so,I was pain.
「ごめん。でも、サッカーは俺の夢だから」
とだけ言って。
そして、私と彼の仲は終わった。
3年になってから我が耳を疑う噂が2つ、南葛中学を駆け回った。
ひとつは『大空翼は卒業したらブラジルに渡ってプロサッカー選手になる』というもの。
初めてその話を聞いた時、本当にびっくりした。だって、私は何も聞いていない。そんなこと、一言も言ってくれなかったから。
けれど、サッカー雑誌にも取り上げられたし、サッカー部の子達は…もちろん、中沢さんも、皆知っていたみたいで、それは紛れもない事実だった。
ロベルト、という人の存在は何回も聞いたから私も知っている。『プロになりたいんだ』って話していたのも知っている。でも、そんな早く行こうと決めていたなんて、そんなこと一回も言ってくれなかった。
その頃はまだ、翼くんを好きだったから、私に話してくれなかった事実があんまり悲しくてショックで、決勝戦の応援も行かず、家でボンヤリと中継を見ていたっけ。
でも、ショックなことはひとつじゃ終わらなかった。
秋になって間もなく、今度は『大空翼が中沢早苗に告白した』という噂が飛び交ったのだ。
その時は本当に頭の中が真っ白になった。
だって。
サッカーに専念したい、って言ってたじゃない。
会えなくなるから、って言ったじゃない。
中沢さんはずるい。
だって、中沢さんが翼くんを好きなことは周知の事実だったけれど、彼女が翼くんに意思表示をしたなんて話、聞いたことない。
小学生の時は冗談か本気かわからないくらい積極的だったくせに、中学に上がった途端大人しくなっちゃって、ただ黙って微笑んで、翼くんの理解者面して、側にいただけじゃない。
サッカー部の皆に『翼くんには中沢さん』みたいに扱われて当たり前のように思っていただけじゃない。
私が付き合っている間だって『翼くんには中沢さんがいるから』って諦めた娘を私は何人も知っている。
『サッカーの上手い有名人』だからじゃなく、翼くんを好きだった娘だってたくさんいたことを知っている。
彼女はそんな娘達の真剣な想いも知らず、翼くんをいつも見ていられる環境にいただけじゃない。
ずるい。
ずるいよ。
でも、本当はわかっていたんだ。
翼くんが、サッカーの話に乗り切れない私に少し隔たりを感じていたこと。
自分でも気づかない心の何処かで、中沢さんを気にかけていたこと。
中沢さんが『サッカーをする翼くん』のことを誰よりも考えていたこと。
そして、そんな中沢さんに翼くんが惹かれないわけがない、ってこと。
バレンタインデーには翼くんは誰からのチョコも受け取らなかった。
翼くんファンの友達からそのことを泣きながら聞かされた時、中沢さんと私の差を見せつけられたようで、そんな自分があまりにもみじめで、思わず私も声を出して泣いていた。
あれから5年が経った今も、その時の痛みは消えないまま。
隣でガサガサと音を立てて彼が顔を上げた。
「お! 大空翼、結婚かぁ。こいつ、お前と地元なんだろ?」
半身を起こして煙草に火を点けながら聞かれて「うん」と曖昧な微笑を返す。
「まだハタチだろ? 先走ってるよなぁ。それともあれか、収入がある奴はやっぱり違うのかね」
差し出したグラスの水を一気に飲み干し、テレビに視線を向けたまま無責任なことを言う。
「どんな奴だった?」
「え!?」
ふいに聞かれてドキッとすると、煙草でブラウン管を指しながらあきれたように、
「翼だよ、大空翼」
「え? あ、ああ……」
質問の意図を理解してもう一度画面を見れば、彼と彼女の歴史のような話が展開されている。懐かしい母校を見ながらしばらく考えて、
「彼女のことよりもサッカーのことが好きなような男を好きな女にしか相手できないくらいのサッカー馬鹿」
きっぱり言えば、しばらく頭の中で言葉を整理して、ハハッと笑った。
「自我の強い女にゃ無理な男だな」
お前みたいなな、と言ってもう一度笑うものだから、わざと膨れてみせる。けれど、心の中にはその言葉が染み渡っていった。
私には何もかも捨てて、他人の夢を一緒に追うなんて出来ない。
自分のやりたいこともなく、『あなたの夢は私の夢』なんて言えない。
相手の幸せに寄りかかっておいて『私は幸せ』なんて錯覚見られない。
中沢さんは良いお嫁さんになるんだろう、きっと。
私は、翼くんと別れて良かったのだ、多分、きっと。
抱きしめてくれる男の腕の中、胸につかえた痛みはいつの間にか消えていた。
開け放したベランダでは飾ったままの風鈴が、チリリンと澄んだ音を立てた。
作品名:so,I was pain. 作家名:坂本 晶