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空 宙 烙 華

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傷ついて流れた赤は、人の血ではない。

容姿は同じなのに、人ではない。


それならば。


この胸にある感情も、人とは違うものなのだろうか。




***




「もおー…何で元の場所に戻せないのかなぁー…」


煤けた紙に書かれた、報告書や指示書や。おおよそあの男が買ったとは思えないような戦述書が、部屋の隅に乱雑に積まれていた。

前に部屋を掃除したのは2週間前だ。
撃墜されて動けなくなっていると九四式軽装甲車に言われて(実際、文を運んでくれたのは軍鳩だったが)気が気でないまま駆けつけた。
見つかったら厳罰だということすら頭になくて。引き戸を引く瞬間は、怖くて一瞬唾を飲み込んだ。
けれど。いざ戸を引いてみれば、そこには何時もどおり煙をくゆらせて酒を飲む、隼の姿があったのだ。思わず叫んだ名前と伸ばした手が、行き場をなくして彷徨った。
人に心配かけといて!と怒鳴ると、ちょっと驚いた顔をして。そして面倒そうな顔をされた。
あの日の記憶が、ふとよぎった。

「…お節介…なのかな…」

埃が散る。
見渡しても、問い掛けに応えられる者はいない。仕方なく、九七は黙々と手を動かした。


自分と、隼。
九七式艦上攻撃機と、一式戦闘機「隼」
今でこそ海と陸に別れたけれど。同じ家で生まれ、軍機として着任するまで同じ時を過ごした。
人の関係を例えに借りるなら、「弟のような存在」というやつだと思う。零や九とは少し違う感情で、ずっと隼のことも気に掛けていた。
海軍と陸軍との仲は、相変わらず芳しくない。
就役する時には、上司から会うことを禁じられた。それでも、周りの目を盗んで陸軍官舎に通った。
それは、今も変わらない。


あちこちに散らばった酒瓶を片付け、畳を拭くと、ようやく部屋らしくなってきた。
最初に部屋に入った時に感じた異様な酒気は、この開けっ放しの酒瓶達だったらしい。
達成感半分、虚しさ半分のため息が、知らず口から漏れた。
時計を見ようとして、はたと気付く。そこにあるはずもない。なぜならば。2週間前までそこにあったはずのそれは、硝子が割れて針が折れた姿で、地に落ちていたからだ。


***


「デ?その後七ちゃんとはよろしくやってるんデショ?」

高い天井に、声が思ったより反響した。思わず首ごと向けた。
いつもは包帯に隠された左目。
火傷と深い傷が、彼の目を縦断していた。敵弾によってスリットが破壊された跡が、その身体には生々しく残っていた。
戦場から帰った軽には、右腕と片目と、兵器として重要な物が欠けていた。
「処分」という最悪の結末も覚悟した。しかし結果的には軽は今もここにいる。
そこに至る課程に何があったのか。何かがあったのだろうと思う。けれど、知りたくとも聞けはしなかった。


「なにをどうよろしくやるんだ…」

今日の軽は、まるでタチの悪い酔っ払いだ。
他に誰もいないのが幸いだった。こんな猥談、正直誰にも聞かれたくない。

「バカブサ。こないだも、せっかく俺が鳩飛ばしたのにサ」

甲斐性なしめ。と、じっとりとした目線を送られた。
こないだ、というのは2週間前の作戦の事だろう。
それ以外に思いつかない。

「お前が噛んでたのか…」

薄々感付いてはいた。いたが、本人からこうも白状されると、違う意味の疲れが溜まってくる。
正直、あの時は精神的に不安定だった。気持ちの整理がついていなかったから、誰にも会いたくなかった。もちろん七にもだ。部屋に引き上げる前に「一日誰にも会いたくない」と伝えたはずだった。

「七ちゃんに看病してもらったんデショ?俺に感謝してよね」

そう言うと顔に湯をかけられた。何を感謝しろというのだろうか。あの日はただでさえ気分が暗かったというのに、七の小言を聞く羽目になって最悪だった。
この酔っ払いめ。そう思うしか無い。


「出る」と短く言うと、「敵前逃亡?」と野次られた。
敵前逃亡上等。ここは戦場でもないし、お前は敵でもない。
ひやりと冷たいタイルが素足から体温を奪う。
水音が、反射するように響いた。


「…ねぇ。隼」

落とされた、名前。
思いがけず真面目な声だったから、振り向いた。軽は湯槽の淵に両腕とかけて、こちらを見ている。
さっきの嫌な笑顔はどこへいったのだろうか。何かを諦めたかのような、寂しい笑顔だった。
そう。あの戦場から帰ってから、たまに軽はこんな顔をするようになった。

「…考えすぎたら負けだからね。」

俺タチは、ただの兵器だから。
軽が言う意図は、何となく分かった。あの時のように、考えても答えが出ないことはある。小難しいことを考えるのは正直面倒だ。
ヒラヒラと手を振って、浴場の引き戸を開けた。
温度差が、現実感を取り戻してくれる。
帰ろう、七が待っている。遅くなったら面倒だ。あの気にしすぎの性格が、余計な心配を始めてしまう。
それを思い出して、知らず笑顔が零れる。
勢い良く、引き戸を閉めた。



***



白。その向こうの、ぼんやりとした世界。
湯気が視界を悪くする。自分は片目なのだから、余計だ。

「ほんと。さっさとよろしくしちゃえばいいのにね」

お互いのために。
湯槽の淵に頭を乗せて、天井を見上げた。
過去の記憶が交差する。
シキシキに起きたことは、隼にも起きた。言わないだけで、チハもそうだろう。今がたまたま幸運なだけで、戦場に出れば、誰にでもいつか起こりうる。
自分の知る限り、航空機と戦車・装甲車の死に方は同じだ。そして、その先も。異なるのは戦艦と空母くらいだろう。シキシキが言っていたのを思い出した。

「だからお船さんは嫌いなんだけどねぇ…」

呟きは、湯気にかき消された。
羽音に気付いて窓を見上げる。小さな影がこちらを見ていた。ポー。と腹を膨らませて低く鳴く。迎えが来たらしい。

「ハイハイ。今行くヨ?」

立ち上がる。湯の音が響く。のぼせたのか、少し身体がぐらついた。こういう時片腕だと不便だ。重心が安定しない。


それでもこれは、俺なりのけじめだ。

「早く終わっちゃえばいいのにねぇ…」

勝っても負けてもいいからさ。
お堅いお船さんたちが聞いたら、怒り狂いそうな台詞だ。
戦争が終わる。戦闘が終わる。その言葉の意味は分かっていても、それでも口をついて出てくるのだ。
苦笑した。
本当に、自分は戦闘に向いていない。兵器にも向いていない。

引き戸を開ける。
待ち人は、端の椅子に座って本を読んでいた。少しだけ嬉しくなったが、もちろん顔には出さない。

「ねぇ、手伝ってくれるんデショ?」

言葉を投げる。視線がぶつかる。しばらく目を見た後、椅子に本を置いて立ち上がった。ゆっくりと歩いてくる姿が、いつも通りすぎて少しだけ安心した。
手を差し出す。本当は右手を差し出したかった。けれど無いから、左で我慢した。


(戦争なんて早く終わればいいのに)

左手を取られて、思う。

(全部最期ればいいのに)

そうしたら、自分達の夢も叶うのに。
硝子箱の中。錆びた鍵穴。過去の遺物のひとつになれますように。
もう、離れることがありませんように。

「どうかしましたか?ケイ」

押し黙った自分に、シキシキが訝しげに問い掛けた。
作品名:空 宙 烙 華 作家名:呉葉