聖夜に降る雪の星
「忍足、24日付き合え」
「えっ?なんで」
「おまえ、予定ねえんだろ」
その断定的な上から目線の言葉に少しムッとした。確かに今、彼女のいない忍足にクリスマスイブの予定は無い。
それを見越した跡部の言葉は少々厭味に聞こえた。
「皆で集まってパーティするかもしれへんし……。それに跡部は今年は用事があるやろ」
最近、跡部に彼女が出来た。確か今年の氷帝クイーンだった子や。まるでモデルのように綺麗な子で。
とても中学3年には見えない色気があった。跡部にはお似合いや。誰もが納得する相手だった。
岳人は、『跡部の彼女、なんか忍足に似てねえ』などと、不埒な発言をしてが。
まあ黒髪で切れ長のエキゾチックな瞳の醸し出す雰囲気が、自分の姉に似ていることだけは確かだった。
本当ならイブは部活仲間で跡部邸でパーティするのが恒例行事となっていたが、
今年は都合がつかないと跡部から言われていた。
まあ誰もが、その理由を跡部に聞くまでもなく理解していた。
とにかく跡部は1年の時からよくもてた。
顔は綺麗で格好いい。
頭が良くて、テニスが強い。
実家は知らない者がいないだろう、国際的規模で有名な跡部財閥の一人息子。
もてない方がおかしい。
それでも彼女を作らないのは、跡部に全くその気が無いのだろうと。
自分と同じで、女の子なんて煩わしいだけの生き物だと感じているに違いないと思っていたのに。
でも違った。
ただ跡部の好みの女の子が、現れなかっただけなのだ。
だからあの子が跡部に交際を申し込んで来た時、跡部はすんなりOKした。
なんや跡部も健全な中学生やったんかと、頭の中を掠めていった思考を納得することにした。
「イブは、跡部は彼女と一緒やないんか?」
「ああ、アイツが一緒にいたいっうからな」
「だったら、なんで俺が跡部に付き合わなあかんの?」
なんや、単なるノロケか。
彼女とのデートの前に、荷物持ちでもさせるつもりなのか。それなら樺地がおるやろ。とか思う。
「クリスマスを迎える瞬間を一緒に迎えたいと言われてもな。意外に俺んちは厳しいんだ。
だからあいつをおまえの姉だということにした」
「はっ?」
跡部の言うとしていること、さっぱり意味がわからん。というか、先が読めない。
「跡部の彼女が、なんで俺の姉ちゃんなんや」
「アイツと二人きりでイブの夜を過ごすなんてこと、跡部の長子が許されるわけねえだろ」
「で、俺に、あて馬しろって言うんか?俺の姉ちゃんって言うことにして」
そうか、この役目は自分にしかできないんや。跡部の彼女と似ていると岳人に言われた自分にしか……。
「どうせおまえ、暇なんだろ。高級ホテルのディナー付きだぜ」
何が高級ホテルのディナー付きだ。そんなことに俺を利用すなと格好良く断ってやろうと思っていたのに。
「ええよ」
自分でさえ、口をついて出てきた言葉にビックリした。決して高級ホテルのディナーに釣られたわけではない。
自分に群がる女の子をメス猫と呼び捨てる跡部が、彼女をどんな瞳で見つめて、どんな言葉を彼女には紡ぐのだろうかと、
興味があっただけだ。
「じゃあ俺は跡部から、姉ちゃんと一緒にイブの夜は高級ホテルのディナーに招待されとるんやな」
「ああ、そうだ」
「ゴホッ! ゴホッ!」
朝から喉がイガイガして、珍しく咳が出る。今日は確か巷ではイブ。跡部との約束の日だ。
ベッドから抜け出して窓際まで行くと、葉っぱの描かれたモスグリーンカーテンを引いてから窓を開けた。
すぐに侵入して来た乾いた朝の空気に、ブルっと身体が震える。
「寒うなったなあ」
いつもよりは少しだけ遅い光景が目に映る。
マンション7階にある忍足の部屋から見下ろす眼下は、ついこの前まで黄色く色付いた銀杏の葉が風で舞い、
道は黄色い絨毯を敷き詰めたように彩どられていたはずなのに、今はもう落葉して残された小枝が風に揺れているだけだ。
木枯らしの季節。一人暮らしの身には、少しメランコリーな気持ちを誘う時季なのかもしれない。
もう落ち葉も残ってないのに、コンクリートを滑って行く枯れ葉の音が聞こえたような気がした。
「ああ、なんやだるいなあ。風邪でも引いたんかいな」
鏡に映っている自分の冴えない顔を見ると、忍足は一人で呟いた。
夜はホテルで豪勢な夕食が待っているはずなのに、なんだか朝から食欲がない。
約束がなければ、今日は一日部屋でごろごろしていたい気分だった。
でも。跡部が楽しみにしてるようだから仕方がない。
今更代役がきく役どころでもないから、今日一日は跡部達に付き合ってやらねばならないだろう。
顔を洗って身支度を整えると、口の中にトーストを一切れ放り込み、コーヒーで流し込んだ。
どうも外の寒さのせいだけではないようだ。微熱でもあるのか、妙に寒気がする。
普段より厚めに着込み、暖かそうなダッフルコートを羽織って外に出た。
跡部がいつもの黒塗りの高級外車で、9時に忍足をマンションまで迎えに来ることになっていた。
今8時55分。ちょうどいい。
時間に正確な跡部のことだ。もうそろそろマンションの近くまで来ているだろう。
それから、アメリカ帰りがなぜ、東京駅かわからないが、東京駅まで彼女を迎えに行って、
3人でディズニーランドに行く予定になっているそうだ。
デートなら、2人で行けばいいのにと思うのに、そうもいかないらしい。
中にまでは、運転手さんも付いて来ないだろうから、入ってしまえばこちらのものだろう。
もちろん中では別行動になると思うが。
しかし、ネズミの国で、夕方まで一人で時間を潰すのは厳しいような気がする。なんか頭も痛くなってきたし。
そんなことをぼんやりと考えていた時、目の前に黒塗りの乗用車が止まり、ドアが音もなく開いた。
「跡部。今日はすまんな」
本当だったら跡部から、今日はすまねえなという言葉が欲しいところだが、
今日一日は頼まれたことを実行するしかないので、運転手さんにも今日はお世話になりますと言って、
後部座席の跡部の隣に乗り込んだ。
特別なアイコンタクトも無いまま、跡部は怪訝そうな顔をして忍足を見た。
「おまえ、なんか顔色悪くねえか?」
跡部の口から出た言葉は意外なものだった。
「そんなことあらへんよ。光線の加減でそう見えたんと違うん」
わざわざ跡部に心配をかける必要も無いから、ただそう答えた。
でも、跡部に気付かれるほど、自分は冴えない顔色をしているのだろうか。他人のことなど、気にする奴ではないのに。
「それならいいが……」
東京駅で。もちろん忍足の姉ということになっているのだから、忍足も跡部の彼女を迎えに行く。
忍足も彼女の姿を何度か見かけたことがあるし、噂もよく耳にしていた。
でも、間近で言葉を交わすのは、今日が初めてだ。
肩に掛る黒髪。涼しげな瞳。大人びた仕草。俗に言う和風美人。跡部とは雰囲気が全く違う。だから跡部が惹かれたのだろうか。
跡部ならジェニー人形のような洋風な子がという気がするのに。
本当に和風美人の自分の姉によく似ていた。
彼女なら、密かにこんな芝居、子供騙しにもならんよと突っ込みを入れたかった跡部の計画も、本当のことに思えるかもしれない。
「お帰り姉ちゃん」