箱庭の向こうに夢がある
はじまりは、まばゆい夏の日。
焼けつくような日差しの中で。
「あ! 佳主馬、いた!」
弾むような声に名前を呼ばれて、足を止めた。
わざわざ振り返らなくても、わかる。今、佳主馬を呼び止めたのは、五つ年上のまたいとこだ。
身内の欲目というものを差し引いたとしても、十分美人の範疇に入るだろう。たしか、高校では女子の中でもいちばん人気の憧れの的だと聞いた気もする。それを教えてくれたのは、もちろんまたいとこである夏希本人ではなく、彼女と同じ高校に通う男子生徒だ。
「あ、ほんとだ。佳主馬くーん」
「…………」
その男子生徒──小磯健二が自分の名前を呼ぶ声を耳にして、佳主馬はようやく振り返る。
長い縁側の向こう側。風をさえぎるものをすべて取り払ってしまった広間から、ふたりの人間が顔を出していた。
もちろん、声の主である夏希と健二だ。ふたりとも佳主馬に向かって、笑顔で手を振っている。
──なぜだろう。べつに、逆光になっているというわけでもないはずなのに。
どうしてか、眩しい。
「なに」
少しだけ目を細めて、小さく呟く。その返事ともいえない返事が聞こえたとも思えないが、佳主馬の口が動いたことだけはわかったのかもしれない。
夏希がその笑顔を、より一層輝かせた。
「神社で縁日やってるんだって! 行かない?」
と思えば、飛び出してきたのはそんな言葉で。
その意味を理解した佳主馬が、ゆっくり口を開く。
「……誰と?」
「私と、健二くんと! 真緒たちは典子さんと由美さんたちが連れて行ったからさ」
「…………」
さすがに、佳主馬も呆れた。
というか、呆れるしかなかった。
(なに考えてんの)
我がまたいとこながら、これはどうなのか。夏希に男心が理解できるなどとは思っていなかったが、さすがにこれでは健二が哀れすぎる。
夏希が後輩の健二をこの陣内本家へと連れてきたのは、数日前のことだ。もう遠い昔のことのような気さえするが、カレンダーをちゃんと数えてみればほんの一週間ほど前のことでしかない。
ただ、その数日のうちに、説明しきれないほどのいろいろなことが起こった。夏希が小磯健二を婚約者として連れてきて、それが嘘だったと露見して、親族のひとりが作り出したAIがOZを大混乱に陥れて、その混乱の影響で皆に慕われていた曾祖母が亡くなり、まるで仇討ちのようにその混乱の元へと戦いを挑み、そして世界存続の危機を目の当たりにし、それを回避した。挙げ連ねてみれば冗談にしか見えないようなことばかりだったけれど、でもそれは紛れもない事実だったのだ。それは、それらの事態に直面したあげく、己の無力さを突きつけられて悔し涙を流した佳主馬自身がいちばんよく知っている。
そして最終的に世界の危機を救ったのは、夏希の偽婚約者としてこの家にいた健二だった。健二があきらめなかったから、最後の戦いを挑むことができた。健二があきらめなかったから、この本家は落下してきたあらわしに吹き飛ばされることなく、まだ残っている。
第一印象は『情けない人』だった。それはすぐに覆されることになって、いつしか『凄い人』になった。実際、普段は決して頼りになる人ではないのだが、なぜかいざというときにいちばん落ち着いて周りを見て解決策を導き出すのは、この情けないはずの健二だったのだから。
その健二が夏希のことを好きだというのは、見ていれば誰にでもわかることだった。最初の頃は初恋の相手である大叔父ばかり見ていた夏希も、いつしか頼りないのに頼りがいのある不思議な後輩へと視線を向けることが多くなっていた。それだって、おそらくはこの陣内家にいる者なら誰だってすぐに気づいただろう。
佳主馬も、例外ではなかった。だからこそ、はやし立てられてキスを交わ……そうとして、結局のところは頬にキスするだけに留まったふたりを、呆れた視線で眺めていたのだが。
(せっかく、チビたちのジャマなしでデートできる機会、なに棒に振ろうとしてんの?)
若干十三歳の中学生にすら考えつくことなのに、なぜ高校三年にもなる夏希がそれに思い至らないのか。
まったくもって、理解しがたい。一応相思相愛だろうに、あまりにも健二が不憫すぎる。
「佳主馬くんも行こうよ!」
しかも、健二までそれに同調しているのはなぜか。
いや、たしかに、夏希が佳主馬を誘おうと言い出したのだとしたら、健二にそれを否とする度胸などないだろう。基本的に、彼は人が良すぎる。
こう言ってはなんだが、夏希はいわゆるカップル同士の空気というものを、悪気なく無視しかねない。それは身内としての付き合いが長い佳主馬だからこそ、よくわかる。ただ、そんな夏希に押し切られたわりには、なぜか健二まで嬉しそうだった。
ここで佳主馬が素直に首を縦に振ったら、せっかくふたりきりになれるチャンスがふいになることを理解しているのだろうか、この人は。
「……お兄さんはそれでいいの?」
「え? なにが?」
その場で足を止めたまま、まともな反応を示さない佳主馬に焦れたのだろうか。
いつの間にか立ち上がり、笑顔で近づいてきた健二に小声で尋ねてみたら、不思議そうな顔をされた。
「だから、僕がついていってもいいの」
もしかして、このカップルに一般的な男女交際における常識を要求するのは、無茶なことだったのかもしれない。
(大体、なんでこんなこと僕のほうから言い出さないといけないわけ)
ただ、ここで言われるままについていって、結果的に邪魔をするのも気が引ける。
──べつに、一緒に行きたくないというわけではない。むしろ、どちらかといえば素直にその誘いに乗りたい気分だった。佳主馬にしては、めずらしく。
その理由は、佳主馬自身にもよくわかってはいない。
ただ、なんとなくだけれど。
典型的草食系男子でいかにも頼りなさそうなのに、決してそんなことはない健二の本質を目の当たりにして、その強さに憧れを抱いたからなのかもしれない。彼の近くにいれば、その強さをほんの少しでも自分のものにできるような気がして。
──もちろん、そんなものはただの気のせいであることはよくわかっている。だから、そんな単なる気休めのような個人的な事情で、せっかくのデートを邪魔するのはどうしても悪い気がした。
健二という人間は、親戚以外の他人にほとんど興味を示さない佳主馬がめずらしく気を許した相手だ。そして、夏希は大切なまたいとこ。
ふたりの仲がうまくいくのであれば、佳主馬としても嬉しい──と、思う。だから、無粋なことはしたくない。
それなのに。
「え、当たり前だよ。みんなで行ったほうが楽しいし」
「…………」
当の健二は幸せそうにへにゃりとした笑みを浮かべて、そんなことを口にするのだ。しかも。
「ね。佳主馬くんも行こうよ?」
首を傾げて、だめ押しのように言葉を続けるから。
「……うん……」
つい、うなずいてしまった。
「やった! 夏希先輩、佳主馬くんも行くそうです!」
「ホント? じゃあ、さっそく出発ー!」
焼けつくような日差しの中で。
「あ! 佳主馬、いた!」
弾むような声に名前を呼ばれて、足を止めた。
わざわざ振り返らなくても、わかる。今、佳主馬を呼び止めたのは、五つ年上のまたいとこだ。
身内の欲目というものを差し引いたとしても、十分美人の範疇に入るだろう。たしか、高校では女子の中でもいちばん人気の憧れの的だと聞いた気もする。それを教えてくれたのは、もちろんまたいとこである夏希本人ではなく、彼女と同じ高校に通う男子生徒だ。
「あ、ほんとだ。佳主馬くーん」
「…………」
その男子生徒──小磯健二が自分の名前を呼ぶ声を耳にして、佳主馬はようやく振り返る。
長い縁側の向こう側。風をさえぎるものをすべて取り払ってしまった広間から、ふたりの人間が顔を出していた。
もちろん、声の主である夏希と健二だ。ふたりとも佳主馬に向かって、笑顔で手を振っている。
──なぜだろう。べつに、逆光になっているというわけでもないはずなのに。
どうしてか、眩しい。
「なに」
少しだけ目を細めて、小さく呟く。その返事ともいえない返事が聞こえたとも思えないが、佳主馬の口が動いたことだけはわかったのかもしれない。
夏希がその笑顔を、より一層輝かせた。
「神社で縁日やってるんだって! 行かない?」
と思えば、飛び出してきたのはそんな言葉で。
その意味を理解した佳主馬が、ゆっくり口を開く。
「……誰と?」
「私と、健二くんと! 真緒たちは典子さんと由美さんたちが連れて行ったからさ」
「…………」
さすがに、佳主馬も呆れた。
というか、呆れるしかなかった。
(なに考えてんの)
我がまたいとこながら、これはどうなのか。夏希に男心が理解できるなどとは思っていなかったが、さすがにこれでは健二が哀れすぎる。
夏希が後輩の健二をこの陣内本家へと連れてきたのは、数日前のことだ。もう遠い昔のことのような気さえするが、カレンダーをちゃんと数えてみればほんの一週間ほど前のことでしかない。
ただ、その数日のうちに、説明しきれないほどのいろいろなことが起こった。夏希が小磯健二を婚約者として連れてきて、それが嘘だったと露見して、親族のひとりが作り出したAIがOZを大混乱に陥れて、その混乱の影響で皆に慕われていた曾祖母が亡くなり、まるで仇討ちのようにその混乱の元へと戦いを挑み、そして世界存続の危機を目の当たりにし、それを回避した。挙げ連ねてみれば冗談にしか見えないようなことばかりだったけれど、でもそれは紛れもない事実だったのだ。それは、それらの事態に直面したあげく、己の無力さを突きつけられて悔し涙を流した佳主馬自身がいちばんよく知っている。
そして最終的に世界の危機を救ったのは、夏希の偽婚約者としてこの家にいた健二だった。健二があきらめなかったから、最後の戦いを挑むことができた。健二があきらめなかったから、この本家は落下してきたあらわしに吹き飛ばされることなく、まだ残っている。
第一印象は『情けない人』だった。それはすぐに覆されることになって、いつしか『凄い人』になった。実際、普段は決して頼りになる人ではないのだが、なぜかいざというときにいちばん落ち着いて周りを見て解決策を導き出すのは、この情けないはずの健二だったのだから。
その健二が夏希のことを好きだというのは、見ていれば誰にでもわかることだった。最初の頃は初恋の相手である大叔父ばかり見ていた夏希も、いつしか頼りないのに頼りがいのある不思議な後輩へと視線を向けることが多くなっていた。それだって、おそらくはこの陣内家にいる者なら誰だってすぐに気づいただろう。
佳主馬も、例外ではなかった。だからこそ、はやし立てられてキスを交わ……そうとして、結局のところは頬にキスするだけに留まったふたりを、呆れた視線で眺めていたのだが。
(せっかく、チビたちのジャマなしでデートできる機会、なに棒に振ろうとしてんの?)
若干十三歳の中学生にすら考えつくことなのに、なぜ高校三年にもなる夏希がそれに思い至らないのか。
まったくもって、理解しがたい。一応相思相愛だろうに、あまりにも健二が不憫すぎる。
「佳主馬くんも行こうよ!」
しかも、健二までそれに同調しているのはなぜか。
いや、たしかに、夏希が佳主馬を誘おうと言い出したのだとしたら、健二にそれを否とする度胸などないだろう。基本的に、彼は人が良すぎる。
こう言ってはなんだが、夏希はいわゆるカップル同士の空気というものを、悪気なく無視しかねない。それは身内としての付き合いが長い佳主馬だからこそ、よくわかる。ただ、そんな夏希に押し切られたわりには、なぜか健二まで嬉しそうだった。
ここで佳主馬が素直に首を縦に振ったら、せっかくふたりきりになれるチャンスがふいになることを理解しているのだろうか、この人は。
「……お兄さんはそれでいいの?」
「え? なにが?」
その場で足を止めたまま、まともな反応を示さない佳主馬に焦れたのだろうか。
いつの間にか立ち上がり、笑顔で近づいてきた健二に小声で尋ねてみたら、不思議そうな顔をされた。
「だから、僕がついていってもいいの」
もしかして、このカップルに一般的な男女交際における常識を要求するのは、無茶なことだったのかもしれない。
(大体、なんでこんなこと僕のほうから言い出さないといけないわけ)
ただ、ここで言われるままについていって、結果的に邪魔をするのも気が引ける。
──べつに、一緒に行きたくないというわけではない。むしろ、どちらかといえば素直にその誘いに乗りたい気分だった。佳主馬にしては、めずらしく。
その理由は、佳主馬自身にもよくわかってはいない。
ただ、なんとなくだけれど。
典型的草食系男子でいかにも頼りなさそうなのに、決してそんなことはない健二の本質を目の当たりにして、その強さに憧れを抱いたからなのかもしれない。彼の近くにいれば、その強さをほんの少しでも自分のものにできるような気がして。
──もちろん、そんなものはただの気のせいであることはよくわかっている。だから、そんな単なる気休めのような個人的な事情で、せっかくのデートを邪魔するのはどうしても悪い気がした。
健二という人間は、親戚以外の他人にほとんど興味を示さない佳主馬がめずらしく気を許した相手だ。そして、夏希は大切なまたいとこ。
ふたりの仲がうまくいくのであれば、佳主馬としても嬉しい──と、思う。だから、無粋なことはしたくない。
それなのに。
「え、当たり前だよ。みんなで行ったほうが楽しいし」
「…………」
当の健二は幸せそうにへにゃりとした笑みを浮かべて、そんなことを口にするのだ。しかも。
「ね。佳主馬くんも行こうよ?」
首を傾げて、だめ押しのように言葉を続けるから。
「……うん……」
つい、うなずいてしまった。
「やった! 夏希先輩、佳主馬くんも行くそうです!」
「ホント? じゃあ、さっそく出発ー!」
作品名:箱庭の向こうに夢がある 作家名:Kai