冬の話
いちばん聞かれたくない話をしていたゆかりと久美が井沢に詰め寄る。
「いつ……って、中沢が翼からクリスマスカードもらったんだろ?」
2人の迫力に少し驚いたように答える井沢に、ゆかりと久美は安堵の息を大きく吐いた。
「何やってんのか知らないけど、置いてかれるぞ」
井沢の言葉に前を見れば、集団はすでに遥か前。どうやら井沢はわざわざ呼びに戻ってくれたらしい。何だかんだで井沢に礼を言い、慌てて皆を追いかける。
南葛でいちばんの繁華であるショッピングモールはいつもの比ではないくらいの人で溢れていた。きらびやかなイルミネーションに包まれたそこは、意外とカップルよりも家族連れが多い。
「はぐれるなよー!!」
石崎の大きな声が響く。サッカー部の面々はその声に従って人込みを縫うように進む。目当ては今回の主役でもある広場の真ん中に鎮座する3mの巨大クリスマスツリー。この小さな街には似つかわしくない程の豪華さだと聞く。
珍しく遅い時間まで開店している店や屋台をひやかしながら先へと進む。途中でクラスメイトの一団に出くわし和気あいあい、「またな」と手を振ればこっそり待ち合わせていたらしいサッカー部の先輩男女にバッタリで口笛吹いたりはやしたり。そんなことを繰り返し、広場に出ればそこは照明と人の渦。
「うわぁー!!」
色とりどりの電飾に照らされて浮び上がる深緑のモミの木を見上げると、機嫌の悪かったことも忘れて久美が感嘆の声を上げる。
ライトアップされたツリーは高く高くそびえ、そこだけは異世界のような美しさだった。誰もがその華麗さ、荘厳さに瞳を奪われていた。ふいに広場の大時計が鐘を鳴らす。1時間ごとに時を告げるために鳴る鐘の音だったが、こんな日はまた別の音色に聞こえてくる。誰もがその光景にうっとりとしていた。
と、久美の肩を誰かが突つく。振り返ればすぐ後ろに井沢がいた。
井沢はロングコートのポケットに手を入れ、何かを出すと、それを久美に握らせた。それは、少し古びたミサンガだった。
「こないだのお礼。中学ん時から持っているから古いし、今時ミサンガなんて流行らないかもしれないけど ……しかも去年、『泥』ついちゃったけど、まだご利益あると思うから」
久美は「受験、頑張れよ」と言う井沢を言葉もなく見つめて、それからハッとしたように言った。
「!! でも先輩、これ、先輩にとって大切なものなんじゃ……」
「いいんだ」
「でも……」
「今年はこれがあるからね」
そう言って笑って井沢が出したのは、井沢の誕生日に久美があげた紫のお守りだった。
「……」
恥ずかしさと嬉しさで久美は顔を真っ赤にする。
「……ありがとうございます。先輩も、大会頑張ってください」
久美がやっとのことでそう言うと、井沢はもう一度、今度は自信に満ちた表情で微笑んだ。
「……今年は、勝つよね」
ツリーを見上げたまま早苗がポソッと言ったのを誰もが聞き逃さなかった。
「ああ。勝つさ」
石崎がやはりツリーを見上げたまま言う。
「『翼がいない南葛は勝てない』なんて、もう言わせねぇ」
力強く言う横顔を見ながらゆかりも微笑んだ。
石崎がどれだけ頑張ってきたかを自分は知っている。早苗から聞いたことがある小学生時代の石崎は、どうしようもないくらい下手なサッカー選手だったらしい。それが、中学の時にはジュニアユースのメンバーに選ばれるまでになっていた。高校に入ってすぐ、修哲の面々に混じってレギュラーに選ばれたのも彼の努力とそれに裏打ちされる実力なのをゆかりは知っていた。
去年、東邦に負けた時、新聞も雑誌も散々に南葛を叩いた。『翼がいない南葛』。この言葉を聞かないためにも今年こそは。誰もがそう思っていた。
「うっし!! 明日も練習だぞ! 帰るか!!」
明るい表情で石崎が言う。名残惜しそうに、それでも皆は同意し、その場を離れた。
方向が違う元・南葛小や元・大友中の連中と別れ、「送ってくから」と来生と滝、高杉とも別れる。背中をひやかされながら井沢は久美を促し、いつもの土手へと向かった。
さっきのツリーがきれいだったとか、今日の皆がどうだったとか、くだらない世間話に花を咲かせながら道を行く。
「しかし、意外と翼もマメだよなぁ。クリスマスカードなんて」
言ってから井沢は「あ」と久美を見る。
「……ごめん」
何となく気まずそうに謝る井沢に久美の顔が思わずほころぶ。
「何言ってるんですか、先輩。あたし、もう気にしてませんよ。それに、あの時も言ったけど、あの2人ってやっぱりどうしたってお似合いだし」
ニッコリと言う久美に一瞬言葉を詰まらせるが、邪気のない顔に安心したように井沢も笑った。
気がかりがなくなれば馬鹿話を繰り返しながら、何となくお互い、内心の想いをさらけ出すこともできないまま、久美の家の前に着く。
「今日は楽しかったです」
「うん。しばらく会えないけど、年が明けたらまた、勉強見てあげるよ。その頃にはもっとゆっくり教えてあげられると思うし」
久美の礼に井沢が言った。これからしばらくは全国大会のために会えなくなる。そのことに気がつかされ、久美の胸がチクリと痛む。
「ミサンガ、ありがとうございます。応援行きますから、先輩も頑張ってくださいね」
笑顔を作ってそう言うと、井沢も微笑む。
「ああ、もちろん。……じゃあ、俺帰るから」
「え!」
久美が思わず声を上げる。井沢はクスッと笑うと久美の額をコツンと小突いた。
「風邪ひく前に家に入りなさい」
「う……」
足をすり合わせているのがバレていたらしいと知って、久美は言葉を詰まらせる。
「じゃあな」とあっけないくらい早く背中を向け、トレーニングも兼ねてだろう、走り去る井沢を、それでも久美はしばらく見つめていた。