暗がりに這う
武田軍が西軍に与した時、すでにそこには西海の鬼として名を馳せる長曾我部の一軍があった。
連合とはある種、同一の目的を持つというだけの個々の軍団の集まりに過ぎない。常に瓦解の可能性すら含むそれを強固にするには、各軍の統率者が互いに連携を取り、それを部下へと示すことが必要となる。
後から一軍に加わった兵たちを率いる立場として、幸村は率先して長曾我部の元を訪ねた。丁重に礼を尽くして対面の場についた幸村の後ろには、忍でありながら武田の重鎮でもある影が控えている。
対して、唯一人で幸村を迎え入れた長曾我部軍の頭領は、向かい合って上座に座りながらもどことなく居心地の悪そうな顔をしていた。この対面を快諾したわりには妙なその様子を不思議に思いつつ、幸村は手本通りの美しい所作で礼をした。そしてわずかに緊張を秘めた、凛とした声を張り上げる。
「某は武田が総大将、真田源二郎幸村!
こたびは武田軍もまた貴殿と同じく西軍に属する次第、改めて長曾我部殿に」
「あァ、いいっていいって。んな堅ッ苦しい挨拶はいらねえよ」
鬼の異名を持つ男、長曾我部元親は、幸村の言葉が終わらぬうちに唐突に声をあげて面倒そうに頭を掻いた。出鼻を挫かれた幸村が思わず言葉に詰まって元親を見返すと、元親はその彫の深い顔に野性味溢れた笑みを浮かべて、脈絡もなくこう言った。
「なあ、そんなことよりよ、ちょいと一戦してみねえか?真田。
あんたのその名は、西の端まで届いているぜ」
一瞬、呆気に取られて口をあけた幸村は、向かい合わせに座る男の全身に満ちる爽快な自負と底知れぬ実力を嗅ぎ取り、次の瞬間には嬉しげに応!と叫んでいた。
「ちょ、大将、自軍同士で一戦て!挨拶だって中途半端なまんまだし」
慌てて口を出した己の影を振り返り、幸村は溌剌とした声で断言した。
「案ずるな佐助、長曾我部殿は某の力を見たいと望まれている。それに応えることがすなわち、どんな礼より確かにこの身を伝える手段となろう!」
「挨拶がわりってか、そうこなくっちゃなァ。よし、そうと決まりゃ鍛練場借りに行くぜ!」
今や立ちあがって視線を交わす、互いの眼に閃いた同じ色の焔を見て、佐助は早々に止めることを諦めた。すでに西海の鬼は目指す場所へ向けて歩きだし、幸村も嬉々としてその後を追っている。さらにその後ろにつき従い、楽しげに跳ねる幸村の髪を見るともなしに見つめながら、佐助は緩い口調で付け足した。
「怪我だけはしないでよねえ、大将。戦でもないのに馬鹿馬鹿しいでしょ」
「うむ、だが再び徳川殿に挑むには、強き者との仕合もまた不可欠!」
浮き立つ声音で言い切った幸村を、前を歩いていた西海の鬼が勢いよく振り返った。
その眼を一瞬のうちに覆った、先程までは見えなかった翳りと昏い光を、佐助は瞬時に見抜いた。同じく不穏を悟った幸村が歩みを止め、生真面目な声音で躊躇いなく問う。
「どうなされた。長曾我部殿」
「いや、……そうか、あんたも、家康にか……」
そりゃあそうだな。此処にいるのはそんな奴ばかりだぜ。自嘲するように零した鬼の顔に張り付いた笑みは、つい先程までの快活さとは程遠いものだった。
幸村は背筋を伸ばして屹立し、真正面から元親を見据えて言った。
「長曾我部殿も、何がしかの因縁がおありか」
それに対し、鬼はしばし黙って幸村を見つめたのちに首を振った。
「……そうだな。俺とあいつにあったのは、違うもんだと思っていたがな……」
そして元親は総てを振り切るようにして、牙を見せて笑った。
「家康を殺すのは俺だぜ、真田」
昏い眼だ。
しかしそこにあるのは闇だけではなく、その中には変わらずに爆ぜる焔が燃え立っている。
「某も、二度と負けは致しませぬ」
幸村もそれ以上は問わず、決意だけを返した。ふん、と満足げに息を零した男はそれまでの翳りをまた覆い隠して、「虎の若子ってのがどんなもんだか見せてみな」と挑発するように言った。それに対し、幸村もまた不敵な顔で答えた。
「鬼の爪すら噛み砕いてみせましょうぞ」
楽しそうで結構だこと。
その応酬を見た佐助は、久々に主が見せる溌剌とした姿に小さく安堵の息を漏らした。だが同時にその眼に鋭い光を湛え、内心で反芻する。
――西海の鬼が、徳川家康に、これほどの敵意を?
連合とはある種、同一の目的を持つというだけの個々の軍団の集まりに過ぎない。常に瓦解の可能性すら含むそれを強固にするには、各軍の統率者が互いに連携を取り、それを部下へと示すことが必要となる。
後から一軍に加わった兵たちを率いる立場として、幸村は率先して長曾我部の元を訪ねた。丁重に礼を尽くして対面の場についた幸村の後ろには、忍でありながら武田の重鎮でもある影が控えている。
対して、唯一人で幸村を迎え入れた長曾我部軍の頭領は、向かい合って上座に座りながらもどことなく居心地の悪そうな顔をしていた。この対面を快諾したわりには妙なその様子を不思議に思いつつ、幸村は手本通りの美しい所作で礼をした。そしてわずかに緊張を秘めた、凛とした声を張り上げる。
「某は武田が総大将、真田源二郎幸村!
こたびは武田軍もまた貴殿と同じく西軍に属する次第、改めて長曾我部殿に」
「あァ、いいっていいって。んな堅ッ苦しい挨拶はいらねえよ」
鬼の異名を持つ男、長曾我部元親は、幸村の言葉が終わらぬうちに唐突に声をあげて面倒そうに頭を掻いた。出鼻を挫かれた幸村が思わず言葉に詰まって元親を見返すと、元親はその彫の深い顔に野性味溢れた笑みを浮かべて、脈絡もなくこう言った。
「なあ、そんなことよりよ、ちょいと一戦してみねえか?真田。
あんたのその名は、西の端まで届いているぜ」
一瞬、呆気に取られて口をあけた幸村は、向かい合わせに座る男の全身に満ちる爽快な自負と底知れぬ実力を嗅ぎ取り、次の瞬間には嬉しげに応!と叫んでいた。
「ちょ、大将、自軍同士で一戦て!挨拶だって中途半端なまんまだし」
慌てて口を出した己の影を振り返り、幸村は溌剌とした声で断言した。
「案ずるな佐助、長曾我部殿は某の力を見たいと望まれている。それに応えることがすなわち、どんな礼より確かにこの身を伝える手段となろう!」
「挨拶がわりってか、そうこなくっちゃなァ。よし、そうと決まりゃ鍛練場借りに行くぜ!」
今や立ちあがって視線を交わす、互いの眼に閃いた同じ色の焔を見て、佐助は早々に止めることを諦めた。すでに西海の鬼は目指す場所へ向けて歩きだし、幸村も嬉々としてその後を追っている。さらにその後ろにつき従い、楽しげに跳ねる幸村の髪を見るともなしに見つめながら、佐助は緩い口調で付け足した。
「怪我だけはしないでよねえ、大将。戦でもないのに馬鹿馬鹿しいでしょ」
「うむ、だが再び徳川殿に挑むには、強き者との仕合もまた不可欠!」
浮き立つ声音で言い切った幸村を、前を歩いていた西海の鬼が勢いよく振り返った。
その眼を一瞬のうちに覆った、先程までは見えなかった翳りと昏い光を、佐助は瞬時に見抜いた。同じく不穏を悟った幸村が歩みを止め、生真面目な声音で躊躇いなく問う。
「どうなされた。長曾我部殿」
「いや、……そうか、あんたも、家康にか……」
そりゃあそうだな。此処にいるのはそんな奴ばかりだぜ。自嘲するように零した鬼の顔に張り付いた笑みは、つい先程までの快活さとは程遠いものだった。
幸村は背筋を伸ばして屹立し、真正面から元親を見据えて言った。
「長曾我部殿も、何がしかの因縁がおありか」
それに対し、鬼はしばし黙って幸村を見つめたのちに首を振った。
「……そうだな。俺とあいつにあったのは、違うもんだと思っていたがな……」
そして元親は総てを振り切るようにして、牙を見せて笑った。
「家康を殺すのは俺だぜ、真田」
昏い眼だ。
しかしそこにあるのは闇だけではなく、その中には変わらずに爆ぜる焔が燃え立っている。
「某も、二度と負けは致しませぬ」
幸村もそれ以上は問わず、決意だけを返した。ふん、と満足げに息を零した男はそれまでの翳りをまた覆い隠して、「虎の若子ってのがどんなもんだか見せてみな」と挑発するように言った。それに対し、幸村もまた不敵な顔で答えた。
「鬼の爪すら噛み砕いてみせましょうぞ」
楽しそうで結構だこと。
その応酬を見た佐助は、久々に主が見せる溌剌とした姿に小さく安堵の息を漏らした。だが同時にその眼に鋭い光を湛え、内心で反芻する。
――西海の鬼が、徳川家康に、これほどの敵意を?