precious memory
沢山のひとと、豪華な食事。
自分よりも目線の高い人々に囲まれる、こうしたパーティに参加するのは、これで3回目。
「――夏未、どうした?」
「……ううん、何でもないわ」
なんでもない。
――なんでもないの。
3回、同じ言葉を繰り返すと、パパはちょっと困ったような顔をして、目線を合わせてくれる。
「本当に、何でもないのか?」
「ええ」
ほんとうよ、ともう1度言うと、やっぱりパパは眉毛をハの字にしながらも「……そうか、」と言って、頭をぽんぽんと撫でてくれた。
「雷門様」
「はい、今すぐ――――夏未」
「だいじょうぶよ。ごあいさつ、がんばってね」
「……ありがとう」
ぽん、と。もう1回頭に手を置いて、パパはマイクが置いてある壇上に向かって歩いて行く。
しばらくして、会場のあちこちにあるスピーカーからパパの声が聞こえてきた。
――パパの声は好き。でも、すぐ傍で、ちゃんと目を合わせて話し掛けてくれるときの声の方が、ずっと好き。
だから、少し……。
ほんの少しだけ、心細かった。
今日はバトラーも忙しい。
だって、ここはわたしたちの家の大広間だから。
だから、外から来たお客様をおもてなしするために、バトラーはずっとそっちに掛かりきりになる。
だから、わたしはひとりでいなくちゃいけない。
(――――でも、だいじょうぶ。だいじょうぶよ……)
わたしは、パパの子だから。
それに、寂しがってばかりはいられない。
パパの挨拶が終われば、今度はパパと一緒にわたしもお客様たちに『ごあいさつ』をすることになる。
お辞儀をして、『おひさしぶりです』と『ようこそおこしくださいました』を繰り返していく、わたしたちの儀式。
正直、あまりこれは好きではないのだけど、これもやっぱり仕方がない。
(だって、これはわたしたちの『ぎむ』なんだから……)
そんな風に考え事に集中しすぎて、わたしは歩いていた誰かの姿が見えていなかった。
――――ドンッ!
「――っ!」
――――転ぶ……!
思わずぎゅ、と目を瞑ったのだけど、次の瞬間にはしっかりと手をつかまれて、そのまま倒れかけた体を引っ張り上げられる。
「え……?」
「っすまない、だいじょうぶか?」
「え、ええ……」
話し掛けられて、おそるおそる目を開けて、驚いて……それからようやく、慌てて頷く。
何と、わたしの手をつかんだのは、わたしと同じ位の年頃のこどもだったのだ。
「……あなたは?」
「……ひとをまっていて、ながされてしまったんだ」
「まいご、なの?」
「そうなるだろうな……」
わたしは名前を訊いたつもりだったのだけど、その子はそれとは全然違う答えを返してくる。でも、それが『迷子』だというわたしたちにとって深刻な問題だったものだから、わたしは最初の質問の意図をすっかり忘れてしまっていた。
「なら、はやくさがさないと――」
こういう時は、受付に行かなければならないはずだ。
何度もパパに言われていたお蔭で、対応策はすぐに頭に浮かんでくる。
でも、向こうは迷子といったのに随分と落ち着いていて、何故か逆に「それより、そっちこそだいじょうぶなのか?」と訊いてきた。
「わたしはへいきよ。もうすぐパパ――おとうさまが、ここにきてくれるから」
「……おまえ、『らいもんなつみ』か?」
「ええ、そうよ」
「そうか……」
そこで、向こうは言葉を切る。
「――そのようすだと、いろいろきいたみたいね」
「……」
「『みなさん』から、わたしにかんしてのうわさをたくさんきかされたんでしょう?」
その子は、何も言わない。
それが何よりもはっきりとした答えだった。
わたしがこの子に会うのは確かに初めてで、それは確かだと自信がある。わたしは記憶力が良い。
そして、この子はわたしを『雷門夏未』だと知らなかったのに、名前だけは知っていた。
――――つまり、ここに来ている大人の誰かから聞いてのだろう、と。
答えはすぐに導き出される。
「おんなだからざんねんだとか、そういうものでしょう?」
「……」
「だまっているのは、ずぼしだから?」
「……」
その子は、何も言わない。
周りの大人たちは、わたしたちの頭の上でよくわからないお喋りに夢中だ。
ひょっとすると、お喋りをする振りをしてわたしたちの話を聞いていたのかもしれない。でも、今はそんなことがどうでもいいことのような気がした。
わたしたちはひとの目を無視できない。
いつ、どこで、誰に見られているか、話を聞かれているか――周りは面白おかしくそれを誇張するから。そしてわたしたちの言葉は、時折大きすぎる影響力を持つことがある。
だから、よく考えてから話をするようにと教えられていた。
それがイヤだったとか、不満だったとか、そういう気持ちは無い。
(でも、あの時はほとんどそんなことを考えずに話をしていた。その子は何だか不思議な見た目をしていて――それも、ひとつの理由だったのかもしれない……)
そう思ったのは、それから随分と後のことだったのだけど……。
「でも、わたしはきにしないの」
「……」
「きにしていたら、きりがないもの」
「――そうか」
「そうよ」
「……」
「……」
「……つよいな」
「――――――え……?」
「おまえは、つよい」
はっきりと。
その子はしっかりとわたしのことを見て、そう言った。
大きな声だったわけじゃない。でも、それはとてもはっきりとした発音で、わたしの耳に届いた。
そして、すとん――と。
それは、わたしの中に入ってきた。
――それからのことは、余りよく憶えていない。
気付いたら、目の前にパパがいて。不思議そうな顔で、「何かあったのか?」と訊いてくるから、咄嗟に「なんでもないわ」と答えたことは、しっかりと憶えているのだけれど……。
その日、お客様をお見送りする時に、わたしはあの子を捜してみた。でも結局、ぞろぞろと流れる人の中に、わたしと同じ目線のあの子を見つけることはできなくて――――。
「結局、夢だったんだって。そう思うことにしたわ。――あの時は」
「夢、か……」
それでも良かったんじゃないか、と笑う。
誰のせいよ、と言ったところで、さてな、なんてとぼけるから性質が悪い。
――あれから、気が付けば8年。
夢の中のひとだと結論付けていたあの時の子どもは、現実味のある存在として再び目の前に現れた。
ただ、あの日のことを確認しあったのは、あくまでつい最近のこと。そしてあくまで、他の皆の前では、雷門での試合が初対面であるかのように振舞った。
それこそ、あの時のことは全部夢の中での出来事であったかのように――――……。
(でも、確かに――ね)
夢であっても、実際困りはしなかったと思う。
だってあれは、お互いの記憶にあるというだけでも充分に『効能』はあった。
――――それでも……。
「夢でも良かったかもしれないけれど……現実にしておく方が、もっと素敵だと思ったのよ」
「そうか」
「それで、どうしてあの時名前を教えてくれなかったのかしら?」
――分かっていたくせに。
自分よりも目線の高い人々に囲まれる、こうしたパーティに参加するのは、これで3回目。
「――夏未、どうした?」
「……ううん、何でもないわ」
なんでもない。
――なんでもないの。
3回、同じ言葉を繰り返すと、パパはちょっと困ったような顔をして、目線を合わせてくれる。
「本当に、何でもないのか?」
「ええ」
ほんとうよ、ともう1度言うと、やっぱりパパは眉毛をハの字にしながらも「……そうか、」と言って、頭をぽんぽんと撫でてくれた。
「雷門様」
「はい、今すぐ――――夏未」
「だいじょうぶよ。ごあいさつ、がんばってね」
「……ありがとう」
ぽん、と。もう1回頭に手を置いて、パパはマイクが置いてある壇上に向かって歩いて行く。
しばらくして、会場のあちこちにあるスピーカーからパパの声が聞こえてきた。
――パパの声は好き。でも、すぐ傍で、ちゃんと目を合わせて話し掛けてくれるときの声の方が、ずっと好き。
だから、少し……。
ほんの少しだけ、心細かった。
今日はバトラーも忙しい。
だって、ここはわたしたちの家の大広間だから。
だから、外から来たお客様をおもてなしするために、バトラーはずっとそっちに掛かりきりになる。
だから、わたしはひとりでいなくちゃいけない。
(――――でも、だいじょうぶ。だいじょうぶよ……)
わたしは、パパの子だから。
それに、寂しがってばかりはいられない。
パパの挨拶が終われば、今度はパパと一緒にわたしもお客様たちに『ごあいさつ』をすることになる。
お辞儀をして、『おひさしぶりです』と『ようこそおこしくださいました』を繰り返していく、わたしたちの儀式。
正直、あまりこれは好きではないのだけど、これもやっぱり仕方がない。
(だって、これはわたしたちの『ぎむ』なんだから……)
そんな風に考え事に集中しすぎて、わたしは歩いていた誰かの姿が見えていなかった。
――――ドンッ!
「――っ!」
――――転ぶ……!
思わずぎゅ、と目を瞑ったのだけど、次の瞬間にはしっかりと手をつかまれて、そのまま倒れかけた体を引っ張り上げられる。
「え……?」
「っすまない、だいじょうぶか?」
「え、ええ……」
話し掛けられて、おそるおそる目を開けて、驚いて……それからようやく、慌てて頷く。
何と、わたしの手をつかんだのは、わたしと同じ位の年頃のこどもだったのだ。
「……あなたは?」
「……ひとをまっていて、ながされてしまったんだ」
「まいご、なの?」
「そうなるだろうな……」
わたしは名前を訊いたつもりだったのだけど、その子はそれとは全然違う答えを返してくる。でも、それが『迷子』だというわたしたちにとって深刻な問題だったものだから、わたしは最初の質問の意図をすっかり忘れてしまっていた。
「なら、はやくさがさないと――」
こういう時は、受付に行かなければならないはずだ。
何度もパパに言われていたお蔭で、対応策はすぐに頭に浮かんでくる。
でも、向こうは迷子といったのに随分と落ち着いていて、何故か逆に「それより、そっちこそだいじょうぶなのか?」と訊いてきた。
「わたしはへいきよ。もうすぐパパ――おとうさまが、ここにきてくれるから」
「……おまえ、『らいもんなつみ』か?」
「ええ、そうよ」
「そうか……」
そこで、向こうは言葉を切る。
「――そのようすだと、いろいろきいたみたいね」
「……」
「『みなさん』から、わたしにかんしてのうわさをたくさんきかされたんでしょう?」
その子は、何も言わない。
それが何よりもはっきりとした答えだった。
わたしがこの子に会うのは確かに初めてで、それは確かだと自信がある。わたしは記憶力が良い。
そして、この子はわたしを『雷門夏未』だと知らなかったのに、名前だけは知っていた。
――――つまり、ここに来ている大人の誰かから聞いてのだろう、と。
答えはすぐに導き出される。
「おんなだからざんねんだとか、そういうものでしょう?」
「……」
「だまっているのは、ずぼしだから?」
「……」
その子は、何も言わない。
周りの大人たちは、わたしたちの頭の上でよくわからないお喋りに夢中だ。
ひょっとすると、お喋りをする振りをしてわたしたちの話を聞いていたのかもしれない。でも、今はそんなことがどうでもいいことのような気がした。
わたしたちはひとの目を無視できない。
いつ、どこで、誰に見られているか、話を聞かれているか――周りは面白おかしくそれを誇張するから。そしてわたしたちの言葉は、時折大きすぎる影響力を持つことがある。
だから、よく考えてから話をするようにと教えられていた。
それがイヤだったとか、不満だったとか、そういう気持ちは無い。
(でも、あの時はほとんどそんなことを考えずに話をしていた。その子は何だか不思議な見た目をしていて――それも、ひとつの理由だったのかもしれない……)
そう思ったのは、それから随分と後のことだったのだけど……。
「でも、わたしはきにしないの」
「……」
「きにしていたら、きりがないもの」
「――そうか」
「そうよ」
「……」
「……」
「……つよいな」
「――――――え……?」
「おまえは、つよい」
はっきりと。
その子はしっかりとわたしのことを見て、そう言った。
大きな声だったわけじゃない。でも、それはとてもはっきりとした発音で、わたしの耳に届いた。
そして、すとん――と。
それは、わたしの中に入ってきた。
――それからのことは、余りよく憶えていない。
気付いたら、目の前にパパがいて。不思議そうな顔で、「何かあったのか?」と訊いてくるから、咄嗟に「なんでもないわ」と答えたことは、しっかりと憶えているのだけれど……。
その日、お客様をお見送りする時に、わたしはあの子を捜してみた。でも結局、ぞろぞろと流れる人の中に、わたしと同じ目線のあの子を見つけることはできなくて――――。
「結局、夢だったんだって。そう思うことにしたわ。――あの時は」
「夢、か……」
それでも良かったんじゃないか、と笑う。
誰のせいよ、と言ったところで、さてな、なんてとぼけるから性質が悪い。
――あれから、気が付けば8年。
夢の中のひとだと結論付けていたあの時の子どもは、現実味のある存在として再び目の前に現れた。
ただ、あの日のことを確認しあったのは、あくまでつい最近のこと。そしてあくまで、他の皆の前では、雷門での試合が初対面であるかのように振舞った。
それこそ、あの時のことは全部夢の中での出来事であったかのように――――……。
(でも、確かに――ね)
夢であっても、実際困りはしなかったと思う。
だってあれは、お互いの記憶にあるというだけでも充分に『効能』はあった。
――――それでも……。
「夢でも良かったかもしれないけれど……現実にしておく方が、もっと素敵だと思ったのよ」
「そうか」
「それで、どうしてあの時名前を教えてくれなかったのかしら?」
――分かっていたくせに。
作品名:precious memory 作家名:川谷圭