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神月みさか
神月みさか
novelistID. 12163
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猛獣の躾け方の話

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 とあるマンションの一室内での攻防は、あっという間に決着がついた。力量に差がありすぎた為だ。
 敗者は不貞腐れた顔で勝者の腕の中に納まっている。非常に不本意そうだが、実力行使では勝てないことを思い知ったのだろう、抵抗を見せることはなかった。

「――今日こそは、僕が静雄さんを抱っこするつもりでしたのに」

 丸い頬を膨らませて言う敗者・竜ヶ峰帝人に、勝者・平和島静雄は勝ち誇った笑みで応じた。

「いいじゃねえか。俺なんざ抱いても重いだけだろーが」
「ですが、僕は静雄さんの飼い主なんですから、一度ぐらい抱っこしたいです」

 拗ねた口調はまるきり子供のようで、静雄の笑みを深くさせる。静雄はどんな帝人も好きだったので、胡坐をかいて座っている自分の膝の上に横座りになって腰を抱かれるといった無防備な姿勢を晒したまま膨れている少年もまた、殊の外可愛らしく思えた。

 しかし帝人は彼自身の主張どおり、静雄の飼い主だ。機嫌を損ねさせたままにしておくのは得策ではない。
 静雄は自分の行動をフォローできるような言葉を捜した。

「んー……でもよ、なんか、昔のアニメで見たんだけどよ、デカイ犬に飼い主の少年がくるまれてるみてーなの、俺は憧れたがなぁ」
「それ、その少年は生きていましたか? ちなみに僕が憧れたのは、ふかふかのウサギを膝の上に抱っこしながら餌をあげる情景です」

 帝人の言葉に、静雄はその情景を想像しながら少しだけ考え込み、言ってもいいのか迷いながらも意見を口にした。

「……けど俺が帝人の膝の上に乗ったらよ……?」
「――少しぐらいの時間でしたら、持ちますよ。きっと」
「いや、少しぐらいとかきっととか、無理してまですることじゃねーだろ」

 飼い主の希望を却下しながらも静雄は、頭の中では多少の修正を加えた妄想を繰り広げてみた。

(帝人を今みてーに膝の上に座らせて、腰を抱きながら、メシを食わせて貰うとか……『静雄さん、あーん』とか……なんかいいな、そーゆーのも)

 しかし言葉には出さない。少しばかり変態くさい妄想だという自覚は、さすがの静雄にもあったからだ。
 なので余計な口を開く前にと、静雄は目の前にあった鼻を唇ではむりと挟んだ。こうして口を塞いでいれば失言することはない。

「静雄さん、話の途中ですよ?」
「この高さ、いいよな。舐めやすい」

 唇を頬に移しながら言う。誤魔化す為の言葉だが、本心でもある。
 こうして帝人が膝の上に乗っていると、顔の高さがほぼ同じくなる。むしろ帝人の方が少し高いぐらいだ。
 いつもの上から抱え込むような体勢も好きだが、この高さだと耳の下や顎なども舐めやすくなる。

 なので静雄は早速実行してみた。
 顎を唇で軽く挟んだ後、骨をたどるように耳の下まで舌を這わせる。

「しーずーおーさーん?」
「んー……」
「ダメですよ。ひとの話はちゃんと聞かないと」
「聞いてるー」
「……もう、ホントに……」

 困ったような口調ではあるが、右手ではずっと静雄の金色の髪を撫でてやっている。これでは注意などいくらしても無駄なことに、帝人は気付いていないようだった。ダメ飼い主の見本である。

 案の定、付け上がった静雄は耳を噛んだり首筋を舐めたりと好き放題だ。腰にまわした手で撫でまわしていないだけまだマシだとしか言いようがない。
 帝人も基本的には目一杯甘やかす派の飼い主なので、まったくもう静雄さんは、と口では言いながらも、いつも好きにさせている。

 しかしこの日は少し違った。

「――あ。そういえば」

 思い出したように呟くと、小さな手を差し入れて、静雄の唇を遮った。
 
「んー……?」
「実は昨日、言われてしまったんです。躾は飼い主の責任だから、躾を怠るひとは飼い主失格だって」
「躾、か?」

 帝人は以前、躾というものをしたことがないと言っていた。
 静雄に対しても、躾をする気はないと言っていた。
 そうして、どんな親馬鹿も飼い主馬鹿も敵わないくらい、でれでれに静雄を甘やかし続けている。

 しかし、躾をされていないからといって、静雄は他人に迷惑を掛けた覚えはない。少なくとも首輪を着けられている間は。
 主に首輪を着けていない仕事中等、日々大量に掛けまくっている迷惑は、帝人に飼われる以前からのものであり、帝人の躾は関係ない。
 静雄はそう思い、内心ムカついた。
 その忠告者が木田だか紀野だかいう帝人の友人だった場合、デコピンのひとつはくれてやらねばと思いながら、帝人に訊ねた。

「誰に言われたんだ? んなこと」
「田中さんです」
「……トムさん、か……」

 静雄が忠告を素直に受け入れる数少ない人間の名前を出され、さすがに反論はできなくなる。
 トムさんが言うなら仕方がない、ではない。トムさんが言うならばそうなのかもしれない、と自然に考えてしまうのだ。

「……躾って、どんなんだ? 俺はどんな躾が足りてねえって思われてんだ?」

 トムとは静雄も昨日会っている。しかし静雄に直接言わずに帝人に言ったということは、トムも帝人を静雄の飼い主として認めてくれているからだろう。
 静雄よりも帝人の方がまだ常識と良識があると踏んでの人選であるなどと考えもしない静雄は、素直にそう考えた。そして情けなさそうに眉を下げた顔で帝人の目を覗き込んだ。

 何故か帝人も釣られるように表情を曇らせた。
 この飼い主は、ひたすら静雄に甘いのだ。相手が悲しそうな表情をしていれば、帝人自身まで悲しくなってくる。

「足りていないのは、僕の方です。静雄さんは悪くありません。言ったでしょう? これをしている間は、すべての責任は僕にあるって」

 帝人はそっと静雄の首に指を伸ばした。
 けれども触れたのは暖かい肌ではなく、冷たい皮製の首輪だった。透明感のある真珠色に輝くそれは、帝人がこの部屋を訪れてすぐに手ずから着けたものだ。

「それに、田中さんは静雄さんではなく僕に注意したんです。きっと僕の力量不足に、忠告せずにはいられなかったんだと思います」
「んなことねえよ。トムさんは帝人を俺の飼い主だって認めてくれてる。だから俺じゃなくて帝人に言ったんだろ?」
「そう……でしょうか? だったら嬉しいんですが……」
「そうに決まってる。だろ? 俺とは毎日会ってんだから、言いたいことがありゃ俺に言う方が早いんだ。なのに態々帝人に言ったってこたぁ、帝人のことを認めてるってことだろ?」
「……はい」

 傍から聞いていれば嫌になるような甘ったるい会話だが、本人達はいたって大真面目だ。

 帝人は表情を緩めると、ほんの少しだけ下にある静雄の目を見つめながら言った。

「田中さんが言うにはですね、せめて『待て』だけは躾けろとのことなんですが……」
「『待て』?」
「はい。それが出来ていないと判断されているようなんです」
「……『待て』か……」

 静雄はそっと首を傾げた。

 他人に迷惑を掛けているつもりはこれっぽっちもない静雄だが、視覚の迷惑というものが世の中にはある。
作品名:猛獣の躾け方の話 作家名:神月みさか