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人で無し

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唐突に、不快な音が響き渡った。

 聞こえてくるのはびいびいと泣きじゃくる雑音と、割れ鐘が鳴るような連続する打撃音だ。それを耳にして僧衣を纏った男は、ふう、と溜息をついた。
「やれやれ、金吾さんは……またですか」
 わざとらしく首を振った男の白い髪がゆらりと宙を舞った。

 はたして、そのまま音の方へ近寄るでもなく佇んでいた天海の傍へ、砂煙をあげて突進するような勢いで小柄な男が駆け寄ってきた。さらにその後ろには、金吾を追う男の姿がある。
「天海さまぁぁぁ!助けてェ!」
「逃げるな金吾、頭を垂れて土下座しろ!その首この場で刎ね飛ばす!」
 物騒な形相で追う凶王を引き連れながら、鍋を背負ったわりには逃げ足の速い金吾はさっと天海の後ろへ隠れた。それを眼にとめて、三成は少し離れた所で用心深く足を止める。
 天海は警戒に満ちた凶王の視線を捉えて、無暗ににこりと笑ってみせる。途端、凶王は怒りに染まっていた顔をさらに歪ませた。天海は表の顔の裏で、唇の端を吊り上げるように笑みを深める。この男、直情的で頭の回らぬ将のようでいて、案外正しく鼻が効く。裏切りの匂いがすると断定された時には思わず声をあげて笑ってしまったものだ。
「おやおや、どうされました。金吾さんがまた何か粗相でも?」
「またって、僕そんなことしないよぉ天海さま!」
 己の後ろに隠れたまま、情けない声をあげた男を無視して天海が視線を投げかければ、凶王は苦々しい顔で天海を睨み据える。
「貴様に用はない。金吾を突き出せ」
「そうですねえ……」
「考えないで天海さま!僕の命の危機なんだから!」
 金吾は喚くが、この二人のやり取りは慣れ合いの域に入っていると天海は踏んでいる。さすがの凶王も、進んで自軍に引き入れた将を殺すことまではしないだろう。ならば要らぬことを金吾が言い、それに対して凶王が制裁を加えるという一連の流れは、見ていて飽きがくる程度の見世物でしかない。
「まあ、金吾さんもこの通り反省しておりますし」
 ひと言たりとも言っていない内容をしゃあしゃあと口にすれば、凶王は掴んだ刀に手をかけた。
「……徳川軍との戦の前に、金吾さんを殺してしまっては元も子もありませんよねえ」
 にいと笑いながら告げれば、凶王はさらに視線を鋭くしたまま答えない。
 それを見てとった金吾が、己の立場の優位を悟ったか、また要らぬ口を開いた。
「そ、そうだよ、三成くん!僕がいないと君だって困るんだからね!」
 天海は不穏な笑みを湛えたまま、特にその行為をたしなめはしない。
「家康さんはやさしいし、秀吉さまだって倒せちゃうくらい強いんだから!三成くんひとりじゃどうやったって」

 次の瞬間、凶王は何も言わずに腕を振るった。眼にも止まらぬ異様な速さで走った刃が、正確に天海の後ろから顔を覗かせている金吾の喉元を狙う。ひ、と金吾が引き攣った悲鳴をあげた。天海は微動だにせず、その刃の迫る様を笑いながら見ていた。

「―――三成、」

 凶王の後方に舞い降りた輿を視界に入れていたからだ。

 金吾の喉を貫かんとしていた刃がぴたりと止まる。天海の袖に後ろから縋ったまま、がちがちと歯を鳴らす男の喉元に、一滴だけ赤い雫が滲んだ。
 天海は鬱陶しげに自分に縋る手を見てから、己の傍で攻撃態勢のまま動きを止めた男を見下ろした。何ら焦りのない悠然とした姿だった。
「……まあ、妥当な展開でしょう」
「ぬしも金吾の軽い口を縫いとめておけばよいものを」
 そう言いながら、名を呼ぶだけで凶王の殺意を抑えた男は眼を細めた。
「子守りには慣れておらぬか、」
「貴方は慣れていそうですねえ」
 揶揄する口調で返せば、わずかに辟易した眼をした大谷は、次の瞬間わざとらしく溜息をつく。
「行け。金吾、三日は三成の前に顔を出してくれるなよ」
「刑部……!」
 怒りに震えながらも刃を納めた凶王が、大谷へ向けて不満げに唸る。それを宥める姿をおやおや御苦労さまですと哂って見やりながら、天海は「さ、行きますよ金吾さん」と促した。



作品名:人で無し 作家名:karo