2/13 pm23:30
竜ヶ峰帝人は、いつもの定時チャットを追えて溜息を一つついた。
昔のように、甘楽を女性だと信じていた頃ならば可愛らしい話で済むのだが、その正体がネカマであると知った今では、あまり心地よい話ではない。
その甘楽の正体を知った今では、なにかうすら寒いものすら感じる。
「臨也さんの本命って……」
まさか、本当に誰かにチョコをあげるわけではないだろうか、なにかやらかそうとしているのは確かだろう。
甘楽の正体である折原臨也のことだから、また何か暗躍でもしているのだろう。それとも、彼の天敵である平和島静雄でも揶う気だろうか、今度こそ殺されますよと心の中で思うが、少したりとも臨也の身を案じているわけではない。彼なら逃れられるだろうと思っているからだ。
どちらにしろ自分には関係ないことだ。
日々の生活のためのネットビジネスを片付けていると、日付が変わったことに気がついた。今日は二月十四日、バレンタインデーだ。
ピンポーン
こんな時間に誰だろう。良い予感が全くしないが、放置することも出来ずチェーンを掛けたまま薄く扉を開けた。
まだ寒い二月の外気が細い隙間から入り込んでくる。身震いをしたのは、寒気のためではなく目前に立つ人物を死人したからだ。
「こんばんはー、帝人君」
「さようなら」
空いたばかりの扉は再び閉じられた。出来れば、今見たことも全て忘れてしまいたい。むしろ、夢か何かだと思いたい。だが、扉の外からは現実だと告げるように声がする。
「えー、開けてよー帝人君。二月の夜は寒いんだけど……」
ドンドンと深夜だと言うことなどお構いなしに扉を叩く音が響いている。寒いというのならば諦めて帰ればいいのに、声からはそんな気配を感じない。
「このままじゃ凍死しちゃうよ。困るでしょ? 帝人君」
「喜ぶ人のが多いと思います」
チェーンを掛けたまま薄く開いた扉から声を掛けた。これがそもそもの間違いだ。絶対に扉を開けてはいけなかったのだ。
薄い隙間を白く薄い掌が掴む、思ったよりも力強いそれが再び戸を閉めることを拒んでいる。がちゃがちゃとチェーンが揺れる音が寒空にやけに響いている。
なんで机の上に携帯を置いてきたのだろうか、持ってくればよかった。少なくとも通報は出来たのに、静雄さんに……。アドレスは教えて貰ってないけど、ダラーズのメーリングリストに流せば、あの人なら、あの人なら来てくれる。その代わりこの家が壊れるだろうけど…………
「ツレないなぁ……、凍死する前にここで色々叫んじゃおうか? あ、遺言?として色々とメールしちゃおうかな……」
隙間から覗く顔は光源のせいか瞳が赤く見えた。暗闇に光る赤い瞳に背筋が震える。隙間から覗かせる顔すらも整った美しい顔をしているが、同性である為になんの感慨も浮かばない。
だが、声は違う。まるで冬空のように澄んだ美しい声をしている。深淵のような夜の闇から聞こえる声は、空の冷気を纏い凍てついた言葉が心を麻痺させていく。
具体的には口に出さないが、中に入れなければ秘密をばらすぞと脅しているようなものだ。
「どうぞ」
金属が音を立てて鎖を外すせば、 するりと風のように臨也は室内へと潜り込んだ。
「中は暖かいなぁ…… 少し冷えちゃった分は帝人君に暖めてもらおうかな」
捉えようと伸びるファーのついた袖口から逃れるために帝人は一歩退くと、大きく両手を広げた。
「なに? 胸に飛び込んで来いって?」
靴を脱ごうとする臨也を弱々しく張り上げた声が制した。
「上がらないで下さい」
室内に入られたらそれこそ危険だ。こうして、玄関の中にすら入れたくはないのに、なんとしてもそれだけは守らないといけない。
「えー、俺としてはこういうとこもスリルあっていいけど、ね」
なにがどうスリルに繋がるというのだろうか、そんなに恐怖を味わいたいのならば自分の存在を誇示しながらこの街を歩くだけで味わえるだろう。なにも、ここで味わなくてもいいはずだ。
味わいたいのならば、池袋の中心で自身の存在を謳うだけで自販機の一つくらい飛んでくるはずだ。
「身持ちの堅い子は嫌いじゃないよ」
既に進入を許している段階で身持ち云々の話では無いと思うが、聞き流しておく。今は、一瞬でも早く彼に帰って貰うことが重要だ。
「なんの用ですか?」
チャット終えた辺りで、もう日付は変わって翌日となっていたはずだ。良識のある人物が訪れる時間ではない。そもそも、彼に良識があれば苦労はしない、もっとも離れた言葉だ。
「チャットで今から行くって言ったでしょ?」
もう忘れちゃった?と冬の夜空のような声が耳元を掠める。澄んだよく響く美しい声だが、とても凍てついている。冬の凍てついた空気は感覚を奪っていくが、寒々とした星空は美しく光を放っている。
「チョコを渡しに行くって言ってましたよね?」
「そう、本命は誰なのかって帝人君聞いてくれたでしょ?」
臨也はネット上では甘楽と名乗り、女性を騙っている。いわゆる、ネカマだ。何をもってそうしているのかは分からないが、彼から聞かされるまではずっと甘楽を女性だと思っていた。
「…………。わざわざそれを教えに来たんですか?」
ならばあの場で教えてくれればいいのに、そう小さな溜息をついた。あの場では甘楽としての本命を聞きたがったわけで、臨也としてそんな行動に出るとは思ってはいなかった。情報として知りたかっただけであって、まさか自分に降りかかってくるとは思わなかった。
「違うってば、本命のところに来たんだよ。チョコを渡しにね」
早くそこに行ってください、理解しましたから、そう言いたかった。だが、臨也は今、『来た』と言った。本命のところに来たと、教えにきたワケではないのだと。
「それって…………」
冬の夜に溶け込むような白いファーのついたコートの中に、仕舞われていた手をそっと臨也は取り出した。ただ、ポケットに隠した掌を出すだけの行為なのに、まるで翼のようにひらりとコートが翻った。優美さを感じる動きの滑らかさに、魅入ってしまい臨也の挙動に注意を払わなかった。
コツン、突然何かが降り注いだ。色取り取りの四角く小さなモノが、コツン、コトンと床に落ちていく。まるで雨か、紙吹雪のように、それにしては質量がある。当たると少し痛い。
頭上から降り注がれたそれの一つが、コツンと肩に当たり、コロンと掌に着した。
「…………チロル」
コンビニのレジ前に詰んであるあの正方形のチョコが、ちんまりと掌の上に乗っている。
床に散らばった四角の包みは、散らばったパズルのピースみたいなそれを見ながら、片付けることばかり考えている。問題はそこじゃいのに、それし考えられなかった。
「本命の人にチョコレート」
掌のチョコから見上げた臨也の顔はとても美しく笑っていたけど、寒空色の声が背筋を凍らせる。
「本命に渡すには…………」
態度もチョコもそぐわない気がする。
「差別は良くないよ?」
と笑っている。表面だけのそれに心の中で、どちらかと言えば区別かなってツッコミを入れていた。
作品名:2/13 pm23:30 作家名:かなや@金谷