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銀の光をこの手に

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 弾き出された存在。
 歪んだ存在。
 消えるべき存在。

 陽に導かれ、捩れた空間から抜け出した時に、私はそれを悟った。




「やっと僕を見てくれたね」

 ぎこちなくなってしまった笑みは本当に情けない。今度の場所はアルベイン邸に隣接されている道場の中だった。夜中に何気なく覗いた道場に彼女が現れて、クレスはようやく彼女を正面から見れた。
 彼女が僅かに驚く。しかしすぐに何かを心得た顔をして、口角を上げた。

「ああ、貴方はこの時代の……」

 漏れる声は笑い声なのに、ちっとも楽しくなんて無い。そんな冷たい表情のまま彼女はクレスを見つめた。

「この時代……という事は、君は過去のミント? それとも、未来?」

 言いながらも、クレスはどちらでもない気がしていた。クレスが知る限りのミントと比べて特別幼い顔つきをしているわけでも無いし、その逆も無い。そもそもミントが持つ色と彼女が持つ色は違い過ぎる。目に見えるものも、そうでないものも。
 クレスが思った通り、彼女は首を横に振った。

「過去でも未来でもありません。どちらか、と言われれば、きっと過去なのでしょうけど」

 彼女が両手を後ろに回して、緩く組む。何も無い天井を見上げ、息を吐いた。

「私はこの時代、この軸の人間ではありません」

 その言葉で始まった彼女から語られたものが真実なのか、クレスに知る術は無い。だが目の前の彼女に良く似た人は、冗談にもならない嘘は決して吐かない事を知っている。
 彼女の言葉を疑うつもりは、クレスには初めから存在しなかった。



 アセリア暦4304年、ユークリッド大陸の地下墓地。
 ここでクレスとミントは、モリスンの時空転移の術によって100年前の過去に飛んでいった。
 そしてダオスを討つ為に、過去の世界で得た仲間と共に同じ場所、同じ時間に帰ってきた、つもりだった。
 実際にはクレス達が元々存在した時代ではない、クレス達が過去へ飛んだ事によって枝分かれし、生まれた、新しい時代に転移してしまったのだ。
 これを軸移動と、マクスウェルから聞いた事がある。
 クレス達が元居た時代の軸と今居る時代の軸は平行して流れているという。そして同じように、別の可能性によって枝分かれした軸がいくつも在るそうだ。
 新しい軸に居たクレスとミントも100年前に転移したため、偶然と言うべきか、彼らの4304年に収まる事が出来た。それから戦いの後に逃げ延びたダオスを追って、50年後の未来へと再び転移をした。

 ここまではクレスが知っている、時空転移による軸の発生と自身の置かれた立場だ。
 問題は、その新しく生まれた軸のクレスとミントは何処へ行ってしまったのか。

 新しく生まれた軸は元から在った軸から枝分かれして派生したものである。二つの軸で同じ場所から同じ年数だけ過去に遡ろうとすると、たどり着く場所と軸は同じになる。
 元の軸に居たクレス達は問題無く過去へと到着した。現代へ戻る時に軸移動を起こしてしまったものの、今もこうして健在だ。
 では、新しく生まれた軸のクレス達はどうだろうか。

「先に在った軸の貴方達と同じ場所に転移する事は、後から生まれた者には許されませんでした。過去という同じ場所に転移しようとした時、後に生まれた軸の者達が排除された」
「まさか」

 そこまで語られた所で、クレスが呟く。彼女は目を細めてゆっくり頷いた。

「ええ。私は確かにミント・アドネード。ですが、あなたが知っている『私』ではありません。枝分かれした軸の、ミント・アドネードです」



 モリスンによって術を施された後、気が付いたら何も見えない場所にいた。共に術を受けた筈のクレスはおろか、自身の姿すら見えない。
 クレスは一体どこへ行ってしまったのか。チェスターやモリスンはどうなってしまったのか。ダオスは何をしてしまったのか。
 自分は、どうやったらここから抜け出せるのか。



「長い事、閉じ込められていました。……ただ、どれだけ長かったのか、明確には思い出せません。暗闇はすぐに正常な感覚を奪っていきましたから」
「……それが、どうしてその中から抜け出せたんだい?」

 数秒口を閉ざしてから、彼女は後ろで組んでいた手を下ろし、片手で反対側の腕を緩く掴んだ。

「はっきりとはわかりません。目の前が突然明るくなったと思ったら、橋の上に立っていました」

 クレスが最初に彼女を見た時の事を言っているのだろう。それにしては驚愕していた様子が無かったのは気になるが、もしかしたら呆けてしまっていたのかもしれない。
 僅かに息が漏れる音がした。彼女からのものだった。

「ずっと暗いばかりだったのに、世界の事、時間の事だけは、知ってしまった。貴方が――貴方達が辿った道も、大筋では知っています」
「どういう、事?」
「ダオス戦役は世界にとって大きな出来事でした。彼自身が時空転移を繰り返していましたから、世界、もっと言うと、時間軸に与える影響は大きかった。……もしかしたら、私は世界の記憶を見せられていたのかもしれません」

 だから軸の事も知っていた。モリスンの術が時空転移の術であった事も、ダオスが戦っていた理由も、歴史書をゆっくりと読むように知識として刻まれていった。そして。

「そろそろ、貴方とはお別れしなくちゃ」
「え!?」
「元はといえばこの軸は私が生まれた軸でした。でも、一度弾き出された以上、どうやら存在を許してはもらえないみたいです」

 表情は相変わらずほとんど動かさないまま、彼女が小さな笑い声をあげた。

「そんな……」

 つまり、消えてしまうのか。彼女は元々この軸の人間だったというのに。

「何とかならないのかい?」

 彼女は悩む仕草を少しも見せずに首を横に振った。

「まあ、貴方が知っている『私』をどうにかしてしまえば、あるいは」
「どうにか、って……!」

 それがどういう意味を含んでいるのかなど、嫌でも判ってしまう。言葉を詰まらせたクレスが、奥歯を強く噛んだ。

「仕方の無い事なんです。消えてしまう事は、とっくに覚悟が出来てました。……あの暗闇に閉じ込められるよりは、ずっと楽です」

 やはり、嫌でも判ってしまう。塵ほどの希望も無く、諦めてしまっている事を。それこそ消えるように笑っている彼女の希望は、彼女を閉じ込めた暗闇に奪われてしまったのか。彼女が本来持っていたであろう光と共に。

「でも! ……僕は君をこのまま消させたくない」

 クレスは思わず彼女の両肩を掴んだ。その瞬間の、掴んだ肩からの抵抗があまりに弱くて、まるで中身の無い入れ物を手にしているようだった。腹の底がぞっとする。

「どうして?」
「だって君はミントなんだろう? 君がミントである以上、僕は君を助けたい」

 何処にも連れ去られないように、彼女を抱きしめる。抱きしめている感触はあるのに、温かさどころか、冷たさすら感じない。彼女にはもう温度が存在しなかった。

「……私が知っている貴方も、とても優しかった」

 彼女の腕がゆっくりと動き、彼女を抱いていたクレスの腕に伸ばされる。弱い力で、クレスの腕は彼女の背中からするすると下ろされてしまった。
作品名:銀の光をこの手に 作家名:柿本