年下のオトコノコ
アイツは、アイツは、カワイイ、年下のオトコノコ…
IRPOは、このリージョン世界にとって唯一の正式公安機構――つまり警察である。
広いリージョン世界きっての腕利き捜査官である筈のヒューズは、一週間のリフレッシュ休暇後の久々の登庁早々喫茶室にしけこみ、なみなみと注がれたブラックコーヒーを飲みもしないで見詰めため息をついていた。
キャンベルの武器密造疑惑に関する捜査から、秘密結社ブラッククロスの壊滅…この大きな事件(ヤマ)が解決し、その功績により得たはずのリフレッシュ休暇が、休暇でない。
本当に、リフレッシュしようとして、思い切って出かけたバカンス専用のリージョンの照りつける太陽青い海、そして、ビキニの美女も…何ら、ヒューズの心を明るくさせはしなかった。
思い出すのは一人の青年――この俺をおっさん呼ばわりする無礼者。
でも、管理していた秘術『盾のカード』を差し出した時の、
「おっさん、ありがとう!」
純粋な笑顔の眩しさに、おっさん呼ばわりの不快は何処ぞなりへと家出して、ついぞ帰ってこない。
そして――ふとした時に見せる、達観したような瞳。
家族を理不尽な暴力で亡くした悲痛な光が、アイツをただのガキから一線を臥している。
ヒューズは滅入っていた。
なんで、よりによって、目の前の豊満で柔らかい肉体的な美女を眼福としその愛を乞うどころか、固くて色気の全くないオトコノコばかり思い出すのか。
そんな状態で十分にバカンスを楽しめず、本当は一カ月ぐらい休暇をとってやるつもりが、たった、一週間で帰ってきてしまった。
そんな事をしても、意味がないのに……ヒューズは、遙か彼方にやっていた意識をコーヒーの前に戻す。
夢から覚めなければ。
何故なら、事件の解決した今、自分と彼の人生を繋ぐものがいともあっさり解れてしまったのだから……それにショックを受けた自分にショックを受けた。
盛大にため息をつく。
そんな時に限って、まだ、追いうちをかけるように喫茶室に惰性で流れるレトロ音楽の歌詞が、胸を抉る。
《アイツは、アイツは、カワイイ、年下のオトコノコ…》
なんで、アイツを思いだすんだよ!
「く……そっ!」
砂糖もミルクも入れていないのに、コップの中身をスプーンでぐるぐる掻き混ぜ、苦い苦いそれを一気に飲み干した。
コーヒーは、もう、ぬるい。目を覚まさないと…そう、思いつめているのが、自分でもわかって、男は、テーブルに突っ伏す。
本当に、俺はどうしたというのか――いや、それも解らぬほど者知らずな子供じゃない。認めたくないのだ。
さもありなん、よりによって……頭髪を掻き毟った時、
「意外と早い復帰ね。バカンスに出かけるんじゃなかったのかしら?」
顔を上げれば、ドールが、そのコードネーム通りの人形のような整った容貌の口元をほころばせて笑っている。
その美しさたるや、天上の女神のごとく。目も冴えんばかりだ―――そう、いっそ、全て悪い夢として目を覚ましたい…!
ヒューズの心底の願いを知ってか知らずか、彼の女神は、不遜な男にこういった。
「あの子に会ってきたわ、元気そうよ」
それだけで、胸が焦げる……重症だ。
アイツは、突然のドールの訪問にも嬉しそうな笑顔で迎えたのに違いない。その眩しい笑顔で…
「クソガキなんてどうでもいい」
嘘だった。何を話したか気になって、ドールの眉の動き一つから汲み取ろうと必死になっている。
「ふふ」
いつもなら、鼻の下を伸ばして喜んでいただろう彼女の笑う吐息すら、今のヒューズには、居心地悪い事この上ないものであった。
「休学していた大学にまた通い始めたって…」
ああ、耳がダンボになる自分が呪わしい。
重大事件の捜査報告すらこんなに真剣に聞いたことがないと言える位。
そう思ったせいか、ドールの声が会議中のそれに聞こえてきて、心に平常が戻ってきたというのに……次の瞬間。
「大学に彼女とかいないの? と聞いたら、赤い顔して可愛かったわ」
とんでもない、爆弾を落としてくれる。
これは、確信的にしている心理かく乱作戦か!?
「ガキをからかうんじゃない…」
その実、からかわれているのは、こっちだとわかっていたのに…ぐらぐら揺れるヒューズに、ドールは追い討ちをかけた。
「素直で真っ直ぐな子ね。解っていたけど、素敵だわ」
「やめろ! ガキなんかにちょっかいかけるな…!」
鋭くなる口調は、ちょっとした犯罪者なら裸足で逃げ出す程の威力を放つ。
が、勿論、そんなものでどうにかするほどIRPOの捜査官はやわでない。
「どうして? 私も彼もフリーよ、何ら問題ないわ」
数学の公式でも唱えるかのような平坦な口調の女性の表情は、コードネーム通り表情の読ませない精巧な人形。こちらを何らかの意図に嵌め込もうとしているのだ。解っている……しかし。
「レッドはお前が思っているほど、強いだけじゃない!」
どうしても、我慢がならず、声を迸らせる。
「そうね。そういうところも、素敵と思っているのよ? それに、事件が終わった今、あなたには関係ない筈よ?」
息が詰まる。その通りだ。
事件の解決と共に、驚く程希薄になった、自分と彼の縁。
細く細く、遠く―――繋がる糸の手応えの無きを恐れ、引き寄せる事すらできない。
もう、関係のない彼がドールとくっつこうが棄てられようが関係ない……のに。
おっさんおっさんと、憎まれ口ひとつ忘れられない。
そんな俺にトドメを穿ったのは、思わぬ伏兵。
「あの子、遠い所へ引越しするそうよ」
まだ、辛うじて繋がっていたレッドとの糸が切れる。
事件が解決し、平穏なる生活を取り戻した彼の引越し先を調べる権限など誰にもない。
だが、こんな中途半端な事で、彼とは永の別れになるなど受け入れられる訳がない……切れた方の糸を、いつまでも未練がましく持っている自分など無様の他ならない。
そんなぐらいなら――――
「そうか…」
「引越しは、明日ですって」
クーロン経由を考えれば、迷っている時間などなかった。
ヒューズは、自らの中の頑なな何かごと、それをバチリと引き千切り、自分のIDカードをドールに投げ渡す。
認めてしまえば、気分は爽快だった―――走れ、大事件だ!
「俺は、絶賛バカンス中!」
一路、シュライクへ……バカンスはこれから!
そうだ、キレたのならば、新しく掛けなおせば、いい。古い糸には、用などない。
「了解」
ドールは、早速端末からデータバンクにアクセスし、ヒューズ登庁のデータを消しにかかった。
端末を弄くったついでに、その場で報告書の作成を始める。
お供は勿論、ヒューズが飲んでいたのと同じブラックコーヒー。それは、彼の思いがけない恋の苦さにぴったりだ。
職員がそれぞれの役目をこなしに各々の場所に散れば、喫茶室はドールの個人オフィスの様相を呈する。
そんな時分、彼女の隣の席にわざわざ腰掛ける青年がいた。同僚のレンである。
「見事なお手前で」
彼は、先ほどのヒューズの剣幕を思い返しつつ、笑いかけた。
同僚兼先輩の異変をどこかしら察し、見守っていたのだろう。
IRPOは、このリージョン世界にとって唯一の正式公安機構――つまり警察である。
広いリージョン世界きっての腕利き捜査官である筈のヒューズは、一週間のリフレッシュ休暇後の久々の登庁早々喫茶室にしけこみ、なみなみと注がれたブラックコーヒーを飲みもしないで見詰めため息をついていた。
キャンベルの武器密造疑惑に関する捜査から、秘密結社ブラッククロスの壊滅…この大きな事件(ヤマ)が解決し、その功績により得たはずのリフレッシュ休暇が、休暇でない。
本当に、リフレッシュしようとして、思い切って出かけたバカンス専用のリージョンの照りつける太陽青い海、そして、ビキニの美女も…何ら、ヒューズの心を明るくさせはしなかった。
思い出すのは一人の青年――この俺をおっさん呼ばわりする無礼者。
でも、管理していた秘術『盾のカード』を差し出した時の、
「おっさん、ありがとう!」
純粋な笑顔の眩しさに、おっさん呼ばわりの不快は何処ぞなりへと家出して、ついぞ帰ってこない。
そして――ふとした時に見せる、達観したような瞳。
家族を理不尽な暴力で亡くした悲痛な光が、アイツをただのガキから一線を臥している。
ヒューズは滅入っていた。
なんで、よりによって、目の前の豊満で柔らかい肉体的な美女を眼福としその愛を乞うどころか、固くて色気の全くないオトコノコばかり思い出すのか。
そんな状態で十分にバカンスを楽しめず、本当は一カ月ぐらい休暇をとってやるつもりが、たった、一週間で帰ってきてしまった。
そんな事をしても、意味がないのに……ヒューズは、遙か彼方にやっていた意識をコーヒーの前に戻す。
夢から覚めなければ。
何故なら、事件の解決した今、自分と彼の人生を繋ぐものがいともあっさり解れてしまったのだから……それにショックを受けた自分にショックを受けた。
盛大にため息をつく。
そんな時に限って、まだ、追いうちをかけるように喫茶室に惰性で流れるレトロ音楽の歌詞が、胸を抉る。
《アイツは、アイツは、カワイイ、年下のオトコノコ…》
なんで、アイツを思いだすんだよ!
「く……そっ!」
砂糖もミルクも入れていないのに、コップの中身をスプーンでぐるぐる掻き混ぜ、苦い苦いそれを一気に飲み干した。
コーヒーは、もう、ぬるい。目を覚まさないと…そう、思いつめているのが、自分でもわかって、男は、テーブルに突っ伏す。
本当に、俺はどうしたというのか――いや、それも解らぬほど者知らずな子供じゃない。認めたくないのだ。
さもありなん、よりによって……頭髪を掻き毟った時、
「意外と早い復帰ね。バカンスに出かけるんじゃなかったのかしら?」
顔を上げれば、ドールが、そのコードネーム通りの人形のような整った容貌の口元をほころばせて笑っている。
その美しさたるや、天上の女神のごとく。目も冴えんばかりだ―――そう、いっそ、全て悪い夢として目を覚ましたい…!
ヒューズの心底の願いを知ってか知らずか、彼の女神は、不遜な男にこういった。
「あの子に会ってきたわ、元気そうよ」
それだけで、胸が焦げる……重症だ。
アイツは、突然のドールの訪問にも嬉しそうな笑顔で迎えたのに違いない。その眩しい笑顔で…
「クソガキなんてどうでもいい」
嘘だった。何を話したか気になって、ドールの眉の動き一つから汲み取ろうと必死になっている。
「ふふ」
いつもなら、鼻の下を伸ばして喜んでいただろう彼女の笑う吐息すら、今のヒューズには、居心地悪い事この上ないものであった。
「休学していた大学にまた通い始めたって…」
ああ、耳がダンボになる自分が呪わしい。
重大事件の捜査報告すらこんなに真剣に聞いたことがないと言える位。
そう思ったせいか、ドールの声が会議中のそれに聞こえてきて、心に平常が戻ってきたというのに……次の瞬間。
「大学に彼女とかいないの? と聞いたら、赤い顔して可愛かったわ」
とんでもない、爆弾を落としてくれる。
これは、確信的にしている心理かく乱作戦か!?
「ガキをからかうんじゃない…」
その実、からかわれているのは、こっちだとわかっていたのに…ぐらぐら揺れるヒューズに、ドールは追い討ちをかけた。
「素直で真っ直ぐな子ね。解っていたけど、素敵だわ」
「やめろ! ガキなんかにちょっかいかけるな…!」
鋭くなる口調は、ちょっとした犯罪者なら裸足で逃げ出す程の威力を放つ。
が、勿論、そんなものでどうにかするほどIRPOの捜査官はやわでない。
「どうして? 私も彼もフリーよ、何ら問題ないわ」
数学の公式でも唱えるかのような平坦な口調の女性の表情は、コードネーム通り表情の読ませない精巧な人形。こちらを何らかの意図に嵌め込もうとしているのだ。解っている……しかし。
「レッドはお前が思っているほど、強いだけじゃない!」
どうしても、我慢がならず、声を迸らせる。
「そうね。そういうところも、素敵と思っているのよ? それに、事件が終わった今、あなたには関係ない筈よ?」
息が詰まる。その通りだ。
事件の解決と共に、驚く程希薄になった、自分と彼の縁。
細く細く、遠く―――繋がる糸の手応えの無きを恐れ、引き寄せる事すらできない。
もう、関係のない彼がドールとくっつこうが棄てられようが関係ない……のに。
おっさんおっさんと、憎まれ口ひとつ忘れられない。
そんな俺にトドメを穿ったのは、思わぬ伏兵。
「あの子、遠い所へ引越しするそうよ」
まだ、辛うじて繋がっていたレッドとの糸が切れる。
事件が解決し、平穏なる生活を取り戻した彼の引越し先を調べる権限など誰にもない。
だが、こんな中途半端な事で、彼とは永の別れになるなど受け入れられる訳がない……切れた方の糸を、いつまでも未練がましく持っている自分など無様の他ならない。
そんなぐらいなら――――
「そうか…」
「引越しは、明日ですって」
クーロン経由を考えれば、迷っている時間などなかった。
ヒューズは、自らの中の頑なな何かごと、それをバチリと引き千切り、自分のIDカードをドールに投げ渡す。
認めてしまえば、気分は爽快だった―――走れ、大事件だ!
「俺は、絶賛バカンス中!」
一路、シュライクへ……バカンスはこれから!
そうだ、キレたのならば、新しく掛けなおせば、いい。古い糸には、用などない。
「了解」
ドールは、早速端末からデータバンクにアクセスし、ヒューズ登庁のデータを消しにかかった。
端末を弄くったついでに、その場で報告書の作成を始める。
お供は勿論、ヒューズが飲んでいたのと同じブラックコーヒー。それは、彼の思いがけない恋の苦さにぴったりだ。
職員がそれぞれの役目をこなしに各々の場所に散れば、喫茶室はドールの個人オフィスの様相を呈する。
そんな時分、彼女の隣の席にわざわざ腰掛ける青年がいた。同僚のレンである。
「見事なお手前で」
彼は、先ほどのヒューズの剣幕を思い返しつつ、笑いかけた。
同僚兼先輩の異変をどこかしら察し、見守っていたのだろう。