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遠い夏の終わり・1

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俺がドイツに狂わされたのか、ドイツが俺に狂わされたのか。
 果たして、どちらだろうか。



 ドイツ北部が纏まってきた。俺様の支配下に収まってくる。楽しい現象であると同時に、しばらく無かった闘争に明け暮れる日々が再び来そうだという予感も沸き起こる。

 その日、プロイセンは議会の後の茶会には顔を出さずに町へと繰り出していた。茶会での挨拶など、上司たちが適当にやっていればいいことだ。
 久しぶりの西の地。今の上司が東のケーニヒスベルクに籠もりたがる為、プロイセンもそれに従っていたおかげで、議会でも無い限り西側に来ることが減っていた。この日は実に数ヶ月ぶりに首都であるベルリンの地を踏んだ。
 ここベルリンが現在の首都となって随分経っているというのに、今も尚、上司も自分も、かつての首都の地に心の拠り所を求めてしまう傾向があるようだと苦い笑みが澪れ落ちる。
 そんな取り留めも無いことを思いながら町を練り歩く。適当に果物を買い求め、その場で食べながら再び歩く。
 清潔、礼節などを重んじる親父が見たらまた小言を言われそうだぜ、と懐かしい顔を思い浮かべ、苦笑いが思い出し笑いへと変化する。
 上機嫌で歩くプロイセンに、花売りの少女が数本の青い花を差し出して来た。鮮やかな綺麗な青。プロイセンはそれを上機嫌に受け取り、多めの硬貨を渡してやった。
 何かが起きる前触れのような気分の高ぶりが、ここ最近ずっと続いていた。それが、このベルリンの地に来てますます強くなっている。
「やっぱ俺様最高だぜ!」
 無意味に大通りで叫んでみると、道行く者たちが愉快そうに眺めて行く。
 良い具合に文化が花開いた都市。
 天気も最高。このまま今日は親父が過ごした夏の宮殿に顔を出して行こう。そう考え、今でも敬愛して止まないフリードリヒ二世と共に多くの時間を過ごした城を目指すことに決めた。

 足を早め、道を曲がり、そして、細い脇道に逸れた時、不意にプロイセンは足を止めた。
 居住区の一角。住居へ続く階段の一番下の段に、膝を抱えるようにして座り込む少年の姿が目に入る。
 目が逸らせない。無意識のままに体が強ばる。口の中がカラカラに乾くのを感じた。唇を湿らせるように舐め、何か言葉を発しようと試みるが、喉でつかえて出てこない。
 一瞬のことなのか、長い時間だったのか、プロイセンはそこに立ち尽くしていた。
 ようやく、「まさか…」と掠れた声が澪れ落ちた。
「神聖…ローマ…」
 そんなわけはない。彼の国の解体からどれだけの年月が経っていると思うのか。
 彼の国の解体指令の場に立ち会い、その書類に署名したのはプロイセンを含む大国たちだった。
 彼は、事実上、解体指令の元に消滅した。プロイセンが、オーストリアが、フランスが、それぞれが生き残る為に、すでに、遙か以前に国としての力を無くしてしまっていた彼の国の解体と消滅を選択し実行したのだ。
 頭ではそう分かっている。
 事実上は消滅した国。しかし、誰も彼の最後を見届けた訳ではなかった。神聖ローマ帝国という名は消滅したが、国の具現化としての彼はどこへ行ったのか、誰も見届けていない。彼の国の盟主であったオーストリアでさえも。
 しかし、目が離せないほどに酷似した容姿。このドイツという地がある限り、彼の復活もあり得るのだろうか。

「ははは…よく似た、ガキがいたもんだぜ」

 乾いた笑いを無理に浮かべて、プロイセンはその場から逃げるように立ち去る。

 分かっている。あれは、人ではない。自分と同じ存在だ。



 サンスーシー城に入り込み、プロイセンはかつての王の私室へと足を踏み入れる。プロイセンにだけ許された行動。
 部屋に入るなり、床に座り込んだ。
「何だよ、あれ…」
 頭を抱え呻くようにして言葉を吐き出す。
 すでにプロイセンは理解していたが、感情が理性がそれを拒絶する。
「何で、お坊っちゃんの元ではなく、ここにいる…何で俺が見つける…」
 その意味を、腹立たしいほどによく理解出来ていた。そんな自分に絶望さえ覚えた。
「結局は、そういうことかよ…ちくしょう」
 この胸に広がる思いは、憎しみか怒りか絶望か。

 しばらく王の部屋で頭を冷やし、プロイセンは帰路へと着く。このまま城で寝ても良いのだが、プロイセンは戻ることを選んだ。
 陽は傾き、風は冷たさを増す。
 先刻通った道を通れば、あの少年が変わらぬ格好のまま座り続けていた。
 少し遠目からそれを見つめる。見定めるようにじっと見つめ続けた。少年はこちらに気付く様子もなく、ただ、ずっと町行く人々を眺めていた。
 と、そんなプロイセンに人の良さそうな女性が気遣わしげに声を掛けてくる。
「お兄さん、あの子の知り合い?」
「…? いや」
 そう、と女性は困ったように落胆の溜め息を吐く。
「あのガキは、ずっとあそこにいるのか?」
 そう聞き返せば、聞いてくれと言わんばかりに女性が目を輝かせてしゃべり出す。
「この一ヶ月くらいかしらね。この通りにいきなり現れてね。ただ一日何をするわけでもなく、ずっと町を眺めてて。最初、難民の子かと思って声を掛けたけど、家にも入りたがらないし、食べ物を分けてあげようとしても受け取らないし。でも、夜になると姿を消して。どこで寝てるのか」
 だんだんと心配を通り越して不気味に思い初めていたのだという。
 近所の者たちと相談しても、あの子供はあの場を動く気配を見せないために途方に暮れていた。このまま続くようだと役人にどうにかして貰うしかないと言っていたところだそうだ。
「ふぅん…」
 プロイセンは気のない返事をし、それからゆっくりと少年に近付いた。目の前に立ったプロイセンの気配にようやく気づいたのか、少年が顔を上げる。
「ここで何をしてんだ?」
「……? 何を…? 何をして? ……分からない」
 問いの意味が分からないのか、自分のことが分からないのか。
「お前、名前は?」
 次にそう問われ、少年は更に考え込むような仕草を見せた。困惑した途方に暮れた表情でじっとプロイセンを見上げてくる。そんな少年を見遣り、プロイセンはわざと笑い飛ばすように口を開いた。
「は、そんなナリじゃ、まだ自分の名前なんか分かんねぇ――」
「…ドイツ」
 プロイセンの言葉に被さるように掠れた声でそう答えた少年。
 反射的にプロイセンは呟き返す。
「それは、この地の名だ。この土地の名だ…」
 それを、お前が名乗るのか。
 その意味するものを、すでに理解していた。だが、受け入れることを感情が拒絶する。
 一瞬だけ、目の前の少年に対して激しい憎悪を抱き掛けた。目の前から消し去りたいほどの激情が、込み上げる。
 ここで叩き斬ってしまえば、この地に何かが起きるのだろうか。
 プロイセンは昏い感情を打ち消す様に頭を振った。無様な考えはよせと、己に言い聞かせて平常を取り戻す。

 視線を下ろせば、少年は澄んだ眼差しでプロイセンを見上げていた。何も知らない無垢の色。まだ戦いも何も知らない、無垢な。
「ははは…。マジでこのタイミングで、俺の前に現れるのかよ…」
 口の中が乾いて仕方がない。声が震えてないのがせめてものだった。
 泣き笑いのような表情がその顔を掠める。
作品名:遠い夏の終わり・1 作家名:氷崎冬花