白雨
「うっひゃーっ、急に降ってくるんだもんなぁ」
「全くだ…タクト、濡れてない?」
「だいじょーっぶ! スガタは?」
「大丈夫だ。よかったな、ちょうどいいところに電話ボックスがあって」
「ホントだねー」
いつもの学園からの帰り道。
ワコは親友のルリちゃんと一緒に買い物に行くというので、今日はスガタと二人きり。
少しだけ気まずい帰路を歩いていたら、夕立が僕らを襲った。
晴れた空は青く、漂う雲は白いのに、遠慮容赦なく降り付ける雨は冷たい。
慌てて駆け出し、手近にあった電話ボックスに二人で入った。
お陰で、それほど被害にあわなくても済んだようだ。
「制服。帰ったらちゃんと干しとけよ?」
「言われなくても! いいなぁ、スガタは。家帰ったらクリーニングしてくれるもんなぁ…」
「じゃあウチに寄ってくか?」
「……遠慮しときます。外泊届け、出してないしね」
いつもより近い距離にあるスガタの端正な顔が、楽しげに微笑む。
「誰も泊まるか? とは聞いてないけど?」
「……っ、どうせそーゆーコトになるでしょ、って言ってんの」
「否定はしないな」
「しないんですか…」
クスクス笑うスガタが、さらにその顔を近付けてくる。
触れ合うまで、あと数センチ。
「…って、ちょ、なにする気?」
「…わかってて聞くのか?」
スガタが何をしたいのかはわかっている。
スガタと『そういうこと』をするような間柄になって、それがとても恥ずかしくて気持ちのいいことだと、初めて知った。
「わかってるから聞いたんですぅー。公衆の面前ですよ?」
「……誰も見てないよ」
こんな土砂降りの中だし。
スガタが薄いアクリル板の向こうに視線をやる。
その仕種につられて同じ方向を向けば、確かに土砂降りの雨で煙る通りを行き交う人影はなかった。
「でも、さ…」
「いいから。少しだけ黙って」
顎をつかまれ、強引に引き戻された視線の先に、スガタの青色の髪が揺れる。
「…んっ」
重なる唇は少しだけ冷たい。
雨に打たれたせい?
でもそれは多分、自分も同じだ。
「……ふふ、タクトの唇、いつもより冷たい」
離れた唇が、ひどく満足気に弧を描いていた。
濡れていないと言いながら、スガタの青くサラサラな髪から、ポトリ、その唇に滴が落ちる。
「それは雨に濡れたからでしょーが……って、あああ!!」
「…なに?」
自分の髪からも滴が落ちて、思い出したことがある。
慌てて、自分の鞄の中を弄って、目的の物を探し当てた。
それは雨露の被害など素知らぬ顔で、渡されたときの綺麗なままで収まっていた。
「コレ」
「―――なに?」
そうしてそれを、スガタに差し出す。
真っ白な封筒に、少し遠慮がちに書かれた宛名は、『シンドウスガタさま』。
その文字が明らかに自分が書いたものではないことに気付いたスガタの、瞳の色が変わった。
「あのさ、昼休みに、違うクラスの女子に頼まれたんだ。スガタに渡して欲しいって」
だから、はい。
一息で捲し立て、スガタの半乾きの制服の上に押し付ける。
くしゃり、と小さな音を立てた封筒が、少しだけ自分の暗い気持ちで歪んだ気がした。
「…なんでタクトが?」
「だから…頼まれて…」
「……受け取らない。僕がそれを受け取る謂れはない」
「それはダメだろ! それ、女の子が一生懸命書いたんだぞ! スガタにはワコっていう許嫁がいるのも知ってて、でも、って! その気持ちには応えてやるべきなんじゃないの…」
「じゃあ、僕の気持ちは! 一切無視しても構わないって言うのか!!」
言葉を遮るように、スガタが声をあげる。
上書きされた言葉が、自分の喉の奥に貼り付いて、飲み込んだらきっと、この胸を灼いてしまうんだろう。
現に、許嫁、という単語を自分が使っただけで、この喉が灼け付く様な錯覚を覚えている。
「だ…って…女の子には、ちゃんと誠意を持って接しない、と…ただ、スガタが好きだっていう気持ちだけでも…受け入れてあげないと…」
「…僕の気持ちがどこにあるのか知ってるお前が、それを言うのか?」
手紙を押し付けたままの掌に、スガタの手が重なる。
ひんやりと冷えた指先が、そのままその手をスガタの心臓の上へと導いた。
「…僕のこの心臓が、誰を想って、誰を欲して、その動きを早めるのかを知ってるくせに、受け入れろって言うのか?」
ドクリ、伝わるのは、スガタの鼓動。
これがどんな風に脈打ち、早打ち、凪ぎの様に落ち着くのか、全てを自分は知っている。
その鼓動と同じように、自分の心臓も、スガタを想うと止まらないことも。
「ワコがいるからって…言えば、いいじゃないか…今まで、みたいに…」
「僕に嘘を吐けって言うんだな?」
「嘘じゃないだろ」
「本当でもない」
重なる手に、力が篭もる。
「…いつもみたいに…ワコを大切に想ってるって…」
「それは本当だけど、本気の気持ちじゃない――――わかってるくせに」
「―――だって、じゃあ、どうしろって言うんだ」
小さな島の中で、誰もがスガタとワコが許嫁なことを知っている。
そうして自分がよそ者であることも。
そんな中途半端に除け者の自分が、いつからかスガタに抱いていた気持ち。
それが叶った今、叶わないと思っていた頃の自分と、手紙の主の姿がシンクロしてしまったのだと、素直に打ち明ければいいのだろうか?
「……どうも、しない。受け取らなかったらよかったんだ。僕にはちゃんと想いあっている人がいるみたいだからって」
「そんな…うそ…」
「嘘じゃないだろ」
「でも…本当でも、ない…」
想いあっていることは確かだ。
けれど決して、未来永劫結ばれることはない。
小さな島の中に、いる限り。
「本当のことだろ」
チクリ、小さな棘が刺さったみたいに、眉間に皺を寄せて、スガタが呟く。
そうしてまた、強引に唇を重ねた。
「 」
唇が離れる間際、スガタの呟く声が聞こえた。
「雨、上がったな…行こうか」
そうして無表情になったスガタが、電話ボックスの扉を開いた。
空は茜色に染まり、流れる雲はオレンジ色をしていて、空を映す海は不思議な色で輝いている。
重い足取りでスガタの背中を追いかけ、隣に並ぶと、スガタが薄く微笑んだ。
「悪かった…タクトが悪い訳じゃないのに、八つ当たりした…ごめん」
「……なんで、スガタが謝るんだよ…僕の方が…」
「いや、僕が悪かったんだ…大人気なかった。ごめん」
「スガタ…」
「でも、コレは読まないし、受け取れない。明日、本人に僕から返しておくよ」
いつの間にか持っていた、少しヨレた手紙は、そのまま封を切られることなく、スガタの制服の胸ポケットへと仕舞われた。
そうして読まれなかったその手紙は、明日、スガタの言葉通りに、書いた本人の元へと戻るのだろう。
…それに、内心で安堵する。
「もちろん、タクトが僕宛に書いてくれたラブレターだっていうなら、話は別だけど」
無理して笑うスガタに、つられて自分も笑顔を向ける。
きっと、同じように無理して笑った顔になっているのだろうけど。
「………そのうちに、ね」
「全くだ…タクト、濡れてない?」
「だいじょーっぶ! スガタは?」
「大丈夫だ。よかったな、ちょうどいいところに電話ボックスがあって」
「ホントだねー」
いつもの学園からの帰り道。
ワコは親友のルリちゃんと一緒に買い物に行くというので、今日はスガタと二人きり。
少しだけ気まずい帰路を歩いていたら、夕立が僕らを襲った。
晴れた空は青く、漂う雲は白いのに、遠慮容赦なく降り付ける雨は冷たい。
慌てて駆け出し、手近にあった電話ボックスに二人で入った。
お陰で、それほど被害にあわなくても済んだようだ。
「制服。帰ったらちゃんと干しとけよ?」
「言われなくても! いいなぁ、スガタは。家帰ったらクリーニングしてくれるもんなぁ…」
「じゃあウチに寄ってくか?」
「……遠慮しときます。外泊届け、出してないしね」
いつもより近い距離にあるスガタの端正な顔が、楽しげに微笑む。
「誰も泊まるか? とは聞いてないけど?」
「……っ、どうせそーゆーコトになるでしょ、って言ってんの」
「否定はしないな」
「しないんですか…」
クスクス笑うスガタが、さらにその顔を近付けてくる。
触れ合うまで、あと数センチ。
「…って、ちょ、なにする気?」
「…わかってて聞くのか?」
スガタが何をしたいのかはわかっている。
スガタと『そういうこと』をするような間柄になって、それがとても恥ずかしくて気持ちのいいことだと、初めて知った。
「わかってるから聞いたんですぅー。公衆の面前ですよ?」
「……誰も見てないよ」
こんな土砂降りの中だし。
スガタが薄いアクリル板の向こうに視線をやる。
その仕種につられて同じ方向を向けば、確かに土砂降りの雨で煙る通りを行き交う人影はなかった。
「でも、さ…」
「いいから。少しだけ黙って」
顎をつかまれ、強引に引き戻された視線の先に、スガタの青色の髪が揺れる。
「…んっ」
重なる唇は少しだけ冷たい。
雨に打たれたせい?
でもそれは多分、自分も同じだ。
「……ふふ、タクトの唇、いつもより冷たい」
離れた唇が、ひどく満足気に弧を描いていた。
濡れていないと言いながら、スガタの青くサラサラな髪から、ポトリ、その唇に滴が落ちる。
「それは雨に濡れたからでしょーが……って、あああ!!」
「…なに?」
自分の髪からも滴が落ちて、思い出したことがある。
慌てて、自分の鞄の中を弄って、目的の物を探し当てた。
それは雨露の被害など素知らぬ顔で、渡されたときの綺麗なままで収まっていた。
「コレ」
「―――なに?」
そうしてそれを、スガタに差し出す。
真っ白な封筒に、少し遠慮がちに書かれた宛名は、『シンドウスガタさま』。
その文字が明らかに自分が書いたものではないことに気付いたスガタの、瞳の色が変わった。
「あのさ、昼休みに、違うクラスの女子に頼まれたんだ。スガタに渡して欲しいって」
だから、はい。
一息で捲し立て、スガタの半乾きの制服の上に押し付ける。
くしゃり、と小さな音を立てた封筒が、少しだけ自分の暗い気持ちで歪んだ気がした。
「…なんでタクトが?」
「だから…頼まれて…」
「……受け取らない。僕がそれを受け取る謂れはない」
「それはダメだろ! それ、女の子が一生懸命書いたんだぞ! スガタにはワコっていう許嫁がいるのも知ってて、でも、って! その気持ちには応えてやるべきなんじゃないの…」
「じゃあ、僕の気持ちは! 一切無視しても構わないって言うのか!!」
言葉を遮るように、スガタが声をあげる。
上書きされた言葉が、自分の喉の奥に貼り付いて、飲み込んだらきっと、この胸を灼いてしまうんだろう。
現に、許嫁、という単語を自分が使っただけで、この喉が灼け付く様な錯覚を覚えている。
「だ…って…女の子には、ちゃんと誠意を持って接しない、と…ただ、スガタが好きだっていう気持ちだけでも…受け入れてあげないと…」
「…僕の気持ちがどこにあるのか知ってるお前が、それを言うのか?」
手紙を押し付けたままの掌に、スガタの手が重なる。
ひんやりと冷えた指先が、そのままその手をスガタの心臓の上へと導いた。
「…僕のこの心臓が、誰を想って、誰を欲して、その動きを早めるのかを知ってるくせに、受け入れろって言うのか?」
ドクリ、伝わるのは、スガタの鼓動。
これがどんな風に脈打ち、早打ち、凪ぎの様に落ち着くのか、全てを自分は知っている。
その鼓動と同じように、自分の心臓も、スガタを想うと止まらないことも。
「ワコがいるからって…言えば、いいじゃないか…今まで、みたいに…」
「僕に嘘を吐けって言うんだな?」
「嘘じゃないだろ」
「本当でもない」
重なる手に、力が篭もる。
「…いつもみたいに…ワコを大切に想ってるって…」
「それは本当だけど、本気の気持ちじゃない――――わかってるくせに」
「―――だって、じゃあ、どうしろって言うんだ」
小さな島の中で、誰もがスガタとワコが許嫁なことを知っている。
そうして自分がよそ者であることも。
そんな中途半端に除け者の自分が、いつからかスガタに抱いていた気持ち。
それが叶った今、叶わないと思っていた頃の自分と、手紙の主の姿がシンクロしてしまったのだと、素直に打ち明ければいいのだろうか?
「……どうも、しない。受け取らなかったらよかったんだ。僕にはちゃんと想いあっている人がいるみたいだからって」
「そんな…うそ…」
「嘘じゃないだろ」
「でも…本当でも、ない…」
想いあっていることは確かだ。
けれど決して、未来永劫結ばれることはない。
小さな島の中に、いる限り。
「本当のことだろ」
チクリ、小さな棘が刺さったみたいに、眉間に皺を寄せて、スガタが呟く。
そうしてまた、強引に唇を重ねた。
「 」
唇が離れる間際、スガタの呟く声が聞こえた。
「雨、上がったな…行こうか」
そうして無表情になったスガタが、電話ボックスの扉を開いた。
空は茜色に染まり、流れる雲はオレンジ色をしていて、空を映す海は不思議な色で輝いている。
重い足取りでスガタの背中を追いかけ、隣に並ぶと、スガタが薄く微笑んだ。
「悪かった…タクトが悪い訳じゃないのに、八つ当たりした…ごめん」
「……なんで、スガタが謝るんだよ…僕の方が…」
「いや、僕が悪かったんだ…大人気なかった。ごめん」
「スガタ…」
「でも、コレは読まないし、受け取れない。明日、本人に僕から返しておくよ」
いつの間にか持っていた、少しヨレた手紙は、そのまま封を切られることなく、スガタの制服の胸ポケットへと仕舞われた。
そうして読まれなかったその手紙は、明日、スガタの言葉通りに、書いた本人の元へと戻るのだろう。
…それに、内心で安堵する。
「もちろん、タクトが僕宛に書いてくれたラブレターだっていうなら、話は別だけど」
無理して笑うスガタに、つられて自分も笑顔を向ける。
きっと、同じように無理して笑った顔になっているのだろうけど。
「………そのうちに、ね」