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空 宙 烙 華

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自分が最初から知っていること。

それは当たり前のこと。

それは信じて疑わないこと。

疑う理由がないこと。

それだけが、正しいと思っていたこと。





***


帰路に着く、九七の足取りは重かった。
あの後帰宅した隼と、質素な鍋を囲んだ。囲んだのはいいのだが、微かにピリピリとした空気を感じて、会話らしい会話にはならなかった。
結局、言いたいことは何一つ言えずに、ほとんど逃げるようにして部屋を去ってしまった。変に思われたかもしれない。もしかして、思って気を掛けてくれるだろうか。いや、鈍感な隼に限ってそれはない。
浮かんだ希望を、自ら叩き落とした。また、ため息が零れる。
足元の小石が、勝手に転がっていった。それが自分のことのように思えて、女々しいと思った。

被害妄想だ。と言われればそれまでかもしれない。けれど、返ってくるものが期待通りとは限らないから、言葉で伝えるのは怖いのだ。
今度は自分の意志で小石を蹴った。蹴り上げられた石は、砂利道に落ちて見えなくなった。


見上げた空は、まだ遠い。
なりたい自分にも、まだ遠い。

だから。
ただ一言の、「頑張れ」が欲しかった。


「…僕ね、遠くに行くんだよ」

大陸とは違う、海原。初めての大舞台だ。
新型魚雷の開発にも成功した。訓練も積んだ。認められたくて、ただただ必死だった。技術者の、操縦手の、期待に満ちた眼差しが。嬉しいと思う反面で、逃げ出したいほどの重圧だった。

「…うまく…できるといいんだけど…」

自分が望まれているのなら、その期待に応えたい。
けれど。自分がこの作戦を左右する。そう言われて、正直おじ気付いた。兵器が存在理由におじ気付くなんて、おかしな話だ。


「…弱音吐きたくないけどね」


言わないけど、分かってほしい。そして、「大丈夫」と背中を押して欲しい。
そんな都合のいい通信手段などない。だから、その大丈夫はまだ聞けていないし。きっと今後も聞けないだろう。


「…大丈夫、大丈夫。ちゃんとやれるよ」


暗示のように、繰り返した。
前に。地面に少しだけ長く伸びた影が、自分を見上げている。
その影には、両翼があった。道行く人との決定的な違い。それは人の形ではない、自分―九七式艦上攻撃機の影だった。
追い越した子供が、不思議そうな目で自分を見た。その目を見るたびに、錯覚が覚めてしまう。外見が、どんなに人と近くとも。自分の本質は人ではない。攻撃機で、兵器なのだ。
名前を呼ばれた子供が、弾かれたように駆けていく。きっと母親だろう。女性が手を差し出す、それに手を伸ばす。手を繋いで笑い合う。人にとっては、何気ない日常だ。分かっているのに、足が止まった。太陽が雲に隠れて、影を消す。家路を急ぐ人々が、自分を追い越していった。


人は母親の腹から生まれるのだという。
兄弟姉妹と父母と、さらにその父母との中で育ち、叶う叶わないは別にして、いつか恋をし、家庭を持ち、また子を産み死んでいく。生まれては死んでいく。その繰り返し。

子供はいい。恰幅のいい整備士が言っていた。
自分の操縦手は、上官に隠れて持ち込んだ写真を操縦桿の横に飾っていた。
最愛の人がいるから、自分は死なない。地に戻るたびに、感謝をこめて写真に敬礼していた。階級が上がったら、彼女に結婚の申し込みをする。誰もいないと思ったのだろう、彼はそう言って笑った。お国のために、故郷のために、愛するものの為に、自分は往くのだと。


母親など知らない。
名前を呼ばれた瞬間から、自分は兵器だった。
兄弟はいない。だから、同じ中島で生まれた隼を弟のように思った。
愛する、ということはよく分からない。お国のために、ということも正直よく分からない。
けれど、毎日自分を丹念に磨く、整備士の顔が好きで。
乗り込む操縦手から、「よろしく頼むよ」と、翼を叩かれるのが嬉しかった。
けれど不思議と、彼らの前で人の姿でいることはできなかった。
彼らに、人の自分の姿は見えないようだった。だから、いつも言葉はかけてもらうだけだ。
できないから、その代わりに、飛ぼうと思った。人の指し示した道をただ往く。それが兵器である自分が生きる道だと。
誰も教えてくれないから。そう、勝手に結論づけた。

二人の姿が見えなくなるまで、立ち尽くして見つめた。
見えなくなったら、また歩きだした。
今度は人ではなく、兵器として。作戦の計画を頭の中で繰り返した。ただひとつの、自分が歩く、道の為に。


作品名:空 宙 烙 華 作家名:呉葉