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久住@ついった厨
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悲しみ連鎖

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 向こうから、血刀を下げた菊が歩いてくる。白い軍服は血塗れで、絹のような黒髪もところどころが血で固まってしまっていた。目に宿っているのは陰惨な光だ。
 あぁ、そこにいるのは本当に菊なんだろうか。俺には信じられない──信じたくもない。

「っ、桜…?」
「勘違いしないで欲しいんだぞ。彼女、勝手にやって来て勝手に倒れたんだからな」

 アルが抱えている桜に目を止めた菊が気色ばむ。それをアルは冷徹な言葉で一蹴した。
 そりゃ事実と異なったことは言っていない。桜は自分から俺たちのところへ来て、自分で刺した傷が元で意識を失った。アルが言ったことは嘘でも何でもない。
 が、いくらなんでももう少し言い方ってものがあるだろう。そんな風に言ったら、菊を徒に刺激するだけだ。

「『自分がいるから兄様は負けられない』んだってさ。君たちって自己犠牲が趣味なのかい? 俺には全く理解出来ないよ」

 嘲るみたいに言うアルに、菊はギリギリと歯噛みした。怒りの炎が目の奥で燃えている。
 軽く血振りをした刀の切っ先が、アルを含めた俺たち全員に向けられる。

「それで私の心を挫いたおつもりですか。残念ですが…私はそんなことくらいで立ち止まる訳にはいかないんですよ」

 あぁ、菊。それなら何で、お前の声はそんなに震えてるんだよ。それなら何だって、そんな泣きそうな顔をしてるんだよ。
 桜のことをあんなに大切にしてたお前が、この状況を突き付けられて「そんなこと」なんて。たとえ嘘でもそんな風に言うなんて、俺には想像も出来なかった。菊、何がお前をそんなに変えちまったんだろうな。何で俺たちは、憎しみ合って啀み合って、戦っているんだろう。

「そう。でももう…チェックメイト、なんだぞ」

 チェックメイト、アルがそう言った時、菊は途端に体の均衡を崩した。重い音を立てて刀が地面に転がる。
 膝をついた菊が激しく咳き込んで、血を、吐いた。ゲホゲホ、苦しそうな喘鳴はなかなか終わらない。じわりじわりと新しい紅が軍服を染めていく。
 ぞわり、俺の背筋を嫌なものが這い上がった。

「…アル」
「しょうがないじゃないか。菊が降伏してくれないんだからさ」
「っ、」

 本当に、使ってしまったのか。アルの言葉で事実を理解して、俺は愕然とする。悪魔の兵器、あれを本当に使う、なんて。
 何を考えてるんだ、とは言えなかった。俺だって使うことを承諾した。アル1人を罵倒することなんて、出来る筈がなかった。
 菊が、昏い視線で俺たちを睨め付けている。俺はそんな菊を直視することが、出来なかった。



 真っ白い部屋、病院の一室。そこで桜は眠っていた──眠り続けていた。
 体の傷は完治したのだが、目を覚ます気配は、ない。戦争が終わってからもう何ヶ月になるだろう。菊は暇さえあれば病室に通って、桜の寝顔を見つめている。今だって、そうだ。
 ベッドの脇に置かれた椅子に座って、じっと桜に視線を注いでいる。そこに宿っている感情は何なのだろう。病室の入口にいる俺にはそれを窺い知ることは出来ない。その胸の内を推し量ることさえ。

「菊、そろそろ…」
「、済みません。付き合わせてしまって」

 答えながら立ち上がった菊は、こっちへ振り向きながら微笑を浮かべる。
 いや、と俺は菊の言葉を否定した。菊がここにいる間中待っているのは、別に大した労力を使わない。気分にしたって、総攻撃の頃合を計るより幾分もマシだ。俺には確かにこの無言の対面に付き合う義理はない。けれどこうして菊の姿を見守り続けるのは、罪悪感があるからなのだろうと思う。
 それに、今の菊から目を離すのが怖い、から。愛想笑いしか浮かべない顔は、いつだって暗く重く沈んでいる。ともすれば自死でもするんじゃないかと、思うくらいに。

「余り無理を、するなよ」

 そう言ってから、いつか同じようなことを言った気がすると思った。菊はそれを覚えているのか──切なげに眉を寄せた。それでも淡く浮かべられる微笑。
 デジャヴ。あぁ、絶対俺たちは過去のどこかで同じようなやり取りをしたことがある。

「善処します」

 通り過ぎ様、呟きよりも小さく紡がれたそれ。それを耳にした途端、俺は反射的に菊の腕を掴んで引き止めていた。菊の顔に驚きが含有される。それ以上声を上げる暇を与えずに、俺は菊を抱き寄せた。
 腕の中で一瞬竦んだ体は、次の瞬間には俺を自分から引き剥がそうとする。俺は菊がその行為を完遂してしまわないうちに、より強く細い体を掻き抱いた。

「離して下さい」
「嫌だ」
「アーサーさん、」
「離したらお前、消えちまいそうだ」

 後を追って儚く散ってしまいそうだ。桜──この国の花、自分の妹のように。
 俺はそれが怖い。菊は抵抗が無駄だと悟ると、急に大人しくなった。ひく、と小さく肩が揺れる。
 俯いた顔、表情は見ることが出来ない。けれど俺の服に掛かる指は、微かに震えていた。肩口に額を預けられる。忙しない、呼吸。

「離して、下さい…こんな風に優しくしないで、」

 懇願の調子さえ含むそれに、俺は非情にNoと返す。菊はくしゃりと顔を歪ませて、それでも俺に縋り付いてきた。






君を打ち砕くのは彼女の喪失
(愛し君よ、どうかもう一度心から微笑んで、)


作品名:悲しみ連鎖 作家名:久住@ついった厨