サイケデリック兄弟~悪戯なう~
俺は雑誌を開きながらソファの上に寝転んでいた。新しいヘッドフォンや再生機器、スピーカーに新譜など、魅力的なものが所狭しと並んでいた。別段欲しいとかそういうわけではないが、それらは見ているだけで楽しいものだった。
しかしそんな幸せな一時は打ち破られた。
「でりっくー!!」
「ぐ……」
ネットサーフィンから帰ってきた兄が俺の背中の上に落ちてきた。しかもちょうど腹の上に乗ってきたから思わず呻いた。
「…退け」
「今日ね今日ね、おもしろいモノ見つけたんだ!」
そういう兄の顔を見れば、すばらしく企みを含んだ黒い笑顔を浮かべていた。要は口は笑っているが目が笑っていないということだ。さて急いで避難しなければきっと俺は酷い目に遭うだろう、いや遭わされる。しかし体はすぐに動かなかった。
俺は見事に兄に拘束されていた。力では俺の方が断然上なのだが、力任せと言うのは兄に通用しない。俺にとって用途の不明すぎる「支配コード」なるものをマスターが渡しているせいだ。これが使われたときは強制的に俺は兄に従うしかないのだ。
そして今、これが使われている。
「ぜひともこれをでりっくにためしたくてねー」
そう言って兄は何の断りもなく耳から伸ばしたプログラム転送用接続端子を俺に繋いできた。
「おい、何がしたいんだ」
「すぐにわかるよ~」
「っう!」
瞬間、視界にノイズが走った。パチパチとしたスパーク音が耳元で鳴り、俺はすぐに接続を切ろうと手を左耳に伸ばした。けどその手は兄に掴まれた。
「だーめ」
「これ、何」
流れ込んできたデータは、意思とは無関係に次々に読み込まれていく。文字の羅列はめちゃくちゃで、とても読めたものじゃない。しかもところどころコードに矛盾がありさらに拗れていく。って、これウィルスじゃないのか。
「俺をジャンクにする気か!」
「だいじょうぶ、こわれたりはしないよ。でりっくにもちゃんとセキュリティ入ってるから」
でも、ちょっと辛いかもね~。
そういう兄の声音は楽しそうだった。何か裏がある。絶対、ある。
「でね、でりっくがお兄ちゃん、って呼んでくれたらやめてあげるよ」
「ッ……」
――― そういうことかよこのバカ兄貴!
そう叫んでやりたいと思うが、どうにかこのプログラムを強制排除もしくは削除、終了できないかとフルで動くセキュリティのせいで俺は形声分野が機能しなくなっていた。
「…ぃ…ぁ」
慌てて喉に手を当てるが、それで何か変わるわけじゃない。空咳をするが何も変わらない。
「 」
そしてその機能障害は聴覚分野にまで響いてきた。プログラムは自動再生され俺を侵食しようとするが、そのそばからセキュリティが排除、削除、終了をしていく。視覚分野もやられ目まぐるしく画面が切り替わり、さらにそんな多重の高速処理のせいで体温が上昇した。
その光景から目を反らしたくて目を閉じて身を捩るが、内でのことだから消えるはずがなかった。
「……ッ」
――― 暑い、苦しい、痛い、熱い…
すべてが混ざって、もはや区別がつかなくなっていた。何かを掴みたくて手を伸ばすが、何も掴めない。次第に平衡感覚も狂い始め、自分がどこに向けて手を伸ばしているかもわからなくなった。
ふと、今まで空を切っていた手が何かを掴んだ。僅かな思考分野でそれが兄の腕だと気付くのには数秒かかった。とにかく、早くこの拷問のような状況から脱却したかった。
すると、ウィルスの侵食の速度に変化が生じた。遅くなった。その勢いが、最大の70、60、50パーセントと徐々に落ちていった。何が起きたのかと薄く目を開けると、焦点を失った視界で兄が何やら焦った様子で口を動かしていた。どうやら兄が外部干渉をかけてきているのだと、判断した。
「… 、 …」
「 」
その瞬間、プログラムの動作が停止した。視覚聴覚発声それぞれの機能は瞬時に復元され、セキュリティも奥に引っ込み、体の中は静かになった。
「「……」」
暫くの沈黙が流れた。
「満足、かよ、…バカ兄が……」
俺は動けなかった。かなり体力を消費したようで、活動限界域ぎりぎりまでに落ちていた。念のためデータバンクの被害状況を確認したところ、ウィルスデータはきれいさっぱり跡形もなく消え去り、被害を受けたのは家事データの一部とマスターのデータの複製位だった。どちらも元があるから復元は可能だった。
そして安心を得たところで急に眠気が襲い、俺は逆らうことなく目を閉じた。
作品名:サイケデリック兄弟~悪戯なう~ 作家名:獅子エリ