初めての
「うっまぁーーー!」
シンドウ家の広い食堂に、タクトの声が木霊する。本日の洋風のフルコースが、彼はいたくお気に召したようだ。料理の乗った皿がタクトの目の前に置かれる端から、次々と綺麗にされていっている。おかわりまでしているのに、その勢いは留まるところを知らないかのようだ。食べ盛りという事もあるのだろうが、あの細い身体の何処にあれだけの量が納まっていっているのか、少し不思議にもなる。
タクトを家に呼んだ事は、まったくの思い付きだった為に日が暮れてしまっているような時間では、すぐに返すことになるかと少し落胆していたのだが。彼の方から泊まりたいと申し出てきてくれて、スガタはいつになくくすぐったい様な浮かれた気分になっていた。いつまでも制服のままでは動きづらいだろうと、貸したスガタのシャツに着替えたタクトを見る度に不思議とそのくすぐったさが増していく。
魚にしろ肉にしろ野菜にしろ、一口食べるごとに「はぁ」だの「ふぅ」だのと感嘆の溜息をいちいち漏らしては目を閉じて味わうその食べ方は、けして上品ではないのだが。あまりに美味しそうに食べているので、ついつい微笑を誘われてしまう。
客人の前で余計な感情を表すべきではないと教育されている筈の使用人達が、笑顔でそんなタクトを見守っているのだから、スガタは改めてタクトのその無邪気な魅力に感心してしまう。それと同時に、先程の、切ない瞳で自分の名前を呟いていた彼や、伏目がちに泊めてほしいと願い出た彼と同一人物なのが信じられない。
「あ、すいません。このタレ、なんの味なんですか?」
よほど気に入ったのか。皿を取り替えようとしていたタイガーに、肉料理を指してタクトが訊ねた。ナイフで料理を指すので、少し行儀が悪い。
「それはグレービーソース。肉汁を利用して野菜やワインと煮詰めて作るんだ」
気がつけば、答えようとした彼女よりも先にスガタは答えていた。遮るカタチになってしまったタイガーは恐縮したようにちらりとこちらを見て、そそくさと皿を下げていった。
「へぇー。スガタ、物知りだなー」
咄嗟の自分の行動に自分で驚いているスガタなど露知らず。素直に感心しているタクトの真っ直ぐな眼差しに、スガタは後ろめたい気持ちになっていた。
これではまるで、タクトがスガタ以外の誰かと少しでもやりとりすることさえ我慢できないかのようではないか。
(いや、違うな。まるで、じゃなくてそのままの通りだ、今のは……)
タクトが人懐っこい猫のようにタイガに訊ねた瞬間、チリッと胸の奥に静電気のような違和感が走った。
それが、体内を巡り喉奥に到達することで苦味と知る。間違いない、これは嫉妬だ。
一足先に食事を終えていたスガタは、喉の奥の不快感を珈琲で流し込む。まったくどうかしている。タクトに興味を持っていたのは出会ってからずっとだ。けれど、互いの胸の内を曝け出したあの時から、興味などという範疇をゆうに超えてしまったようだ。おかげで、気持ちの制御がおかしくなってしまっている。
「ごっちそーさまぁ!」
遅れて食べ終えたタクトが、手を合わせ元気よく挨拶をした。それを見てジャガーがくすくすと笑っている。同じように笑ってしまっていたスガタは、ふとあることを思い出した。呼ばずともこちらに気がついて近づいてきていたタイガーに軽く訊ね、目的の物があると知ったので厨房に足を向ける。
「スガタ? どっか行くのか?」
「ちょっとね。タクトはまだここにいて」
そうして、スガタが取って来たのは、皮付きのメロンのアイスだった。
「うお、すご! レストラン以外で見たことないぞこんなの」
「丁度あるのを思い出して。好きだろ?」
「うはー。スガタ、いい奴ー」
読み通り好物だったらしく、指を組んだ状態の手を頬にあてタクトが感激している。その飾らない素直さが可愛くて、悪戯心がむくむくと湧き上がってきてしまった。
アイスに添えられていたスプーンを取り、一口分を盛りタクトの前に差し出した。
「じゃあ、タクト。あーん」
「なんで!?」
病人でもあるまいに、当然の突っ込みが入るが。スガタは笑顔で流した。
「お前があんまり美味しそうに食べるから、僕からもあげたくなったんだ。アイス、溶けるぞ?」
「ぐ……。お前やっぱり性格悪い方が地なんだな」
嫌悪感に失礼なことを呻くタクトだが、アイスの魅力と食欲には勝てなかったようで、しぶしぶとスプーンに食いついた。
「ああ、でもこれも美味い……!!」
何故かどこか悔しげにアイスの美味しさを噛み締めていたタクトだったが、今更気がついたようにスガタに眼を向けて問いかけてきた。
「ていうか。なんでスガタは僕の好きなものを知ってるんだ?」
「お金ないって言ってたのにアイスは買ってただろ、メロン味。それを覚えてただけのことだ」
本当にそれだけのことなのだが。タクトは神妙な顔つきになった。
「なんか……。お前って本当に僕のこと見てたんだな」
これまた今更なことをタクトがしみじみと呟いた。そんなこと、あの時に既に言った筈なのだが。
と、シャーベット状のアイスの端が少し溶け始めていることに気がついたスガタがデザートの再開を促した。
「まだ食べるだろ?」
「ん。ほしい。スガタ、もっとちょーだい」
先程の渋面は何処へやら。一口食べたら気にならなくなったのか、口をパクパクさせて催促してくる。鳥の雛みたいだ。そう思ったら、クセっ毛のタクトの赤毛が巣のように見えてきた。タクトが鳥だとタクトリかな、などとくだらないことをまで考えてしまい笑いが込み上げてきてしまう。
「ん? なんだよ、変な笑いして」
「多分、言うと怒るよ」
「つまり、僕が怒るようなこと考えてるって事だよね……って、おいスガタ!」
急に真顔になったタクトが、スガタの背後を指し示す。そこには、テーブルの脇で蹲り、息を荒らげてぷるぷると震えているジャガーとそれを介抱しているタイガーの姿があった。
「ジャガー!?」
慌てて駆け寄り、具合でも悪くなったかと訊ねるが、タイガーの返事は「彼女は大丈夫ですから」の一点張りだった。
結局、彼女を落ち着かせるということで、本人の希望もあり、彼女と付き合いの深いタイガーに任せ、二人は食堂からダイニングへと移った。ジャガーの突然の変調が気にならないといったら嘘になるが、本人が自分のことは気にしないでくれと頻りに訴えていたことを考えると、あまり気にしすぎるのも悪いのだろうと、気持ちを切り替えることにした。
「タクトは、休日とか普段何しているんだ?」
「んー? 普通だよ。散歩したり、テレビ見たり、掃除したり、宿題やったり」
食休みにソファで寛ぎながら、それからしばらく他愛もない話ばかりしていた。
ちょうど二人とも気になっていた野球の試合がテレビでやっていたので、それを観ながら選手や球団、CMの音楽や出演者などを好き勝手に評価しては笑った。互いの好き嫌いが噛み合わず、幼稚な嫌味を言ったり、逆に好みが一致して手を取り合ったり。くだらなさ過ぎて思い出せないほどどうでもいいことで時間を費やした。
シンドウ家の広い食堂に、タクトの声が木霊する。本日の洋風のフルコースが、彼はいたくお気に召したようだ。料理の乗った皿がタクトの目の前に置かれる端から、次々と綺麗にされていっている。おかわりまでしているのに、その勢いは留まるところを知らないかのようだ。食べ盛りという事もあるのだろうが、あの細い身体の何処にあれだけの量が納まっていっているのか、少し不思議にもなる。
タクトを家に呼んだ事は、まったくの思い付きだった為に日が暮れてしまっているような時間では、すぐに返すことになるかと少し落胆していたのだが。彼の方から泊まりたいと申し出てきてくれて、スガタはいつになくくすぐったい様な浮かれた気分になっていた。いつまでも制服のままでは動きづらいだろうと、貸したスガタのシャツに着替えたタクトを見る度に不思議とそのくすぐったさが増していく。
魚にしろ肉にしろ野菜にしろ、一口食べるごとに「はぁ」だの「ふぅ」だのと感嘆の溜息をいちいち漏らしては目を閉じて味わうその食べ方は、けして上品ではないのだが。あまりに美味しそうに食べているので、ついつい微笑を誘われてしまう。
客人の前で余計な感情を表すべきではないと教育されている筈の使用人達が、笑顔でそんなタクトを見守っているのだから、スガタは改めてタクトのその無邪気な魅力に感心してしまう。それと同時に、先程の、切ない瞳で自分の名前を呟いていた彼や、伏目がちに泊めてほしいと願い出た彼と同一人物なのが信じられない。
「あ、すいません。このタレ、なんの味なんですか?」
よほど気に入ったのか。皿を取り替えようとしていたタイガーに、肉料理を指してタクトが訊ねた。ナイフで料理を指すので、少し行儀が悪い。
「それはグレービーソース。肉汁を利用して野菜やワインと煮詰めて作るんだ」
気がつけば、答えようとした彼女よりも先にスガタは答えていた。遮るカタチになってしまったタイガーは恐縮したようにちらりとこちらを見て、そそくさと皿を下げていった。
「へぇー。スガタ、物知りだなー」
咄嗟の自分の行動に自分で驚いているスガタなど露知らず。素直に感心しているタクトの真っ直ぐな眼差しに、スガタは後ろめたい気持ちになっていた。
これではまるで、タクトがスガタ以外の誰かと少しでもやりとりすることさえ我慢できないかのようではないか。
(いや、違うな。まるで、じゃなくてそのままの通りだ、今のは……)
タクトが人懐っこい猫のようにタイガに訊ねた瞬間、チリッと胸の奥に静電気のような違和感が走った。
それが、体内を巡り喉奥に到達することで苦味と知る。間違いない、これは嫉妬だ。
一足先に食事を終えていたスガタは、喉の奥の不快感を珈琲で流し込む。まったくどうかしている。タクトに興味を持っていたのは出会ってからずっとだ。けれど、互いの胸の内を曝け出したあの時から、興味などという範疇をゆうに超えてしまったようだ。おかげで、気持ちの制御がおかしくなってしまっている。
「ごっちそーさまぁ!」
遅れて食べ終えたタクトが、手を合わせ元気よく挨拶をした。それを見てジャガーがくすくすと笑っている。同じように笑ってしまっていたスガタは、ふとあることを思い出した。呼ばずともこちらに気がついて近づいてきていたタイガーに軽く訊ね、目的の物があると知ったので厨房に足を向ける。
「スガタ? どっか行くのか?」
「ちょっとね。タクトはまだここにいて」
そうして、スガタが取って来たのは、皮付きのメロンのアイスだった。
「うお、すご! レストラン以外で見たことないぞこんなの」
「丁度あるのを思い出して。好きだろ?」
「うはー。スガタ、いい奴ー」
読み通り好物だったらしく、指を組んだ状態の手を頬にあてタクトが感激している。その飾らない素直さが可愛くて、悪戯心がむくむくと湧き上がってきてしまった。
アイスに添えられていたスプーンを取り、一口分を盛りタクトの前に差し出した。
「じゃあ、タクト。あーん」
「なんで!?」
病人でもあるまいに、当然の突っ込みが入るが。スガタは笑顔で流した。
「お前があんまり美味しそうに食べるから、僕からもあげたくなったんだ。アイス、溶けるぞ?」
「ぐ……。お前やっぱり性格悪い方が地なんだな」
嫌悪感に失礼なことを呻くタクトだが、アイスの魅力と食欲には勝てなかったようで、しぶしぶとスプーンに食いついた。
「ああ、でもこれも美味い……!!」
何故かどこか悔しげにアイスの美味しさを噛み締めていたタクトだったが、今更気がついたようにスガタに眼を向けて問いかけてきた。
「ていうか。なんでスガタは僕の好きなものを知ってるんだ?」
「お金ないって言ってたのにアイスは買ってただろ、メロン味。それを覚えてただけのことだ」
本当にそれだけのことなのだが。タクトは神妙な顔つきになった。
「なんか……。お前って本当に僕のこと見てたんだな」
これまた今更なことをタクトがしみじみと呟いた。そんなこと、あの時に既に言った筈なのだが。
と、シャーベット状のアイスの端が少し溶け始めていることに気がついたスガタがデザートの再開を促した。
「まだ食べるだろ?」
「ん。ほしい。スガタ、もっとちょーだい」
先程の渋面は何処へやら。一口食べたら気にならなくなったのか、口をパクパクさせて催促してくる。鳥の雛みたいだ。そう思ったら、クセっ毛のタクトの赤毛が巣のように見えてきた。タクトが鳥だとタクトリかな、などとくだらないことをまで考えてしまい笑いが込み上げてきてしまう。
「ん? なんだよ、変な笑いして」
「多分、言うと怒るよ」
「つまり、僕が怒るようなこと考えてるって事だよね……って、おいスガタ!」
急に真顔になったタクトが、スガタの背後を指し示す。そこには、テーブルの脇で蹲り、息を荒らげてぷるぷると震えているジャガーとそれを介抱しているタイガーの姿があった。
「ジャガー!?」
慌てて駆け寄り、具合でも悪くなったかと訊ねるが、タイガーの返事は「彼女は大丈夫ですから」の一点張りだった。
結局、彼女を落ち着かせるということで、本人の希望もあり、彼女と付き合いの深いタイガーに任せ、二人は食堂からダイニングへと移った。ジャガーの突然の変調が気にならないといったら嘘になるが、本人が自分のことは気にしないでくれと頻りに訴えていたことを考えると、あまり気にしすぎるのも悪いのだろうと、気持ちを切り替えることにした。
「タクトは、休日とか普段何しているんだ?」
「んー? 普通だよ。散歩したり、テレビ見たり、掃除したり、宿題やったり」
食休みにソファで寛ぎながら、それからしばらく他愛もない話ばかりしていた。
ちょうど二人とも気になっていた野球の試合がテレビでやっていたので、それを観ながら選手や球団、CMの音楽や出演者などを好き勝手に評価しては笑った。互いの好き嫌いが噛み合わず、幼稚な嫌味を言ったり、逆に好みが一致して手を取り合ったり。くだらなさ過ぎて思い出せないほどどうでもいいことで時間を費やした。