
俺はためらい、一度は断り、無謀を諌める。ふりをする。だがしまいには折れてしぶしぶ、同行を認めると言う。そうして我々は、長いドライブに出る。
「ここのところ、車に乗ってばかりいるな」
「そうですねぇ」
「こんなによく車に乗るのは久しぶりだ。子供の頃のようだな」
「そうね、最近治安もひっどいからね。あまり外に出ようとは思わないですね」
「だがおまえが運転すれば、必ず家へ帰れる」
助手席でひびの入ったガラス越しに前を見据えている主の信頼は有難く、息苦しく、ともすれば溺れそうになったが、顔には出さなかった。
やがて、ただ座っているのに飽きた主が古いコンソールパネルを出鱈目にいじって決定的にステレオ近辺を駄目にしてしまう前に、俺はとっておきの包みを後部座席から持ってくる。
紙袋には、まだほのかに温かみが残るチョコレートマフィンが入っている。今朝方、朝食のパンと一緒に焼いておいたのだった。
「これ食べて、座っておとなしくしててくださいね」
そう言って手渡すと、子供扱いが過ぎるとぶつぶつ言われた。しかし文句を言っても包みを開けることはやめないらしい。
俺は煤けた革張りのハンドルを指で叩き、一昔前に流行った歌を口ずさむ。
仕事中にはやらず休日にだけそういうことをするので、私用で車を使うときの俺を見て主は訝ったものだった。俺を乗せるときには歌わないじゃないか、とむくれた。弁解するのに骨が要った。昔の話しだ。
いくたび巡っても変わらぬ子供じみた味覚と透徹した瞳をもった主を横目に、黙々と車を走らせる。車内には、甘い焼き菓子の匂いと低いかすかなハミングがある。
俺の役割など些細なものだが、俺は今生運転手であったので、最後まで運転手であるのだろう。