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満ち潮

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――愛してはいけない。


呟きを繰り返す。繰り返すごとに、胸に寄せるさざ波は強く大きく、私の心を苦しめる。
あの人は海賊で、海賊王になる人で、私は瀕死にある国の王女で、その国の後継者。
そして、今一緒にいられるのも、国まで送り届けてもらう約束を交わしたから。きっと、それだけの関係に過ぎない。……いえ、過ぎなかった。
あの夜までは。



まだ、眠れずにいた。ウィスキー・ピークを離れて7日になるというのに。
ミスター・9、ミス・マンデー、……そして、イガラム。燃えあがる船。先を見つめねばいけないのに、あの時の出来事を今も、記憶の底にやれずにいた。
甲板に出ると、欠けた月が船上を照らしていた。海の香りを帯びた夜風が頬を撫でる。「泣かない」と決めたはずなのに、今日も涙が込み上げてくる。

「ビビッ!」

鳴咽しそうになるのを堪えるように俯き、口に手を当てていると、何処からか呼ぶ声がした。慌てて落ちかけた涙を拭い、周囲を見渡すが誰もいない。

「こっちだ、こっち!!」

声のする方を見上げると、麦ワラをかぶった人影が見張り台の上から乗り出しているのが、月明かりに浮かんでいた。

「……ルフィさん?」

驚いたように見上げていると、「上がってこい」と手招きをする。私は少しの躊躇の後、恐る恐るハシゴを上った。
「よう。どうしたんだ? こんな時間に」
人懐っこい顔が笑いかける。
「ええ……眠れなくて」
私も、笑いかけようと意識した表情をつくる。ルフィさんが「そうか」と言ってもう一度笑いかけた。
「丁度よかった。相手してくれ」
「相手?」
「おう。退屈してたんだ。話し相手になってくれ」
それを聞いて、私はプッと吹き出した。それはそうだ。この、片時もジッとしていない船長が、一晩中見張りなんて退屈で仕方ないだろう。
私は傍らに腰を下ろした。風が強く、下にいるより、もう少し肌寒い。肩を抱きしめて少し震えると、フワッと柔らかい物が私を覆った。見ると、ルフィさんが今さっきまで纏っていた毛布をかけてくれていた。
「かけてた方がいいぞ」
「……ありがとうございます」
ルフィさんのむき出しの肩を気にしながら、毛布に包まる。暖かい。
ルフィさんが話し出す。この船と、仲間のこと、自分の夢、尊敬する海賊のこと。
「色々さ、考えんだよ、ここにいる時。でもさ、すぐ飽きちまうんだなぁ、これが。
 でもよ、サボるとナミの奴が怒るしな」
口を尖らせて言う。私はその表情と、情景の想像しやすさに自然と笑みをこぼす。
「だから、ビビが来てくれてよかった」
そう言って正面から笑う。瞬間、自分の顔が赤くなるのがわかった。私は、照れを隠そうと慌てて話題を変えた。
「『海賊王』って、本当になれると思ってるの?」
グランドラインの中で生まれて育った以上、聞きかじりでも『海賊王』のことくらいは知っている。ゴールド・ロジャーという海賊が残した、『ONE PIECE』と呼ばれる財宝を手にしたものがなれるという、あれだ。海を目指す者達の、憧れ。そして、海に憧れる子供達を大人達は諭すように言う、『夢物語』。
「わかんねぇ」
「え?」
「わかんねぇけど、俺が「なる』って決めたから、なるんだ。
 馬鹿にされたりもするけど、それでも、俺が「海賊王になる』って決めたから、
 それでいいんだ」
ルフィさんはそう言って、風に飛ばされないよう麦ワラを押さえ、意志のこもった遠い目をした。その表情に、一瞬、胸の鼓動が響く。

「……強いですね」

ため息まじりに言うと、ルフィさんはキョトンとした顔で私を見た。
「そうか? 俺は、お前も強いと思うけどな」
「んーん……私なんか、駄目」
さっきまでの挫けかけた心を思い出して膝を抱える。結局、何もできなかった自分。
イガラムも、『仲間』も私を助けてくれたというのに、何もしてあげられなかった自分。思い出して、また泣きそうになる。
「国を救おうなんて、弱い奴にはできねーと思うぞ?」
「でも……」
「まだ、「これから』だろ? 俺の『海賊王』と一緒だ」
ハッとして顔を上げると、太陽みたいな笑顔が私を見ていた。
「これから』
そう。これからだった。私の代わりに倒れた人達も、私のこれからすることのために、盾となってくれたのだ。私が『なすべき事』をしなければ、彼らにも顔向けできない。
「……ありがとう」
 少し心が軽くなって、お礼を言う。何も反応がないので横を見ると、ルフィさんはむき出しの肩を両手で抱きしめて、
「ぶぇっっきし!!」
私はクスクス笑いながら、ルフィさんにも毛布を被せた。少し距離が縮まったので、自然と体が紅潮して緊張する。
「さんきゅー」
ルフィさんはそう言いながらジッと私の顔を見る。
「な、何……?」
緊張を見破られないようにしながら、問いかける。鼓動も、さっきにも増して速くなっている。心音が響き、聞こえてるんじゃないかと思うほどだった。
「ビビって……おでこ広いんだな」
「!!」
私は慌てて額を押さえた。体が震えて、顔がカーッと熱くなるのがわかる。
「ひどいっ! 人が気にしてるのに!!」
顔を紅潮させて抗議すると、ルフィさんは顔を近づけた。さらに顔があつくなるのがわかった。
「そうか。ごめん。」
ルフィさんは素直に謝る。謝るけど……近づいたままだった。私はルフィさんから視線をそらせず、硬直したままいると、
「でも、綺麗だな」
「え……」
「髪も、目も、鼻も、口も、綺麗だ」
突然の言葉にとまどっていると、ルフィさんはかまわず続けた。
「砂漠の民って、皆そんなに綺麗なのか?」
「さ、さぁ……色々な人がいるし、よく、わからないわ」
「そうか。じゃあきっと、ビビが綺麗なんだな」
そう言ってまた笑う。子供みたいに屈託のない笑顔。だけど、無邪気なだけじゃない、笑顔。その笑顔がフッと真顔になる。顔がさらに近づき、手が私の両肩を抱く。
体が熱い。心臓は早鐘のよう。私は今、どんな顔をしているんだろう。
ふいに、私のガチガチに固まった肩から手を放すとルフィさんは再び笑顔になり、私の頭をポンポンと優しく叩いた。
「もう、寝た方がいいぞ。朝になればナミにコキ使われっからな」
そう言って、毛布を私の肩から取ると、もう前を向き、水平線の彼方に目をやった。
「……おやすみなさい」
「おう、おやすみ。また、朝な」
汗ばんだ手をハシゴにかけて言うと、もう一度だけ私を見て微笑んで、あとはもう、振り向かなかった。



あの日、どうやって部屋に戻ったのかも覚えてないけれど、朝、気がついたらベッドの上で、船に乗ってからずっと続いていた頭痛も治まっていた。
ルフィさんはいつもどおりだったし、私も普通に振る舞えてたと思う。けれど、胸の鼓動は違っていた。彼を見ると壊れたように鳴り響く。その音の意味にも気がついてはいたけれど。

きっと、想いは永遠に届かない。……いいえ、届けちゃいけない。
あの人は海賊で、私は王女。あの人は海賊王になるために旅をして、私は国を救ってゆくゆくはお父様の後を継ぐ。
交わってはならない2つの糸。絡んだ糸はほどかなくちゃいけない。理性がそう告げれば告げるほど、心は彼で満たされていく。
「いっそ、船が難破しちゃえばいいのに」
「それは駄目だぞ」
作品名:満ち潮 作家名:坂本 晶