揺らめき×少年少女
冷静な声でスガタが言うので、ワコは言葉のニュアンスに妙にドギマギした。
二人の間に流れる空気の色が揺らめくのを、タクトは敏感に感じていた。
山の中の神社の家は虫の声がうるさくて、けれど四角い空間は驚くほど静寂に守られている。
親しい友人の部屋というのは、言霊が響くがごとく、こんなにも空気を地肌に感じる場所なんだとタクトは気付いた。
ワコのいれたお茶は甘い香り。
どこかで香った覚えがあり、5月の気温と畳の匂いに相まって懐かしい思いがした。
「急須だよね?」
心地よい香りに副交感神経優位になっていたタクトは、その言葉に緊張の糸を少し絞った。
「それ急須だよね。」
スガタはもう一度言ってワコを真顔で見つめた。
「さっき買ったティーポットは?」
「これだよ、さっき買ったの。」
ワコはさらりと言うとはっとして、弁解するように続けた。
「違うの!見てこの急須。要はこういう丸くて大きめのポットなら何でもいいんだって!紅茶を美味しくいれるためには・・えーっとホッピング?が大切なの!だから、丸ければ急須でもいいんだよ!」
「でもさ。」
スガタは続けて疑問を口にした。
「そば茶だよね?」
「え?」
ワコは笑顔を張り付けとぼけた顔をする。
「あ、そば茶か。」
タクトは言葉によって匂いの記憶を引き出した。
「そば茶だよね、ソレ。」
「あう。」
ワコはバツが悪そうに誤摩化し笑いをして、「まあまあ。」なんて言って。
「今日は急須を買ったから、茶葉はまた今度ということで、そば茶会しましょう!」
このとぼけた幼なじみは、多分何があっても憎めない。そう思うとスガタは自然と眉が下がっていた。
ワコが「もういいかな〜。」なんて言いながら、用意した湯のみにそば茶を注ぐのを眺める。
一回りも二回りも小さくて華奢。清潔感のあるショートヘアはいつも整っている。
伏し目にした瞳には、奇麗に弧を描いて長い睫毛が明らか。
男には膝が痛くてむしろ辛くなりそうな座り方が女性らしい。
一人着替えた私服のショートパンツからは、真っ白で柔らかい曲線があらわになっている。
ワコは可愛い。
抱きしめて部屋に持ち帰り、自分のカゴの中だけで大切に育んであげたい。
けれどこの無垢で儚そうな少女は、スガタが望む妄想のように保守的ではない。
新しい世界のために汚れることも、構わないと思っているのだ。
そんなワコが純粋よりさらに汚れないと、スガタは思う。
「はい、タクトくん。」
ワコは一番大きな湯のみをタクトに手渡す。
茶色かかっていてどっしりとしたものだ。
「ありがとう。」
タクトは丁寧にその言葉を紡ぐ。
「はい、これはスガタくんに。」
それは群青の濃淡が奇麗な小さな湯のみだ。
「ありがとう。」
「これは私の。」
スガタの湯のみと同じくらいの大きさで、形もお揃いのようだった。
ワコのものは薄い藤色で、素材が同じなのか表面の焼き上がり方もよく似ていた。
「これもあの店でさっき買ったんだよ。私のとスガタくんのは、タクトくんが選んでくれたの。」
瞬時に、二人分の湯のみを余計に買ったために茶葉が変えなかったのだと、スガタは気付いた。
ワコが優先するのはいつも、三人分の湯のみの方。
「そうなんだ。」とかなんとか、スガタは上の空に答えた。
意地らしいほど友人思いのワコ。
そしてその友情はタクトにも、等しく振り分けられた。
彼が手にしている茶色い湯のみは、ワコが選んだモノだろう。
おじいが持っていそうな大きめな器は、そのままワコがタクトに抱く信頼や安心感なんだとスガタは思う。
意識は自分の手の中の湯のみに注がれた。
タクトが選んだ。
その群青の湯のみに、スガタはあることを思い出していた。
タクトはスガタを夜空に例えた。
思い出すのも気恥ずかしいようなロマンチックの言葉の数々だったが、スガタはそれが歯がゆくもなく純粋に嬉しかった。
つい、盗み見るようにタクトを見た。
タクトは黙って茶をすすり、一人の世界に染み入っている。
別に意味なんてないか。
スガタは自分に言い聞かせた。
髪も青いし、単純にこういうイメージなんだろう。と、
落胆する恐怖に自分が臆病になっていることも、スガタは知っていてそう言い聞かせた。
ワコのいれたお茶を口にすると、ほんのりと甘くまるい茶の旨味が広がった。
食道を暖めながら胃に落ちる感覚は、染み渡るような錯覚に変わり、スガタを無心にさせてくれた。
□
スガタは異変に気付き目を開けた。
無心になったからではない。
この静けさ、この違和感。
ゼロ時間への前兆だった。
6畳の部屋の天井に、眩い銀河が映し出されて途端に空が開けた。
シャボンのような影が無数に浮かんで、こちらを注視している。
真ん中にはシャープな形の赤いサイバディが一体。
『銀河美少年!!今日で終わりにしてやる!!!』
そのドライバーの声はやはり十代の少年のように聞こえた。
「タクトくん!」
ワコが痛切な声をあげた。
「茶ぐらいゆっくり飲ませてくれよ。」
言い捨ててタクトは大きく息を吸った。
「アプリポワゼ!!!!!」
その闘いを傍観するたびスガタは不安になる。
タクトは勝ちすぎている。
サイバディでの闘いが始まってから、タクトは連勝を続けている。
そんなはずはないのだ。
どんなに腕の立つ剣士であれ、人間であるかぎり連勝し続けることなど不可能だ。
数字が支配するこの銀河で、起りうる勝負は全て確率に割り当てられる。
上手く負けることを知らなければ、本当に命を落とすぞ!
心の中で叫びながら、タクトの剣がはらわれる時、スガタは自分の命をかけても王の柱を使う覚悟だ。
そしてこの闘いを傍観するたびスガタは矛盾を感じる。
命をかけて友を救う覚悟があるのに、ワコの犠牲に彼の命がさらされることに、無抵抗を持って賛成し続けている。
「タクト・・・。」
只ならない殺気を秘めるスガタの拳を、ワコが握った。
「だめだよスガタくん!」
傍らを見れば自らを憂う人が。小さなその手を微かに震わせているのに気付く。
守りたいのだ。
この無垢で気高い少女を。
本当に、一番に命を投げ出してしまうのはワコだから。
本能的にタクトは知っている。
幼い頃からスガタは知っている。
守らなければ。
この少女はいつでも命を投げ出してしまう。
必然のようにそうなったことを、本人たちは気付いていない。
三人は三人の命を持って、互いのそれを守ろうとしている。
この闘いの末に命を落とすかは分からないが。
まだ自らを探す16歳の少年少女の魂は、敗北に消えない代償を払うだろう。
永遠に何かから飛び立てなくなりそうで、ひたすらあらがおうとしているのだ。
「タクトくんは大丈夫。」
あんなに切ない声でタクトを名を呼んでいたのに、ワコは不安でいっぱいの瞳を揺るがせて言った。
「タクトくんなら、大丈夫。」
根拠の無い期待。
それは少女が男によせる信頼。淡い憧れの期待。
本当は不安でたまらない、今にも恐怖が顔を覗かせそうで。
スガタはワコの手を握り返した。
その男はまだ自らを知らない16歳の少年。
少年が少年によせる信頼。眩い憧れの嫉妬と裏腹に期待。
「信じてるよ。 ああ。」