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銀の光をこの手に

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 単なる見間違いだと思った。
 仕事で疲れ果ていたうえ、夜道を歩いていた時に見たものだから。

 橋の上で夜空を静かに見上げている彼女は、見慣れた横顔の輪郭と姿をしている。普段から着ている法衣も、いつもの通りに見えた。
 なのに目で彼女を捉えた瞬間、胸騒ぎを催す程の違和感に引っ掻かれた。

 ミント、と、クレスが声を掛けようとした一瞬の隙に、彼女は消えていた。本当に瞬きの間でしかなかったのに、後姿すら見せぬままクレスの視界から消え去った。
 その後クレスは急ぎ足で自宅の扉を通って、2階にある彼女の部屋へ向かった。この時間ではとっくに眠っている筈のミントを、念の為に起こさぬよう慎重に扉を開ける。音を立てずに開けた扉の隙間から彼女の部屋の様子を覗くと、何事も無いと言うように安らかな寝息を立てるミントの寝顔が見えた。
 クレスは安堵の息を漏らした。やはりさっきのは見間違いだろう。さっきまで橋の上に居たのに、急いで帰った自分よりも先に着いて、平然と眠っていられるわけがない、と。

 それに何よりも。あの時に彼女がしていたような、何も感じさせない表情をしている彼女は見たく無い。



「ミント。昨夜は、ずっと家に居たよね?」
「え? ええ、特に用事もありませんでしたし。……それがどうなさいました??」

 念の為にと朝食の時に聞いてみるが、ミントにとっては唐突な質問であろう。疑問符を浮かべるミントに、クレスはどう返答したものか悩んでしまった。

「な、何となく、聞いてみただけ」

 こういう時に気の利いた切り替えしが出来ない自身を深く恨んだ。
 だが不思議そうに首を傾げたままとはいえ、ミントはそれ以上何も聞いて来なかった。クレスを信頼してくれているのか、まだ寝ぼけていると思われているのかは、クレスにも判断がつかなかったのだが。



 単なる見間違い。
 そうクレスが記憶の整理を済ませて振り返る事も無いだろうと閉じ込めておいた頃。
 今度は精霊の森で彼女を見つけた。
 いつも通りの休日に、チェスターと狩りに奔走していた最中だった。彼とは別行動をしていたついでに世界樹の様子を見ようと足を運ぶと、そこに彼女が佇んでいた。
 正確に言うと、彼女――クレスが知っているミントの、母の墓前。
 クレスが歩いてきた場所からは後姿しか見えない。それでもあの時の彼女だと判ったのは、クレスが知っている後姿とは随分違うものであったから。
 以前は暗闇で見えなかったから、正体の判らない違和感が有るだけだった。けれど、陽がこれでもかと照らされている中に彼女が居て、ようやくその違和感の意味がはっきりと判った。
 頭から足の先まで、本当によく似ている。形は確かにミントそのものだ。
 しかし彼女の持つ色は、全く別物だった。
 クレスが知っているミントの髪色は、暖かい陽を湛えたような金色をしている。だが、あそこに立っている彼女はむしろ逆で、冷たい月の色を吸い込んだかのような銀色だった。
 いつもの法衣は穢れない白ではなく、薄い紫色に侵食されている。その法衣から覗く肌色も、まるで法衣の色と同調しているような青白だった。

 今度こそ声を掛けなければいけない。そんな気がして、駆け寄った。なのに彼女はこの前と同じよう消えて、残ったのは墓石だけだった。


 クレスが知るミントではない、酷く似ている誰か。それを見間違いと片付ける事はもう無かった。
 どういう意味を持っているのかは未だ判らぬが、一度ならともかく二度も見たのだ。彼女は確かに存在しているだろう。
 三度どこかで会えるのか、今度こそ言葉を交わせるのか、どちらも判らない。
 しかし、気味が悪いと、それだけで捨て去る事はどうしても出来なくなっていた。


作品名:銀の光をこの手に 作家名:柿本