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8月27日、サンパウロにて

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「うん。ブラジル料理自体はそれほどブームなわけじゃないけど」

「こんなにおいしいんだから、サッカーと同じで日本でももっと浸透すればいいな」

そう言って切り分けた肉にかぶりつく。肉は、スパイスの味だけの、素材の味を引き出すかのような簡素な味付けだった。翼くんは完全にブラジルに馴染んでいるんだ。それは日本の味、日本の空気にとっぷり漬かりきった私に、異国の地で元気なことが嬉しいような、このまんま翼くんが日本の皆のことを忘れちゃいそうで寂しいような、複雑な思いを起こさせた。

食後に私が持ってきたお茶を入れ、やらなくていいよ、と言う翼くんの言葉を押し切って、後片付けをする。泡立ちの悪い洗剤をスポンジに馴染ませながら食器を洗っていく。翼くんはソファでくつろいでお茶を飲みながらお土産の雑誌に目を通している。

(何か、新婚みたい)

そう考えた瞬間、翼くんのベッドルームを思い出し、途端に顔から火を吹く。

「やだ! もう!」

「え?」

身を起こし、こちらを向く翼くんに「何でもない」と引きつった笑顔を向け、慌てて蛇口をひねる。今更のように自分のカマトトぶりを自覚する。ちょっとショック…。

どうにか平静を取り戻し、私もソファに向かう。お茶を入れ、一口すすると落ち着く気がした。

「翼くん、明日も練習?」

「うん…それなんだけど」

翼くんは雑誌から顔を上げ、私に向き直った。

私は翼くんが休みの今日を狙って、ここブラジルに来た。だけど、わかってはいた。

「練習、休めないんでしょう?」

翼くんが切り出し辛そうにしていた言葉を私から言った。

「いや! 休めないことはないんだよ! ただ…」

「『休みたくない』んでしょう?」

笑って後を続ける。

翼くんにとってサッカーは何よりも大事。それをわかっていて来たんだもの。覚悟は出来ていた。

「ごめんね」

「ううん。でも、練習は観に行ってもいいでしょう?」

「もちろん!」

翼くんはやっと、安心したように笑った。そうすると現金なもので、「日課だから」とトレーニングウェアに着替え、マラソンに行くと言った。

「危なくないの?」

心配して聞けば、コースは決まっているから大丈夫、と根拠のない自信に満ちた言葉が返ってきた。

「すぐ戻るから、お風呂でも入ってノンビリしててよ」

翼くんは笑ってそう言うと、颯爽と背を向け、外に行ってしまった。

「…もう」

ため息をついて、用心のために鍵をかける。しばらく雑誌を見たり、テレビをつけたりを繰り返すけれど、言葉もわからないしすぐに飽きてスイッチを消す。ボンヤリとソファにもたれてみるけれど、翼くんの帰って来る気配はない。

「お風呂、入ろうかな」

誰ともなく呟いて、スーツケースから着替えを出す。玄関の脇のお風呂場はユニットバスだったけれど、バスタブも広く、快適そうだった。お風呂場も鍵をかけ、脱衣カゴに汗でベトベトになった衣類を脱ぎ入れ、カーテンを引いてコックをひねる。熱いお湯が勢いよく出て、思わず慌てて避けるけれど、身体が慣れてくるとその熱さも心地良く、スッと汗がひくのを感じた。翼くんのシャンプーを借りようかとも考えたけれど、折角持ってきたんだし、自分のを使うことにした。

部屋着用に持ってきた木綿のワンピースに着替え、頭にタオルを巻いてお風呂場を後にする。冷蔵庫に牛乳を見つけ、勝手に出して飲んでいると玄関でカチャカチャと音がして翼くんが汗まみれで入ってきた。

「お帰りなさい」

「ただいま…ハハッ。何かいいね。帰って来て待っていてくれる人がいるのって」

タオルで汗を拭きながら翼くんは言う。私は顔が紅潮するのを感じながら冷蔵庫からアイソトニック飲料を出してグラスに注ぎ、翼くんに渡す。翼くんは「ありがとう」と受け取って一気に飲み干す。中学の時も翼くんは人一倍身体を動かし、汗をかいていた。懐かしいな。そんなことを思っていたら翼くんも、

「何か、こうしていると中学の時みたいだ」

と言って笑った。

翼くんはそれからシャワーを浴びてボクサーパンツ1枚という姿で出てきた。

「やだ! 翼くん!」

私は思わず顔を背けるけど、翼くんは笑って気にもとめず、その場で汗をかかない程度の軽い柔軟を始めた。それに気づいて私は思わず介添えをする。翼くんは「流石、マネージャー」なんて笑っているけれど、習慣って怖いわ。

柔軟を終えると途端に翼くんの鍛え抜かれた上半身を意識してしまい、また目をそらした。

「翼くん、Tシャツかなんか着てよ」

「もう寝るだけだからこのままでいいよ」

背中を向ける私を翼くんは意にも介さず。心なしか声が面白がってるような…と、思ったら後ろから抱きすくめられた。俯いてドキドキしていると、耳のすぐ横で翼くんの声と気配がして、思わず身体が硬直する。

「一緒に寝よ?」

「……」

「何もしないからv ね?」

「……」

「早苗ちゃん?」

「……やだ」

「…俺と一緒じゃ嫌?」

「……違う、けど」

「じゃあ、何で?」

「……翼くん、ぜーったい、面白がってるから、やだ」

「……」

私の身体に回した翼くんの腕に力がこもる。やだ。言い過ぎちゃったかな。心配になって振り返ると顔を真っ赤にして笑いを堪える翼くんの顔が。

「…!! もう、知らない! 私、ここで寝る!!」

翼くんを突き放してクッションを掴むとソファにそのまま横になった。

もう。翼くんのバカ。デリカシーのかけらもないんだから。私は翼くんに背を向け、ムッツリしたままクッションに顔を埋めて目を閉じる。

「早苗ちゃん、ごめんって」

翼くん、まだ笑いながら言った。

「ごめんね」

知らない。せっかく久しぶりに会えたのに。私だってちょっとくらいは覚悟してきたのに。

「さーなえちゃん」

……。

すぐ、真上で、翼くんの声。いたずらっ子みたいな、優しい声。

「君が欲しいんだ」

「……」

おそるおそる顔を上げると、優しく微笑む翼くんの顔。

「駄目?」

「……」

顔は真っ赤、泣きそうな目をしたまま、フルフルと首を横に振る。近付いた翼くんの首に腕を回す。抱きとめ、抱え上げ、くちづけられる。最初は軽く。それから、深く深く。それは甘く、さっきのワインよりも遥かに酔いしれる、極上の。