[童話風]草原の王様のお話
最後の子供は、東の国の王と差し違えてでも父の敵を取るつもりでいましたので、素早く飛びかかりましたが、あっという間に押さえ込まれてしまいました。
「よく見るんだ、最後の子供」
東の国の王は言いました。
「そして、選べ。時間をやる」
最後の子供は、東の国の王の隣に、草原の王様と仲の良かった男の顔を見つけました。
「俺の下にあることは不幸ではない」
左右から最後の子供を押さえ込むその腕に、見覚えのある傷がありました。最後の子供は、必死に首をもたげて、左と右の顔を見ました。
「お前の兄たちは俺と共に草原に生きることを選んだ」
なんということでしょう。
草原の王様を愛し、愛されたいくつもの顔が、今は東の国の王の傍らにありました。
「私は死を選ぶ。恥知らず!」
ほとばしる罵りの言葉に、答える声はありません。
最後の子供は縛り上げられて牢へ連れていかれることになりました。
隠れ住んだ森を出て、行列が町をゆきます。
みすぼらしい古い服をまとった最後の子供は、乗せられた車のわずかな隙間から市を見ることができました。
馬で先をゆく東の国の王に、人々が声をかけています。
目を逸らして避ける人がいます。
避けていく人に、兄たちが話しかけます。
共に国を作ろう、立て直そう。そして幸せになろう。
最後の子供は縛り上げられていたので、耳をふさぐこともできませんでした。
兄たちの痛みさえ、道具のひとつとして、東の国の王は着々と草原の国を自分の一部にしておりました。
最後の子供が、自分と同じように深い悲しみと怒りに沈んでいると信じていた民は、明るい笑い声を立ててはおらずとも、東の国の王と戦うつもりもないようにうかがえました。
最後の子供は、王宮でひとつの部屋を与えられました。
見張りは廊下におりましたが、そこは牢屋ではありませんでした。
最後の子供は考えました。
兄たちが東の国の王の下についているのは、油断を誘うために違いない。
昼間に眺めた明るい市のことは心から閉め出して、最後の子供は眠りにつきました。
***
何日かの留守の後、東の国の王が王宮に戻ってきました。
最後の子供はその夜の会議に呼ばれました。
武器は持てませんでしたが、最後の子供はかまいませんでした。
自分が東の国の王に挑みかかれば、兄たちが必ずや父の敵をとってくれる。と、最後の子供は信じて疑わなかったのです。
最後の子供は会議の部屋に入りました。
「北の国の援軍は戻り、南の国は援軍を送っていない。西の国の援軍は、途中で散り散りになった」
東の国の王は、最後の子供の頼んだ援軍が来ないことを知らせるために会議を開いたのでした。
「お前の言うことなど信じない!」
最後の子供は言い捨てて、東の国の王に飛びかかりました。
隣の家来の腰から剣を奪って鞘を抜き払い、東の国の王に振りおろしました。
それを受け止めたのは兄二人の剣でした。
「信じろ、最後の子供よ」
東の国の王は言いました。
「お前の父は民を守ろうとして守りきれなかった。今、草原の民を守っているのは誰だ」
最後の子供は怒りに震えました。
「消えゆく草原の民をながらえさせ、いずれは草原の王の血を引く者の手に戻してやる」
傲慢で尊大な東の国の王は言いました。
「民に愛されるだけが王の全てではない。俺は民をまとめあげて世界を束ねる王になる。そうなればこの草原は永遠に平和にお前たち草原の民のものだ」
「黙れ!」
最後の子供は剣を引き、今度は鋭く突き込みました。
「お前は父を失った痛みを、民を虐げる者への怒りにすり替えている」
「かつての我々のように」
突いた剣先を、二人の兄がはじきました。
東の国の王は、みじろぎ一つしていませんでした。
「国を、民を、守るのならば今は傷をいやさねばならない」
長兄の剣が最後の子供の肩を裂きました。
「大樹の木陰に身を休めねば、我々は父が全てをなげうって護ろうとした民と大地を失ってしまう」
次兄の剣が脇をかすめました。
最後の子供は剣を取り落としました。
「その痛みに耐えきれない者は、王の器でも兵士の器でもない」
最後の子供を見据えて、東の国の王は言いました。
「お前が剣をもう一度取るならば、刺客としてこの場で殺す」
じわりと血の染みが広がり、痛みが最後の子供の神経を刺します。
「だが、剣を取らずに去るのならばお前はただの娘だ」
この王を殺せば、北からも南からもまた軍隊が押し寄せてくることになります。
そして今度こそ、民は根こそぎにされるでしょう。
殺されるか、あるいは盾をつとめきれない草原に失望して去ってゆく。
手足のように軍隊や臣下を操れる王たちと違い、自分の手足で働くことが精一杯の民に、草原の王に殉じて死ねとは言えません。それこそ、民をなくして国が滅びることになるでしょう。
最後の子供が自分ひとりで民を守りきれるべくもなく、民もまた草原の王の最後の子供に望みを託してはいないのです。
最後の子供ただひとりが、東の国の王を殺したいのでありました。
「お前の痛みを晴らすために、東の王を殺してはいけない」
兄が言いました。
最後の子供はかがんで剣を拾い、握ろうとしました。
けれど、力が入りません。
ぽたぽたと熱い滴が、鈍い金色の柄に落ちました。
「去れ、小娘」
東の国の王が言いました。
「我が民として、お前がこの国のどこかで幸せになることを許そう」
最後の子供は剣を捨て、ふらりと部屋を出ました。
廊下には草原の民であった兵士が何人も並んでおり、最後の子供が出てくるのを見ると姿勢を正して礼をしました。
「どうか、お幸せに」
「どうか、お幸せに」
小さな祈りがいくつも耳に届きました。
「お幸せに、エリザベータ姫」
その祈りこそ、父であった草原の王様が、失意の姫君に残した唯一の財産でありました。
***
出会う人々の祈りに救われながら、最後の子供であった者は旅に出ました。
名を呼ぶ者もいない遠い遠い場所へたどり着くことになるこの娘を、この物語では、父と兄と民と彼女が愛したものの名を取って馬と呼びましょう。
***fin***
作品名:[童話風]草原の王様のお話 作家名:佐野田鳴海