冬の話
「今日もありがとうございましたっ」
12月20日。いつもの時間、いつもの図書館の帰り道。
久美はいつものようにペコリと頭を下げる。
「いーえ。どういたしまして。お粗末様でした」
クスリと笑って井沢が答える。
お互いの部活が終わってからのほんの1時間。久美と井沢は図書館で勉強をする。正確には『久美が井沢に勉強を教わっている』わけではあるが。
夏休みの終わり、中学の全国大会も終わった頃に、「勉強、見てやろうか?」と言い出したのは他でもない、井沢だった。
思えば2年前、あの大失恋の時、いちばん慰めてくれたのも井沢だった。以来、つかず離れずの距離で見守ってくれる井沢の存在は久美の中で優しい先輩から兄のような存在へ、そしてほのかな恋情へと変化していっていた。
その申し出はマネージャー業にかまけて受験勉強置き去りの日々を送っていた久美にとって非常にありがたいものであり、また、飛び上がりそうに嬉しいものでもあったが、正直、慌てもした。
高校サッカーは冬が本番なのだ。2年とはいえ、井沢のレギュラーの座は決定している。
久美がそれを言うと井沢は笑って、「だからさ、部活終わってからの少しの時間になるけど」と答えた。
その顔があんまり余裕に満ちていたものだから、久美は安心して寄りかかることにした。
秋が過ぎて予選が近づくと、井沢と顔を合わせるのは1日30分もないこともザラになった。
久美に問題を出すだけ出して、寝ていることもあった。
それでも井沢は、久美が心配そうな顔をするより先に冗談のようなフォローを入れ、わからないことには帰りの道すがらでも事細かに教えてくれた。久美もつい、それに乗せられて、気持ちを伝えそびれていた。
地方予選も終わって全国大会を残すのみとなった12月の今は、最初の頃のように5時30分から6時くらいに現れてノンビリと教えてくれる。
だから井沢の誕生日の今日、感謝の気持ちとともに自分の想いを伝えようと思っていた。
暗いから、といつも送ってくれる川沿いの土手を歩きながら、久美はプレゼントを渡すタイミングを考えていた。
辺りはすっかり暗く、雲の合間から星がきらめいている。行き交う人もまばらになった頃、久美は勇気を出して井沢の学生服の裾をクイと引っ張った。
「ん? どうした?」
少し前を歩いていた井沢は立ち止まる久美を振り向き、優しい顔を向けた。
「お誕生日おめでとうございます!」
久美は俯いたまま、持っていた小さな紙バッグをズイと井沢の面前に差し出した。
「先輩、大会のレギュラー決まってて忙しいのに、勉強教えるって言ってくれて、それから、これから全国大会で大変なのにいつも遅くまでつきあってくれて、ありがとうございます!! というわけで日頃の感謝の気持ちです!」
一気にまくし立てて顔を上げると、井沢がビックリしたように久美を見ている。それからプッと笑うと紙バッグを受け取り、言った。
「ありがとう」
その顔があんまり嬉しそうだったものだから、久美は思わず赤面する。
「開けていい?」
もう一度歩き出して電柱の明かりの下に来ると井沢が聞いた。
「は、はい」
久美が答えると井沢はきれいにラッピングを施されたそれを丁寧に開けていく。
中には黄色いリボンで束ねられた深緑のフリースの手袋と白い競技用のサポーター。それに小さな紫色のお守りがひとつ。
「あ、あの、それ、うちの近所の神社のお守りなんですけど、おじいちゃんがあそこはこの辺の氏神様だからご利益がある、って……神頼みも変かな、って思ったんですけど、少しでも力になれればと思っ……て、って……先輩?」
自分でも「変かな」と思う物をあげた恥ずかしさで顔を真っ赤にしながら言い訳のように言っていたら井沢が笑いをかみ殺す姿が目に入り、久美は不信そうに声をかけた。
「……。あ、悪い悪い。……いや、嬉しいよ。ほんとに。……ありがとう」
散々笑った後でそう言われたものの、その顔もあんまり優しくて、久美は決意したように口を開いた。
「あの! 25日は空いていますか!?」
「杉本、何ブスっくれてんだよ」
ブスが余計ブスになっぞ、と言ってニシシと笑う新田の背中を思い切り横蹴りすると耳に届く罵声を無視して早苗とゆかりに駆け寄った。
「せ~んぱ~い」
恨めしそうな久美の声に2人は一瞬後ずさる。
「ど、どうしたの? 久美ちゃん」
「今日の企画立てたの、誰ですか~?」
あの時。
井沢の練習が引けたら彼を誘ってショッピングモールまで足を伸ばし、クリスマスイルミネーションを見に行こうと思っていた。
「25日は空いていますか!?」
勇気を出して投げかけた問いの答えはあっさり無残に、
「あ、ごめん。その日は皆と約束しちゃったんだ。……そうだ! 杉本も一緒に行こうよ」
だった。
南葛の皆が仲が良いのは知っている。それが微笑ましく、楽しく、良いことなのもわかっている。でも、クリスマスであるこんな日にゾロゾロと連れ立って出かけることはないではないか。はっきりいって責任者に文句のひとつでも言わなければ気がすまない。今の久美はそんな気分だった。
「あたしよ」
久美の問いにゆかりが腕を組んで憮然と答える。
「え~!?」
久美が抗議の声を上げると、ゆかりはズイッと近寄り、久美の眉間を突きながらひそひそと言った。
「あたしはねっ! 石崎を誘ったのよ! い・し・ざ・き・をっ!!」
ゆかりの話はこうだった。
きっと来年になったらお互い忙しいだろうから、今年のうちにあのショッピングモールの巨大ツリーを2人で見たいな、と思っていた。
口を開けば憎まれ口だし、色気のかけらもない日々の少しの潤いくらいにはなるのではないか。あわよくば自分の想いも伝えられるし……。そんなことを思って声をかけたところ。
「おう! いいな! 練習引けてからなら丁度きれいだろうな。……じゃあ、皆には声かけとくから、女の子の方、頼んだぞ!! 」
フンッとふんぞり返るゆかりの言葉に、久美はその場にへたりそうになる。
「つまり……石崎先輩の中では『楽しい所は皆で行こう』は大前提なんですね……」
「……そーゆーことよ」
先頭を歩きながら浦辺と楽しげにじゃれあう石崎を見てため息をつく2人の横で、早苗は困ったようにクスクスと笑う。
「……先輩はいいですよね」
久美がジトッと早苗を見る。早苗の表情が口角を上げた状態のままで固まる。
「え……?」
「そーよねー。早苗はねー」
恨みがましそうな久美にゆかりまで加勢する。
「え? え? で、でも私なんて遠距離恋愛だし……」
「クリスマスカード、来たんでしょ」
フォローにならないことを言う早苗にゆかりがピシャリと返す。
「……」
思わず汗を流しながら黙る早苗。
「お前ら、何やってんだ?」
気まずい沈黙を破るように声をかけたのは井沢だった。
「きゃあっ!」
最後尾で立ち止まってコソコソ話していた女3人は思わず声を上げる。
「ちょっと! 井沢くん、いつから……」
「先輩! いつからいたんですか!?」
12月20日。いつもの時間、いつもの図書館の帰り道。
久美はいつものようにペコリと頭を下げる。
「いーえ。どういたしまして。お粗末様でした」
クスリと笑って井沢が答える。
お互いの部活が終わってからのほんの1時間。久美と井沢は図書館で勉強をする。正確には『久美が井沢に勉強を教わっている』わけではあるが。
夏休みの終わり、中学の全国大会も終わった頃に、「勉強、見てやろうか?」と言い出したのは他でもない、井沢だった。
思えば2年前、あの大失恋の時、いちばん慰めてくれたのも井沢だった。以来、つかず離れずの距離で見守ってくれる井沢の存在は久美の中で優しい先輩から兄のような存在へ、そしてほのかな恋情へと変化していっていた。
その申し出はマネージャー業にかまけて受験勉強置き去りの日々を送っていた久美にとって非常にありがたいものであり、また、飛び上がりそうに嬉しいものでもあったが、正直、慌てもした。
高校サッカーは冬が本番なのだ。2年とはいえ、井沢のレギュラーの座は決定している。
久美がそれを言うと井沢は笑って、「だからさ、部活終わってからの少しの時間になるけど」と答えた。
その顔があんまり余裕に満ちていたものだから、久美は安心して寄りかかることにした。
秋が過ぎて予選が近づくと、井沢と顔を合わせるのは1日30分もないこともザラになった。
久美に問題を出すだけ出して、寝ていることもあった。
それでも井沢は、久美が心配そうな顔をするより先に冗談のようなフォローを入れ、わからないことには帰りの道すがらでも事細かに教えてくれた。久美もつい、それに乗せられて、気持ちを伝えそびれていた。
地方予選も終わって全国大会を残すのみとなった12月の今は、最初の頃のように5時30分から6時くらいに現れてノンビリと教えてくれる。
だから井沢の誕生日の今日、感謝の気持ちとともに自分の想いを伝えようと思っていた。
暗いから、といつも送ってくれる川沿いの土手を歩きながら、久美はプレゼントを渡すタイミングを考えていた。
辺りはすっかり暗く、雲の合間から星がきらめいている。行き交う人もまばらになった頃、久美は勇気を出して井沢の学生服の裾をクイと引っ張った。
「ん? どうした?」
少し前を歩いていた井沢は立ち止まる久美を振り向き、優しい顔を向けた。
「お誕生日おめでとうございます!」
久美は俯いたまま、持っていた小さな紙バッグをズイと井沢の面前に差し出した。
「先輩、大会のレギュラー決まってて忙しいのに、勉強教えるって言ってくれて、それから、これから全国大会で大変なのにいつも遅くまでつきあってくれて、ありがとうございます!! というわけで日頃の感謝の気持ちです!」
一気にまくし立てて顔を上げると、井沢がビックリしたように久美を見ている。それからプッと笑うと紙バッグを受け取り、言った。
「ありがとう」
その顔があんまり嬉しそうだったものだから、久美は思わず赤面する。
「開けていい?」
もう一度歩き出して電柱の明かりの下に来ると井沢が聞いた。
「は、はい」
久美が答えると井沢はきれいにラッピングを施されたそれを丁寧に開けていく。
中には黄色いリボンで束ねられた深緑のフリースの手袋と白い競技用のサポーター。それに小さな紫色のお守りがひとつ。
「あ、あの、それ、うちの近所の神社のお守りなんですけど、おじいちゃんがあそこはこの辺の氏神様だからご利益がある、って……神頼みも変かな、って思ったんですけど、少しでも力になれればと思っ……て、って……先輩?」
自分でも「変かな」と思う物をあげた恥ずかしさで顔を真っ赤にしながら言い訳のように言っていたら井沢が笑いをかみ殺す姿が目に入り、久美は不信そうに声をかけた。
「……。あ、悪い悪い。……いや、嬉しいよ。ほんとに。……ありがとう」
散々笑った後でそう言われたものの、その顔もあんまり優しくて、久美は決意したように口を開いた。
「あの! 25日は空いていますか!?」
「杉本、何ブスっくれてんだよ」
ブスが余計ブスになっぞ、と言ってニシシと笑う新田の背中を思い切り横蹴りすると耳に届く罵声を無視して早苗とゆかりに駆け寄った。
「せ~んぱ~い」
恨めしそうな久美の声に2人は一瞬後ずさる。
「ど、どうしたの? 久美ちゃん」
「今日の企画立てたの、誰ですか~?」
あの時。
井沢の練習が引けたら彼を誘ってショッピングモールまで足を伸ばし、クリスマスイルミネーションを見に行こうと思っていた。
「25日は空いていますか!?」
勇気を出して投げかけた問いの答えはあっさり無残に、
「あ、ごめん。その日は皆と約束しちゃったんだ。……そうだ! 杉本も一緒に行こうよ」
だった。
南葛の皆が仲が良いのは知っている。それが微笑ましく、楽しく、良いことなのもわかっている。でも、クリスマスであるこんな日にゾロゾロと連れ立って出かけることはないではないか。はっきりいって責任者に文句のひとつでも言わなければ気がすまない。今の久美はそんな気分だった。
「あたしよ」
久美の問いにゆかりが腕を組んで憮然と答える。
「え~!?」
久美が抗議の声を上げると、ゆかりはズイッと近寄り、久美の眉間を突きながらひそひそと言った。
「あたしはねっ! 石崎を誘ったのよ! い・し・ざ・き・をっ!!」
ゆかりの話はこうだった。
きっと来年になったらお互い忙しいだろうから、今年のうちにあのショッピングモールの巨大ツリーを2人で見たいな、と思っていた。
口を開けば憎まれ口だし、色気のかけらもない日々の少しの潤いくらいにはなるのではないか。あわよくば自分の想いも伝えられるし……。そんなことを思って声をかけたところ。
「おう! いいな! 練習引けてからなら丁度きれいだろうな。……じゃあ、皆には声かけとくから、女の子の方、頼んだぞ!! 」
フンッとふんぞり返るゆかりの言葉に、久美はその場にへたりそうになる。
「つまり……石崎先輩の中では『楽しい所は皆で行こう』は大前提なんですね……」
「……そーゆーことよ」
先頭を歩きながら浦辺と楽しげにじゃれあう石崎を見てため息をつく2人の横で、早苗は困ったようにクスクスと笑う。
「……先輩はいいですよね」
久美がジトッと早苗を見る。早苗の表情が口角を上げた状態のままで固まる。
「え……?」
「そーよねー。早苗はねー」
恨みがましそうな久美にゆかりまで加勢する。
「え? え? で、でも私なんて遠距離恋愛だし……」
「クリスマスカード、来たんでしょ」
フォローにならないことを言う早苗にゆかりがピシャリと返す。
「……」
思わず汗を流しながら黙る早苗。
「お前ら、何やってんだ?」
気まずい沈黙を破るように声をかけたのは井沢だった。
「きゃあっ!」
最後尾で立ち止まってコソコソ話していた女3人は思わず声を上げる。
「ちょっと! 井沢くん、いつから……」
「先輩! いつからいたんですか!?」