駅近築浅ペット付き?
『生後60日 オス 血統書有 税込¥157,500』
ショーケースに貼られた紙に、帝人は大きな目を丸く瞠った。
紙の下―――ケージの中にいる子犬は、そんな帝人に我関せずといった様子でゴム製の骨をかじっている。
金茶の毛並み、垂れた大きな耳、体形はまだ子供だからかずんぐりしているが、これが大人になると体重70キロ前後になるらしい。
大きさはいい。事前に調べて、ある程度は知っていた。ただ、実家でもペットを飼ったことが無かった帝人は、流行りの小さい犬ならともかく、犬の値段ががこんなにするなんて思いもしなかったのだ。
「可愛いでしょう? 成長すると大きくなりますけど、大人しいし人なつこいし、頭のいい犬ですから初心者にも飼いやすいですよ」
「はあ…」
私服姿とはいえ到底犬を買いに来たようには見えないだろう自分に、店員が丁寧に説明をしてくれる。それとも下見客だと思われてるんだろうか。だとしたら、冷やかしになるのも申し訳ない。
「あ、あの、飼いたいけど無理なんで…、すみません」
「いいえ、見るだけのお客様も多いんですよ。都会じゃ、大型犬なんてなかなか飼えないですからね」
「…やっぱり、小さいのが人気なんですか?」
「室内飼いだと、大型犬は賃貸ではまず無理ですよ。大家さんが許可しませんし」
「あ、そっか」
ペット可物件も、基本的に許可されているのは小型犬か猫だけだ。まあ、大型犬をワンルームで飼おうと思う人自体がそもそもいないだろうが。
ガラス越しに指を動かすと、気付いた子犬がそれを目で追う。たしたしと短い足がガラスを叩くのに、帝人は笑みを漏らした。
「抱っこしてみます?」
「え…、ええ!?」
返答するより先に、店員が子犬をケージから出してくれた。子犬なのに結構重い。
「成長すると、オスで65~75キロくらいになりますよ。成人男性くらいかな」
「75キロかぁ…、一緒に寝たらつぶされちゃいますかね」
「そこはちゃんとしつけてくださいね」
大人しく抱っこされている子犬に、思わず似た色の髪を持つ人が思い浮かんだ。というか、ネットでふと見つけた成犬の姿かたちが似ていると思ったから、ついつい店まで見に来てしまったのだけれど。
丸い目がきょとんと見上げて、子犬にしては太い前足が帝人の頬を掠める。
「あははは、可愛いなぁ」
「癒されますよねー、犬って」
愛想笑いではなさそうな態度に、ああこの人は本当に犬が好きなんだなーと思った。いつか飼えるようになったら、こういう人から買いたい。
「―――なにしてんだ? こんなとこで」
「あ、こんにちは門田さん。…と、静雄さんも、こんにちは」
「おう」
帝人はありがとうございましたと頭を下げて、店員に子犬を渡した。突然現れた有名人にいかにも逃げたそうな様子だったから、迷惑をかけたくなかったのだ。
手の中から去ったぬくもりに名残を惜しんでいると、帝人が1人暮らしだと知っている門田が怪訝そうな視線を向ける。
「…飼うのか?」
「いえ、飼いたいなーって思って見に来たんですけど…、犬って結構高いんですね」
「雑種でいいならタダでも探せるが、…そうじゃなくて大変だぞ? 世話とか、金とか」
「あ、はい。だから今は無理なんですけど、いつか飼えたらいいなぁって」
「そうか」
面倒見のいい人だから、多分心配してくれたのだろう。あるいは、無責任に飼って捨てるような事にならないよう、気を回してくれたのかもしれない。
「お前なら、こっちの方が似合いそうだけどな」
「猫…ですか? 可愛いですけど、あんまり小さいとつぶしてしまいそうで」
怖いんです、と呟くと、わかる、と頭上から声が降ってきた。
「猫ってぐにゃぐにゃしてんだろ。どこ触っていいかわかんねぇ」
「柔らかい分、犬より大丈夫そうな気もしますけど」
「あー…、でも、ちっせぇと寝返り打った時につぶしそうだろ」
「わかります! どうせなら一緒に布団で寝たいんで、僕も大型犬がいいんですよねー」
「おお、そっか」
世間では小さい犬猫や手足の短い種類がもて囃されているようだが、それではなんとなく物足りない気がするのだ。抱きかかえて―――成長したらそれはちょっと無理かもしれないが、寄りかかって眠ったりしてみたい。
別に犬で無くてもいいのだが、猫科で大きな動物となると多分一般では飼えない種類になるだろう。他に大きな動物となると、いくら抱えられてもさすがに爬虫類は嫌だ。…都内でワニやアナコンダを飼えるのかどうかは知らないが。
「なんで急に、そんな気になったんだ?」
門田の印象からすれば、帝人は存外リアリストだ。ペットブームに乗せられて、無責任に生き物を欲しがるタイプには見えない。
そう言われて、ああ、と帝人は子犬を指差した。
「この犬―――ゴールデンレトリバーっていうんですけど。ネットで色々調べてたら、なんだか静雄さんに似、」
不自然に言葉を切って、咄嗟に口を手で押さえる。似てると思って、なんて言ったら静雄でなくとも怒るに決まっている。そろそろと見上げると、サングラスの奥から吃驚した目が帝人を見ていた。
「…あ? 俺がなんだって?」
「いえ、その、なんでもないです…」
「なんでもないなら言えんだろ」
「や、あの、ホントに大した事じゃなくてですね、」
「あぁ?」
なんとか話を切り上げたいのに、誤魔化そうとすればするほど静雄の機嫌が低下していく。
ヤバイヤバイと脳裏に警笛が響くが、逃げたところで捕まるのがオチだ。帝人は決して自分の身体能力を過信してはいない。万に一つも望めない可能性に、賭けるつもりもない。
店長だろうか、年嵩の店員が不安そうにこちらを窺っている。逃げたくても逃げれないのだろう、ここは自分の店で、その店先に平和島静雄がいるのだから。
「…俺に言えないような事ってことか?」
「おい、静雄。子供に絡むなよ」
ここで静雄が何か壊したら、その弁済も帝人にくるのだろうか。ショーウィンドウっていくらくらいするものなんだろう。ガラス代にお金を使うくらいなら、犬に使いたい。いや、そうじゃなくて。
ぐるぐると思考している間も、辺りの空気はどんどん重く冷たくなっていく。遠巻きに聞き耳を立てつつ見守っていた群集が、少しずつ距離を置き始めるのがリアルに怖い。
いっそ正直に言った方がいいか、いや、でも黙っていてもいきなり殴ったりはしない、…だろうか。一応、静雄にとって自分はセルティの知り合いで、『その他大勢の一人』よりはちょっと上にいるはず。…と思いたい。
作品名:駅近築浅ペット付き? 作家名:坊。