merrymerry-go-round
日曜の午前中に、ドアチャイムがポーンと鳴った。長すぎも短すぎもしない、きちんとした押し方で一度。返事をしなかったらしばらく間を空けて、同じ長さでもう一度。急な来訪者に起こされた風丸は片耳をすまし、ベッドの中でぼんやりその音を聞いている。届け物ならばこちらを急かすふうな連続押しに変わり、新聞の勧誘ならばそろそろ諦めて帰る頃合いのはずだった。受け取る予定の荷物はない。昨晩仕事帰りに朝方まで飲まされたせいで体が泥のように重く、着替えて出て行くのは億劫だった。仮にもし宅急便だったとしても、悪いけれど後でもう一度来てもらおうと思う。
再びまぶたを落としかけたときに、ゆるぎない間隔でまたチャイムが鳴った。無視を決めこもうとしたものの、どうにもそわそわしてならない。布団の中で丸まっていても妙に罪悪感がわいてくる。かすかなためらいをふくんだ四度目のチャイムが鳴ったときに、風丸は諦めてベッドを抜け出した。けして新しくはない彼のアパートに、オートロックやインタフォンは付いていない。椅子の背に掛けていたセーターを急いでかぶり、廊下に出て薄いドアの外へ通るよう声を張って呼びかける。
「はい、どちらさまですか?」
「こんにちは……あの、キヤマです」
遠慮がちに返ってきた柔らかな声の持ち主は、すぐには思い浮かばなかった。ぼやけていた頭をのろのろ働かせ、その「キヤマ」が「基山」であること、それから中学時代のサッカー仲間であった基山ヒロトの名前にふっと思い当たる。思い当たってだいぶ面食らう。
ヒロトとは特にすごく親しくしていたわけではない。同窓会のような集まりがあれば会う機会もあるけれど、少なくとも卒業後もまめに連絡を取り合ったり、家を訪ね合うような仲ではなかった。もちろん一人暮らしを始めてから今まで、こんなふうに訪ねて来られたこともない。
だいいち彼は、神出鬼没だった。都内の公立高校を卒業した後、色々な国でサッカーしている子供が見たいんだ、などと夢みたいなことを言って身ひとつでふらっと海外に渡って行き、独学で写真を撮りながら転々としているらしいという話しは聞いた。連絡がつかないときは円堂の遠征先に電話を掛けてみろよ、というのは誰が言い出したジョークだったか、結局最後までサッカーを選び続けプロの道へ進んだ円堂が試合で海外に出向くと、その後を追うように本当に同じ国へ滞在していることも少なくないのだそうだ。
ヒロトは中学当時から、眩しいぐらいのぶれのなさで円堂のことが好きだ。小さな子供みたいな集中力で。普通に四年制の大学を卒業して、無事に取れた内定に背中を押されるまま製造業のメーカーに就職した風丸の目には、ヒロトの自由さは突拍子もないものに映る。
前に会ったのはいつのことだっけ? ああ、そういえば、円堂の結婚式だったっけかな……。だとしたら、意外に最近だ……。
もうずっと昔のことのようなひと月前の出来事に思いを巡らせながら、風丸はドアの鍵とチェーンを外す。サッと吹き込んでくる冷たい外気の中、ダウンジャケットのポケットに手を突っ込んで立っていた細身の青年が、青白い頬を寒さに染め、はにかむように笑った。披露宴の席でも思ったけれど、ヒロトは間をあけて会っても、驚くほど中学の頃と印象が変わらない。
「ごめん。やっぱりまだ寝てたんだ。ちょっと時間が早いから迷ったんだけど。お邪魔だったかな?」
「いや、平気だよ。でも、どうしたんだよ、急に。びっくりするじゃないか。とりあえず上がれよ」
風丸は動揺を飲み込み、ヒロトを部屋へ招きいれた。毎週簡単に掃除をしているから、客を上げられないほど散らかってはいない。嬉しそうについてきたヒロトは、興味深そうに手狭なワンルームを眺め回すと、いい部屋だね、と言った。ベッドと机以外には何もない部屋を褒められた風丸はどう答えたものか迷い、あいまいな苦笑を返す。
「コーヒーと紅茶、どっちがいい?」
「ああ、おかまいなく。君と一緒でいいよ」
「じゃあ、コーヒーでいいかな。インスタントで悪いけど」
「ううん、ありがとう」
マグカップに粉コーヒーとお湯を注ぎ、冷蔵庫から出した牛乳を添えて出してやる。カップを渡したとき触れた指先はずいぶん冷たかった。すっぽりと手のひらで覆うようにカップを包み込んだヒロトがコーヒーに口を付けるのを待ってから、風丸は話しを切り出した。
「それで? 俺に何か急用でもあったのか?」
「うん。この間、持ち合わせが足りなくて、君にタクシー代を借りたよね。それを返しに来たいと思っていたんだ。本当はポストに封筒を入れて帰ろうと思ってたんだけど、せっかく日曜日だし、もしかしたら家にいるかなと思って。ついチャイムを鳴らしてみちゃった」
「ああ……」
とうに忘れていたことを持ち出され、風丸は目をみはる。確かに結婚式の二次会のあと、さらに当時のチームメイトと仲間うちで飲みに行った帰り、終電を逃してしまった彼に、たまたま多く持っていた自分が足りない分のタクシー代を貸した。でもほんの二千円ばかりだし、返すのは今度会ったときでいいよと言ったものの、戻って来なくても別に構わないとも思っていたものだ。
そんなのわざわざ持って来なくても、本当に今度会ったときでよかったのに。手間だっただろ」
「そうでもないんだ、近くに寄る用事があったから、そのついででね。それより、ねえ、今日は一日暇かな? 暇なんだったら、遊園地に行かない?」
「え。遊園地? どうして?」
「姉さんから株主優待券を貰ってたんだよ。ここへ来る途中、財布の中にしまってあったことを思い出したんだ。有効期限が今月末までだったから、もう切れちゃうだろう? ほら、稲妻町の隣街にある、最近出来たばかりの…ええと、なんて言ったかな……。あ、それとも今日はもう、他の人と約束があった?」
「いや、特に用事はなかったけど……」
「ほんと? ちょうどよかった。じゃあ一緒に行こうよ。ここで待ってるから、着替えて支度しておいでよ。朝ごはんは外で食べよう」
笑みを浮かべたヒロトに邪気なくうながされた風丸は、ぽかんとした。本当に今から二人で遊園地へ行くつもりなんだろうか。しかも、どうして自分と? あまりに脈絡がない。
疑問がとりとめなく頭をよぎったが、どれもうまく外へは出て来ないまま洗面所へ向かう。迷っているのに、人を待たせているという状況に体は自然とてきぱき動いた。気づけば出かけるつもりでジャンパーをはおって、通勤用の鞄から財布と家の鍵を取り出している。
支度を終えた風丸が半分途方にくれてヒロトの前に戻ると、いじっていた携帯をたたんだ彼はぱっと立ち上がり、歌うように「ネバードリーム・アイランドだ」と、言った。
「なに?」
「遊園地の名前。いま思い出したよ」
聞いたことないなぁと呟きながら、妙なことになったと風丸は思う。でも用事がなかったのは本当だし、この頃はずっと長すぎる休日の時間をもてあましていることも事実だった。そう悪くはないのかもしれないと思い直して、検索した電車の時間を教えてくるヒロトにうなずき返す。
再びまぶたを落としかけたときに、ゆるぎない間隔でまたチャイムが鳴った。無視を決めこもうとしたものの、どうにもそわそわしてならない。布団の中で丸まっていても妙に罪悪感がわいてくる。かすかなためらいをふくんだ四度目のチャイムが鳴ったときに、風丸は諦めてベッドを抜け出した。けして新しくはない彼のアパートに、オートロックやインタフォンは付いていない。椅子の背に掛けていたセーターを急いでかぶり、廊下に出て薄いドアの外へ通るよう声を張って呼びかける。
「はい、どちらさまですか?」
「こんにちは……あの、キヤマです」
遠慮がちに返ってきた柔らかな声の持ち主は、すぐには思い浮かばなかった。ぼやけていた頭をのろのろ働かせ、その「キヤマ」が「基山」であること、それから中学時代のサッカー仲間であった基山ヒロトの名前にふっと思い当たる。思い当たってだいぶ面食らう。
ヒロトとは特にすごく親しくしていたわけではない。同窓会のような集まりがあれば会う機会もあるけれど、少なくとも卒業後もまめに連絡を取り合ったり、家を訪ね合うような仲ではなかった。もちろん一人暮らしを始めてから今まで、こんなふうに訪ねて来られたこともない。
だいいち彼は、神出鬼没だった。都内の公立高校を卒業した後、色々な国でサッカーしている子供が見たいんだ、などと夢みたいなことを言って身ひとつでふらっと海外に渡って行き、独学で写真を撮りながら転々としているらしいという話しは聞いた。連絡がつかないときは円堂の遠征先に電話を掛けてみろよ、というのは誰が言い出したジョークだったか、結局最後までサッカーを選び続けプロの道へ進んだ円堂が試合で海外に出向くと、その後を追うように本当に同じ国へ滞在していることも少なくないのだそうだ。
ヒロトは中学当時から、眩しいぐらいのぶれのなさで円堂のことが好きだ。小さな子供みたいな集中力で。普通に四年制の大学を卒業して、無事に取れた内定に背中を押されるまま製造業のメーカーに就職した風丸の目には、ヒロトの自由さは突拍子もないものに映る。
前に会ったのはいつのことだっけ? ああ、そういえば、円堂の結婚式だったっけかな……。だとしたら、意外に最近だ……。
もうずっと昔のことのようなひと月前の出来事に思いを巡らせながら、風丸はドアの鍵とチェーンを外す。サッと吹き込んでくる冷たい外気の中、ダウンジャケットのポケットに手を突っ込んで立っていた細身の青年が、青白い頬を寒さに染め、はにかむように笑った。披露宴の席でも思ったけれど、ヒロトは間をあけて会っても、驚くほど中学の頃と印象が変わらない。
「ごめん。やっぱりまだ寝てたんだ。ちょっと時間が早いから迷ったんだけど。お邪魔だったかな?」
「いや、平気だよ。でも、どうしたんだよ、急に。びっくりするじゃないか。とりあえず上がれよ」
風丸は動揺を飲み込み、ヒロトを部屋へ招きいれた。毎週簡単に掃除をしているから、客を上げられないほど散らかってはいない。嬉しそうについてきたヒロトは、興味深そうに手狭なワンルームを眺め回すと、いい部屋だね、と言った。ベッドと机以外には何もない部屋を褒められた風丸はどう答えたものか迷い、あいまいな苦笑を返す。
「コーヒーと紅茶、どっちがいい?」
「ああ、おかまいなく。君と一緒でいいよ」
「じゃあ、コーヒーでいいかな。インスタントで悪いけど」
「ううん、ありがとう」
マグカップに粉コーヒーとお湯を注ぎ、冷蔵庫から出した牛乳を添えて出してやる。カップを渡したとき触れた指先はずいぶん冷たかった。すっぽりと手のひらで覆うようにカップを包み込んだヒロトがコーヒーに口を付けるのを待ってから、風丸は話しを切り出した。
「それで? 俺に何か急用でもあったのか?」
「うん。この間、持ち合わせが足りなくて、君にタクシー代を借りたよね。それを返しに来たいと思っていたんだ。本当はポストに封筒を入れて帰ろうと思ってたんだけど、せっかく日曜日だし、もしかしたら家にいるかなと思って。ついチャイムを鳴らしてみちゃった」
「ああ……」
とうに忘れていたことを持ち出され、風丸は目をみはる。確かに結婚式の二次会のあと、さらに当時のチームメイトと仲間うちで飲みに行った帰り、終電を逃してしまった彼に、たまたま多く持っていた自分が足りない分のタクシー代を貸した。でもほんの二千円ばかりだし、返すのは今度会ったときでいいよと言ったものの、戻って来なくても別に構わないとも思っていたものだ。
そんなのわざわざ持って来なくても、本当に今度会ったときでよかったのに。手間だっただろ」
「そうでもないんだ、近くに寄る用事があったから、そのついででね。それより、ねえ、今日は一日暇かな? 暇なんだったら、遊園地に行かない?」
「え。遊園地? どうして?」
「姉さんから株主優待券を貰ってたんだよ。ここへ来る途中、財布の中にしまってあったことを思い出したんだ。有効期限が今月末までだったから、もう切れちゃうだろう? ほら、稲妻町の隣街にある、最近出来たばかりの…ええと、なんて言ったかな……。あ、それとも今日はもう、他の人と約束があった?」
「いや、特に用事はなかったけど……」
「ほんと? ちょうどよかった。じゃあ一緒に行こうよ。ここで待ってるから、着替えて支度しておいでよ。朝ごはんは外で食べよう」
笑みを浮かべたヒロトに邪気なくうながされた風丸は、ぽかんとした。本当に今から二人で遊園地へ行くつもりなんだろうか。しかも、どうして自分と? あまりに脈絡がない。
疑問がとりとめなく頭をよぎったが、どれもうまく外へは出て来ないまま洗面所へ向かう。迷っているのに、人を待たせているという状況に体は自然とてきぱき動いた。気づけば出かけるつもりでジャンパーをはおって、通勤用の鞄から財布と家の鍵を取り出している。
支度を終えた風丸が半分途方にくれてヒロトの前に戻ると、いじっていた携帯をたたんだ彼はぱっと立ち上がり、歌うように「ネバードリーム・アイランドだ」と、言った。
「なに?」
「遊園地の名前。いま思い出したよ」
聞いたことないなぁと呟きながら、妙なことになったと風丸は思う。でも用事がなかったのは本当だし、この頃はずっと長すぎる休日の時間をもてあましていることも事実だった。そう悪くはないのかもしれないと思い直して、検索した電車の時間を教えてくるヒロトにうなずき返す。
作品名:merrymerry-go-round 作家名:haru