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神月みさか
神月みさか
novelistID. 12163
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温かい唇

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天気の良い平日の昼下がり、公園は児童達の笑い声で包まれている。子供達が時間を持て余す、夏休みならではの光景だ。

 彼らよりも少し年嵩に見える、ベンチに並んで腰を下ろしているふたりの少年もまた、転げまわって遊ぶような真似こそしていないが、にこやかな表情で時を過ごしている。

 ふたりの内でより年上に見える方の少年――それでも中学生程度に見えるのだが――は、顔に怪我でもしているらしく大きなガーゼを貼っているが、表情に曇りはない。
 傍らに座る少女めいた少年もまた、相手の怪我を気にしている様子はないので、後ろ暗い理由での負傷ではないのだろう。
 ふたりの和やかな空気に、周囲で騒いでいる児童達も彼らを気にすることなく自由に過ごしている。

 怪我をしている少年は、片手で携帯電話を弄りながら明るい声で傍らの少年に話し掛けている。

「――こんな、ダラーズにふさわしくないひと達には、抜けて貰わないとね」
「そうですね、先輩」

 少女めいた少年もまた、にこやかな笑顔で応じている。

 うららかな昼下がりに相応しい、穏やかな光景。穏やかな会話。
 唯、その内容だけは、意味を知る者にとってのみ冷たく凍りついたものだった。










 いつからだろうか。帝人にとっての世界は現実感を失くしたものとなっていた。

 自分になんの価値も意味もないと思い知らされたゴールデンウィークのあの日からだろうか。
 それとも幼馴染の親友が自分の前から姿を消してしまったときからだろうか。
 いや、そもそも自分には似つかわしくない池袋などという都会に出てきたところから、おかしくなりだしていたのだろうか。

 思い返してみても、帝人自身には判断がつかなかった。どれだけ考えてみても、主観でしかものを見られない限りはわからないものなのだろう。

 だから帝人は今、目の前で繰り広げられている光景もまた、現実感を伴わない夢を見ているかのような心持で眺めていた。

 昼間情報を掴んだ不良グループが集まるのを待って、小遣い稼ぎという名のカツアゲに向かおうとしたところを襲った。
 とは言え、帝人には暴力的な力はまるでない。
 使える手駒であるブルースクウェアの面々を使って襲わせた、というのが正しい。

 こういったとき、帝人はなんの役にも立たないが、それでも後方で命令だけ下して現場に立ちもしない、というのはどうしようもない苦さを生む。
 だからできるだけ立ち会うようにはしており、結果巻き込まれて怪我をすることも多い。
 けれど、何故だろう、いつも(これは現実なんだろうか)という思いは付き纏っていた。

 けれども少なくとも今までは、ここまで非現実的なものではなかった筈だった。

「避けんじゃねェごらぁぁあああ!!!!!」
「ひィィ!!!」
「うあぁあ!!!」
「逃げッ……逃げろォオオ!!!」

 阿鼻叫喚の中、暴れまわっているのはサメの目出し帽の少年達ではない。
 帝人の命令によって、帝人の意思によって、ひとを傷つけている手駒達ではない。

 唐突に、なんの前置きもなく、ふらりとこの場に現れた、金髪のバーテン服の男だった。

「逃げるぐれぇなら最初からウゼエ真似すんじゃねぇえ!!!!」

 なにがどうなっているのか、帝人にはわからなかった。
 いや帝人だけではなく、ブルースクウェアの面々も唖然とするばかりだった。

 いきなり現れて、常識とはかけ離れた理屈を前口上として述べたかと思ったら、突如暴れだした、池袋の自動喧嘩人形。
 不良グループの少年達は混乱し、理性的に考えれば決してしてはならないこと――すなわち反撃をし、敢え無く返り討ちに合って宙を舞ったりアスファルトに埋まったりしている。

(なんでこのひとが、僕の目の前にいるんだろう――?)

 夢なのか現実なのか量りかねている中で、真っ先に帝人の頭に浮かんだのはそんなことだった。

(もう、見ることなんてないと思ってたのに――僕と同じ空気を吸うのすら嫌だって、そう言っていたから――)

 帝人にとってダラーズと帝人自身は同じものだった。
 自分が取るに足りないちっぽけな存在だと思い知るに連れ、帝人は自身とダラーズを同一視するようになっていった。
 だから、自分の悪いところを直そうとするように、自然にダラーズを直すことを考え実行している。

 けれどもそれは当人の考えることであって、他の人間からすれば、嫌な相手ならば距離を置いて付き合わなければそれで済む話だ。親しくしていた相手が嫌な風に変わってしまったら別れてしまえばいいだけだ。

(だから、あのひとも、僕を見限った――)

 それは当然で、仕方のないことだった。
 彼は優しいひとだったから、それからも街で会えば声を掛けてくれたし、メールもくれた。
 けれども自分と付き合うのは、彼にとっては苦痛なのだろう。
 だから、自分の方から離れることにした。
 そうしたら、彼も安心したのだろう、声を掛けてくることはなくなった。完全に別離したのだ。

(なのになんで――こんなところで、こんなことを――)

 最後のひとりが放物線すら描かずに真っ直ぐ飛び去った方向を見もせずに、帝人は唯ぼんやりと、道路標識を肩に担いだまま威嚇するように呼吸を荒くしている池袋最強を視界に映し続けた。

 ぐるり、と男がブルースクウェアの方を振り向いた。表情は険しいまま、顔には太い血管が浮いている。
 反射的に少年達は身を竦めた。とても自然で正直な反応だ。
 しかし帝人だけは不自然なまでの無反応で立ち続けた。
 男が長い脚で真っ直ぐ自分達の方へとのし歩いて来ても同じだった。
 目出し帽の少年達は後ずさり武器を構える者、逃げるように距離を取る者が大半だったが、集団の中でも小柄な帝人だけはなんの反応も示さずにそのまま立ち尽くしていた。

「ちょっ……先輩!!」

 帝人よりも更に小柄なひとりが帝人の腕を取る。喧嘩人形の射殺さんばかりの鋭い視線が帝人に向けられていることに気付いたのだろう。下がるようにと腕を引かれたが、それでも帝人は動かなかった。

「邪魔だ」

 まるで猫の子を掴むように軽々と帝人の腕に絡んでいる少年を摘み上げ、背後に放り捨てる。無造作なだけのその動きにどれだけの膂力が使われているのかは、見ている少年達にもよくわかり、益々恐怖を募らせた。

 男は迷いなく目出し帽で顔を隠したままの帝人の前に立つと、険しい表情のまま細い身体を肩の上に担ぎ上げた。

「なっ……先輩!!」
「ちょ、コイツ、頭を……ッ」
「テメエ……ッ!」
「おい待て! コイツ平和島……っ」

 少年達は一気に気色ばんだが、米俵のように担ぎ上げられている当人は、他人事であるかのように落ち着き払っていた。
 いや、というよりも、現実逃避気味なのだろう。
 むしろほっとした心持ちでぼんやりと、男が視界から消えたことに安堵していた。

(良かった……あんな幻、おかしいもの……。あのひとが、僕を見て僕の方に歩いてくるなんて、今更ある筈ないもの……。それもあんな、傷ついてるみたいな顔をして……)

 他の人間から見れば恐怖を煽られるような表情も、帝人の目には痛みを耐えているように映る。
作品名:温かい唇 作家名:神月みさか