「 次回、 開演予定― 未定にて 」
「 すっかり、軍人になってきているのかと思ったら、そうじゃなく、きみは、人間を生きようとしているんだね 」
指先にまだ燃え上がるマッチを持ち、きれいなかたちで男は体を折る。
軍人二人を宙に保つ、足元のロープに顔を近づければ、眼だけで笑いかけた。
「 おめでとう。
この先も、人でありたまえ ――ロイ マスタング 」
マッチの炎を落とした男の足元で、柱のように火が立った。
化学物質の燃える嫌なにおい。
がくんと、ぶら下がる体が一段下がったと思った次にはすぐ、ブツ、と嫌な音。
長い落下のあとに、意識のとぶような衝撃を覚悟したのに、どさり、とあっけないくらいの着地。
「・・・た、いさ?」
「これぐらい、受け身できなくてどうする?」
すぐ側、上から発せられたそれに無事を確認。ハボックは、冷たい地面に身をおこしながら、ようやく大きく息をついた。
「肩は、はまってるか?」
「なんとか・・・」痛くてしょうがないが、こんなことを体験してしまった後では、つながっているだけありがたいと思える。
地面が、見えた。男が出した小さな明かりだった。
「――消えてる・・・」
冷たい土には、もう、入り組んだあの線が残っていない。
「あの〜・・・大佐?」
「・・・なんだ?」
ハボックは、どこから聞いたものかを頭で整理しながら、考えることもなく、懐から出したそれを一本口にする。
ひら ひら ひらり
目の前を、小さな紙片が踊るように舞い落ちた。
怖くて、上は見上げられない。
「―払うことになると、言っただろう?」
「・・・こんな高いと、思わなかったですけどね・・・」
くわえた煙草に、いつまでたっても火がつけられそうにない。
「禁煙をしろ。いい機会だ」
「・・・勤務中じゃないので、ひとりの人間として言わせてもらえれば ――。おれは、あのおっかねえ男に賛成します」
指の間に、火のつけられないそれを挟み、ハボックはその手を挙げてみせた。
ぼっ
「・・・・・・・・」
「・・そんな顔でみるな。それは、わたしではない」
勝手に火のついた煙草をどうしたものか、部下が困った顔をむけてくる。
「――いいか?めったなことは口にするなよ。あの男は、趣味は悪いがユーモアのセンスがあることは、わたしも認める。だが、決して、同調するな。どこで聞いてるか、わからない男だ。 ――連れていかれるぞ」
最後を、微笑んで告げた男に、聞こうと思っていたこと、全てが消えた。
帰るぞ、と左腕を引かれて立ち上がる。
上司がぐるりとまわした光に照らされたのは、本来のなにもない、ただの空間だった。
いつの間にかやんだ音楽と、眼をふさがれたかのような闇は、どこかへ去った後だ。
上司に続いて、まくりあげた布をくぐろうとしたとき、なぜか後ろで巻き起こった風に、背を押される。
風にまぎれて、囁かれた。
「 またのご来場を おまちしております 」
口にした吸いなれたものが、いつの間にか見慣れぬものへと、すり替わっている。
「―気をつけるんだな。餌付けされたようなものだ」
振り返りもせずに、今のを見ていたような上司が笑い、背を見せたまま続けた。
「――普段、そんなものとは無縁だと自分で思っていても、本当は、それにいちばん弱かったりするものだ。自尊心。自己愛。持ちすぎていれば、必ずそこをついてくる。哀愁をあおり、郷愁をさそう。誰にでもある想い出を餌にして、ゆさぶってくる。あの男の誘いには、気付かないうちにのっている」
「・・・のっちまった、みたいです・・」
「だろうな。テントを見たときに、すでに始まっていたというわけだ。――今後、どこかで、似たようなテントを見かけたら、近付かないことだ」
自分にも言い聞かせているだろう上司に、いえっさ、と力なく返した。
口先で揺れる、すり替わったそれを、しかめた顔で取り上げたハボックは、地面に捨てようかと指先につまんだところで、――思い直すように、やめた。
再度吸い込んだそれが、いやに美味かったせいで、口もとが笑ってしまう。
この単純さは、まさしく自分らしいと、男は思う。
明日は、ここに吐き出される虫、――もとい、遺体を片付けたりなんだりで、きっとまた、忙しいだろう。
だから、それが終わったらでいい。
終わったら、この、郷愁が消えないうちに、―――実家に、手紙でも、だそうと思う。
月夜に吐き出す煙が、風もないのに流され揺れて、きれいに掻き消えていった。
作品名:「 次回、 開演予定― 未定にて 」 作家名:シチ