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残照に沈む

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繋がるもの一切を断ちたがるように家を出る。そういうときに大型二輪を引っ張り出す主人格の行き先は、あいつを拾いに行くオレの都合を少しも考えてはくれない。頻繁なことではなかったが、大概そのときの主人格サマは舗装されていない道路やからからに焼けた砂の地面を必要としているので、免許もマイカーもないオレはカイロを出る段からこの国の貧弱な交通インフラを恨む羽目になった。それでも今日ダイニングに置かれていたメモは、まだ書き置きの体をなしていた方だ。殴り書きに近い筆跡で記された地名はカイロから大して離れていない郊外と分かったし、場所も比較的具体的だった。幸いなことだ。記憶している限り一番ぞんざいな扱いを受けたのは「西のほう」の走り書き四文字で、いかにも出掛ける直前に思い付いてしまったから渋々、とでもいうように玄関先のラックの上に放られていた。本人が至って真面目に共同生活の義理を果たしているつもりなのは想像に難くないのだが、さすがにそのときは地中海ででも泳ぐか?と頭を抱えてしまったのは、オレが責めを負うところではないだろう。
 時間帯こそ違うとはいえ、カイロから通勤圏内のその地区行きのマイクロバスはそれなりに乗客を乗せていた。窓から外を眺める限り今日は風もさほど強くない。一年の内でも高い位置からじりじりと肌に食い込む太陽に閉口こそすれ、ラマダン月とかちあわなかったことには感謝した。降車口へ向かう乗客の最後尾につき、料金箱に硬貨を放り込む。ついでに初老の運転手に向かって時刻表はあるか、と尋ねると、振り向いた顔は甘さのない輪郭と目鼻立ちをしていた。どうやらイラク系の出身らしい。
「7時には最終が出るよ。遅くなるんならタクシーの方がいいんじゃないの。迎車の電話番号要る?」
「迎え、というか、出来れば小回りの利く足が欲しいんだけどねえ」
「そりゃ無理だ。タクシーで歩き回るようなとこじゃないよ、この辺りは」
察しはついていたとはいえ、知らず溜息が漏れる。それを聞きつけたのだろう、強面に人の好い笑顔を浮かべた運転手は どこか探してるのか?と言いながら古ぼけた地図を引っ張り出してくれた。
「店じゃあないんだ、人捜し」
「なんだ、彼女に逃げられでもしたのか?」
「ああ、そっちの方がよほど捜し甲斐がありそうなんだが、生憎、逃げたのは家人でね」
「じゃ、家出か。その歳じゃ兄弟喧嘩か何かかね」
大変だねえ、ともう一度人懐こく笑ってみせる運転手へ、口元に薄く笑みをはくことで答えると、地図を見せてもらった礼を告げてバスのステップを降りる。むろん家に帰らない予定がない主人格の行動を家出と呼ぶのは難しいし、当の喧嘩の当事者ではないオレがヤツを捜すのにはもう少し違った事情があった。ジーンズのポケットから携帯を引っ張り出すと、圏内であることを確かめる。


 見渡す限りの砂と岩の大地へ続く道でバイクの鍵を引き抜いた。引き返せば百メートルと開かず町に至るだろう、人の足で踏み固められただけで舗装されていない道路はじりじりと太陽に焼かれながら背後に伸びるばかりだ。すっかりぬるま湯になっていたミネラルウォーターに惰性で口をつけていると、不意にジャケットのポケットに突っ込んだきり存在を無視していた携帯が鳴る。しばらくペットボトルを傾けながら車体に被った薄い砂塵を掌で払っていたが、呼び出している方も執拗に諦めない。結局溜め息と共にストラップを無造作につまんで引っ張り出したのは、着信のコールが鳴り始めて一分ほど経った頃だった。この男相手に見栄を張るのがいかに詮無いか身に染みていたせいでもある。
『どうせ墓場みたいな景色を眺めてるんだろう。アヌビスさまへのご挨拶は済んだのかい』
開口一番、本当に意地の悪い男だ。ボクを抉るための揶揄を、こいつ以上に的確に選べる人間は恐らく存在しない。
「ツーリングくらい好きにさせろ。明日には戻る」
『待てるか。頭が痛い』
「はあ?」
『お前の声がうるさいんだよ。頭ん中でぐちゃぐちゃごちゃごちゃうだうだと』
「なんでお前の頭が痛むんだよ、ボクが喋ってるのは携帯だ」
『それをオレに言わせるか?』
「……お前の、気のせいだろ」
『へえ。そうかい』
気のせいに決まっている。身体を同じくしていた頃ならばいざ知らず。
「まさか、そんな言いがかりのためにかけてきたんじゃないだろうな」
『随分だねえ。実際オレは酷い頭痛なんだぜ』
「電波が悪いって言って切るぞ」
『切ったあと後悔するのはお前だと思うがなあ』
「だから、用件を言えってば」
答えながら頭上を振り仰げば、終わりの見えない空の高さに気が遠くなった。その果てで輝く太陽を睥睨する。傾いてなお日射しは強烈だったが、あと一時間もすれば地平線の向こうへ光は落ち始め、やがて体の芯まで凍る砂漠の夜が訪れるだろう。日に焼けた地面にかつて故郷と呼んだ場所との類似を見つけ出すことは少しも難しくなかったけれど、姿を消したがるようにカイロを出たのはホームシックなどではなかった。ゆらゆらとたゆたう熱、その向こう側の地平線、間にところどころ突き出した岩山の群れ。低い背をまばらに連ねたそれらは、越えると本格的に砂漠に入る目印となる。ボクにとって住み馴染んだ場所とのあいだ、横たわる物理的な隔てに意義があった。
『連絡があったぜ。姉上さまが、今日うちに寄るってさ』
 思わぬ内容に一瞬、息が止まる。
 いわく、主人格じゃ出ないだろうからって、オレの方に電話がかかってきてね。仕事が終わったあと、考古局から直接こっちへ向かうらしいから、着くのはたぶん、夜遅くじゃないか。受話器の向こうでそう続けている声が、どこか遠く聞こえる。頭に浮かんだのは一番最後に会ったとき、別れ際に見た姉の物静かな表情だ。もっともその日だけの話ではない、今まで生きてきた十七年近く、ボクがどんな言葉や感情を吐露しようと、それに対して彼女が動揺を見せたことはほとんどなかった。あのひとが痛いほど悲しい目をしてボクに縋ったのはただ一度だけ、バトルシティのときが最初で最後だ。たった一人の弟だから。家族だから。ただあなたが、生きてさえいてくれれば。強張った掌の中で、砂に汚れたペットボトルがべこりと音を立ててへこむ。
「……どうして、そこまで出来るんだろう」
『あ?』
「あのひとは、いつも、正しいことを言うよな」
『……』
「ボクは……」
 ボクは。
 この手に束ねんと渇望した未来がどうしようもなく行き場をなくしてボクに身動きを取らせないのだとしたら、あるいはこのまま力を込め続ければ、逃げ場のない憂いごと握り潰せるのだろうか。ひしゃげたペットボトルからぬるま湯じみた水が噴き出し、幾筋も手を伝い落ちるさま。容易に想像出来るそれを実行に移さないのは、想像が克明であるのと同様に無意味さも自明だからだ。可能態を選択肢に数えるならば、負うもの全てを投げ捨てて逃げ出すこともボクは出来ることになるのだろう。ただ実際にボクはそれを選ばないという一点で、それはやはり可能性に満たない期待だ。進むことも戻ることもかなわず、自分の負う責任に立ち竦んで今、ただただ自失している。
『……主人格?』
作品名:残照に沈む 作家名:ROM