CS
年が変わって早々に野球部は始動し、既に練習は三日目を迎えている。
とは言え真冬の冷え込みは厳しく、休校日の校内は電気もろくに点いていないので日が落ちボールが見えなくなる頃にはダウンの指示が飛んだ。
狭い部室で他の部員が昨日の正月番組が面白かっただの冬休みの宿題が終わらないだの話しながらダラダラと着替えている中、水谷とオレは一足先に外に出る。
今日は水谷の誕生日。
帰りに学校からそう遠くない水谷の家に寄って、ささやかに祝ってやる約束をしていた。
来慣れた玄関で靴を脱ぎ、いつも通り出迎えてくれた水谷のカーチャンと初めて会うトーチャンに言葉少なに年始の挨拶をしてから先に部屋へと向かう。一見小奇麗にしているように見えるが、読み終わった雑誌や服が隅の方に積み上げられているのが片付けが苦手な水谷らしい。
ちょっとだけ物を置いておく場所が欲しくて学習机を埋め尽くしている課題のプリントやCDを強引に端に寄せると、よほど不安定だったのかドサドサガンッという音を立ててそれらが落ち、埃が舞い上がった。
「……やっちまった」
ちゃんと仕舞っておかねーからこういう事になるんだろーがとぶちぶち文句を言いながら拾い上げていると、おっまたせーと声だけで判断できるぐらい上機嫌な様子で部屋の主が入ってくる。
「何してんのー?」
「雪崩が起きた」
「あーごめんなー」
全部回収するとそれを受け取った水谷は、纏めるでも無く山の上に被せる。その都度あるべき場所に戻せばこうはならないんじゃねーの? と助言してやろうかとも思ったけど、面倒くさいからやめた。
だいたい、今手にしている物を渡してしまえば済む話だ。
「これやる」
「え!? 何?」
「誕生日プレゼント」
「……せめてラッピングぐらいしようよ」
「いらねーなら返せ」
「いるよ! けどさー、スーパーの袋じゃなんか寂しいって言うかさー」
言いながら取られないようにオレから少し距離をおき、背中を向けて中身を確認している姿を見ていたらこいつも散々ネーチャンに虐められてきたんだなとガキの頃の辛い日々が思い出された。兄貴には絶対服従。理不尽だろうが何だろうが、それは年下の定めだ。
「あー! キャラメルソースだー! オレが散々探しても見つからなかったのに、どこにあったのー?」
「業務用スーパー……ってお前、いきなり何やってんだよ」
瞳を輝かせながら茶色の液体が入ったボトルを早速開けようとしている水谷に突っ込むと、え? 飲もうと思って、と信じられない答えが返ってきた。
「マジかよ……」
「うん。夢だったんだよねー」
この前一緒に出掛けた時、ワゴン車で店を開いているクレープ屋に吸い寄せられるように並んだ水谷が即決で選んだのが『塩キャラメルスペシャル』。お前が悩まねーなんて珍しいなと驚くオレに、自分がどれだけ生クリームとキャラメルのコラボレーション(水谷がそう言った)に目が無いかを力説し、チョコレートやメープルシロップはどこのスーパーにも置いてあるのに何でキャラメルは無いんだと大袈裟に嘆いてみせたのを本人はすっかり忘れているようだ。
「せめてスプーン使えよ」
「それじゃロマンが無いじゃん! ここは男らしく、直に吸わせて!」
どっかおかしいんじゃないかと思うぐらいに興奮状態の水谷は、男らしさのかけらもないアイテムのキャップを取り、口を付けた。容器の中央をそっと両手で押すと、余裕無さげに強ばっていた頬が徐々に綻び出す。
「……うめーの?」
「あっ……まーい! 口の中が凄い! キャラメル!」
「じゃなきゃこえーよ」
オレの問いかけに答える為に一度突起から口を離した水谷は、貧困すぎる語彙でその喜びを伝えてくれた。これ以上無く幸せそうな表情の方がよっぽど雄弁だと思う。
「でも後に苦みが残るなー」
「へー」
「やっぱチョコレートとは違うねー」
「お前まさか」
「ん? あるよ? あ、一番最初はもちろんホイップだけど」
何がもちろんなのかはさっぱりわからないけど、こいつの甘い物に対する情熱はオレの想像を遥かに超えていたらしい。聞いているだけで気持ちが悪くなってきた。
「最後の、この喉が焼けるような感覚がいいんだよねー」
「そこまで糖分摂取した事ねーから知らねーよ」
「アレに似てるんだよー。泉のを飲んだ後?」
「……何だそれ」
「ほら、出したのを飲み込むと喉に纏わりつくじゃん。あんな感じ」
思い出そうとした途端、頭の中がヤっている時の水谷の顔でいっぱいになる。たかがそれだけの事でその気になるなんて、オレも単純だ。
泉も試しにどう? と差し出されたボトルを奪い取ると、さっき無理矢理作った机上の空きスペースにそれを置き、水谷に向き直った。
不思議そうに首を傾げている水谷をベッドに突き飛ばし、ゴツッと後頭部を壁に打ちつけながらも何とかそこに座ったのを確認するとティッシュの箱を乱雑に掴み、手に届く位置に放る。
「いったー……。何すんだよ、急に」
「糖尿病になりたくねーから、こっちにしておく」
どういう事? と眉間に皺を寄せた水谷を目を細めて上から見下ろし、上手く発声出来ずに変な音を喉で鳴らして怯んだ隙に床に膝をついて目の前のベルトに手をかけた。
え? ちょっ……今日親いるから! と焦る声を無視して、一気に目当てのモノ取り出す。少なくとも両手で数えられないぐらいはしてるだけあって、我ながら手際が良い。
「泉!」
「口でするだけなんだからそこまで声出ねーだろ。っつーかさ、これぐらいで半勃ちとかどんだけ期待してんだっ……!」
ソレを軽く握り、ちょっと突付きながらからかってみたら明らかに目が据わった水谷の右手がオレの頭を押さえつけてきた。既に先端をヌルつかせている熱が唇を掠め、鼻にぶつかる。
口開けて、とさっきとは逆に興奮を抑え色めいた声が頭上から降ってきた。
まあオレもふざけすぎたしな。だからって、素直に望みを叶えてやるつもりはねーけど。
舌先だけで触れて割れ目から染み出た透明の液体を舐め取り、そのまま上下に往復すると、ね、ちゃんとして、と甘く懇願される。それを鼻で笑ってあしらい、唇で余った皮を横に引っ張っていると水谷の体を支えていたはずの左手が伸びてきて、自分で押し下げてしまった。髪を撫でていた右手はオレの顎を掴み、上向かせられる。
「……無理矢理口に突っ込まれたい?」
「やってみろよ。歯、立てられてーならな」
人間には向き不向きってもんがある事ぐらい、十六年も生きてきたならいい加減学べ。付け焼き刃で強気に出たって、お前がヘタレな事には変わりねーんだよ。
案の定、本当にやりかねないとでも思ったのかオレの顔から離した手をだらりと下げ、ごめん、もう我慢の限界……と水谷が泣きそうな顔で訴えてきた。オレも別にそこまで焦らすつもりは無かったから、遊ぶのを止めてそろそろ真面目にヌいてやる事にする。