2/13 pm23:30
あの流れで思いついて、とりあえず実行してみた。そんな感じがする。きっと行動以上の意味はなかったのだろう。ただ、到着時間の早さが気になるが、神出鬼没のこの人のことだから何処か近くに居たのだろう。だから、きっとこれは偶々なんだ。
「貰えませんよ、こんなの……」
床に散らばったそれを掻き集めながらしゃがんだままで顔を上げれば、同じくらいに腰を降ろした臨也の顔の近さに驚いて腰を抜かした。
ドンと尻餅をついて床に落ちた。それでも、チョコレートだけは踏むまいと庇ったことは褒められてもいいはずだ。。食べ物に罪はない。その出所に問題があったとしてもだ。
「そんなこと言わないでさっ」
腰を屈めたままの臨也の手が伸びて、チョコレートを守っていた両手の上から包み込んだ。力強く握られてしまえば、起き上がることも、振りほどくことも出来ず、中途半端な甘い拘束を受けている。
「ねっ」
笑顔でまるであげると言わんばかりに、包み込まれた両手を胸元に押しつけられた。コツコツと心臓辺りに何度も押しつけてくる。
「わかりました。戴きます」
受け取らなければ、解放しては貰えぬのだろう。早くこの状況から脱し自由を得たかった。こうして繋がれているうちは、彼もまた拘束されているのだと気付いたのは後の話で、むやみに承諾するとの危険性を思い知らされたのは、直ぐのことだった。
「チョコレート渡しちゃった。お返し楽しみだな〜」
花が開いたかのように、包まれていた掌が離れていき、ぶるりと体が震えた。ほんのりと残る温もりを、まだ留まる外気が奪っていく。その熱を少しだけ残念に感じるのは、冬の寒さのせいだ。こんな玄関先では、ストーブの恩恵すら得られない。
ふざけた口調で彼は言うが、言葉以上に含みを感じる。
「勝手にくれたんじゃないですか!」
「でも、そういうものでしょ」
女の子相手ならば決してそんなことは言わない。謂わば、相手が彼であるから言える言葉だ。それでも、少し良心が痛むのは何故だろう。少し前までのチャットの会話を思い出す。セットンさんに悪い気持ちがする。勿論、今起こっている事態を話すことはないと思うけど、なにか悪い気がする。そして、愛し合う人にチョコを贈れることは素晴らしいことだと思う。
「見返りを要求するなんて」
「なら、見返り要らないって言えばいいのかな? そっちのが嬉しいのかい?」
ここまで露骨に要求は返って潔いのだとそう思っておけばよかった。なのに、つい突っ込んだ言葉は事態を悪化させるだけだった。
これが女の子相手ならば嬉しいことだが、対象が男、臨也となれば見返りを求められる方が気が楽だ。裏心のない純粋な愛情に寄るモノだと言われる方が、恐ろしく不気味だ。
「それは…………」
「俺は、むしろそっちのがいいかな」
掌は未だにチョコを抱いたまま固まっている。これでは、拘束を解いた意味がない。座り込み硬直したままの腕に、黒い臨也の腕が絡み付き引き上げられた。少しふらつきながら立ち上がると、近付いた彼の口許が耳に言葉を吹きかけた。
「愛してる」
ゾクリと背筋が震える。寒さでもなく、言葉の意味に対してでもない。今まで聞いた臨也の言葉の中で、一番真摯に語っているそう受け取った自分に対しての震えだ。
恐ろしくて顔を上げる事が出来ない、どんな表情を彼がしているのか、それを見たくはない。同時に、この男の真剣な姿を見てみたいと思う好奇心が沸き上がってくる。それこそが、自分が愛する非日常だ。
「だから、君も俺を愛するといいよ」
小刻みに震える耳元で待機していた唇が、甘い言葉を囁く。もうその声色に真摯なモノはなく、ゆっくりと帝人は顔を上げた。
「…………なんてね」
軽い言葉と共に解放された腕と体は、蹌踉めきながら壁にぶつかった。狭いと感じていた古いアパートに、今は助けられている。壁がなればそのまま後ろに倒れていただろう。上半身を壁で支え、なんとか状態を維持する。
急に引き上げられると軽い立ちくらみがする。ふらふらと視界が揺れているのは、身体的な要因なのか、精神的なモノなのかもわからない。ただ、身体と心は必死に落ち着こうとくりかえしている。
「冗談言わないでくださいよ、臨也さん」
最も嘘であって欲しい言葉だけが、まったく冗談には聞こえず真摯な一撃として胸に突き刺さっている。
「本気なんだけど、どちらかといえば、帝人君から貰いたかったなぁ…………」
「なんでですか?」
何故自分から渡さなくてはならないのか、そもそも男同士であること自体がおかしいというのに、いやそれ以前に対象としてもおかしい。
「俺は嬉しいけどね」
切れ長の瞳がまっすぐに見下ろしている。薄い瞳なのに、その視線はねっとりと絡みつき動くことが出来ない。黙ってその顔を見上げるしかない自分に向かって、臨也は続けて口を開いた。
「帝人君がくれるなら、俺は何十倍にしても返してあげるのになぁ」
「それ、本当ですか?」
その言葉が光明に見えた。なんとか、今の事態を突破できる唯一の糸口に思えた。
「望むなら何百倍でもいいんだよ」
お返しの方に食い付いたと臨也は思ったのか、嬉しそうな表情をして小さく手を広げている。
「それじゃあ」
彼が油断している隙に、チロルを手早く口に咥えた。冷えて固いままのチョコが微かに溶けて、口内に甘く広がっていく。
「えっ……」
それは、唇が離れた後だったのか、触れる前だったのか、その両方だったのか臨也の口から漏れた言葉だった。
澄ました表情が崩れて目を大きく見開いている。自分でも驚くほど素早く動けた。勢いを付けて背伸びした先には、驚きの表情を隠せない臨也の顔があった。半開きの唇に押しつけるように、チョコを突っ込んだ。微かに唇同士が触れ合ってしまったのは事故だ。そうならないように、なるべくチョコの端を咥えていたのに、小さなチロルでは避けようがない。
「これでいいですよね? 楽しみにしてますから」
形は良いが少しかさつく冷たい唇の感触に目眩がする。ドキドキと高鳴る鼓動は、興奮というよりも作戦の是非への思いだ。
これが、親以外の初めて触れた他人の唇だと思うと泣けてくるが、打開策がこれしか浮かばなかった。
冷たく冷えた唇の少しだけ柔らかい感触と、口内に広がるチョコの甘さが経験のない自分には容易に結び付いてしまう。高鳴る鼓動、荒くなる呼吸、興奮しているような錯覚が意識を混濁させていく。目を閉じなければいけないんじゃないか、そんな思考が沸き上がった瞬間だった。
ふと生暖かく弾力のある何かが触れた気がしたが、それが何であるかは恐ろしく考えたくもなかった。一気に現実に引き戻された意識が、慌てて唇を離した。
少し目を閉じていてよかった。あの感触の正体を確認しなくて済んだ。
触れていたのはほんの数秒だっただろうに、まるで時が止まっていたかのような長さを感じた。その短い中で何度も意識が、感覚が移り変わっていった。
未だ臨也の表情は驚愕のままで固まっている。自分はどんな表情をしていたのだろうか、帝人には想像することが出来ない。羞恥で頬が染まることだけは抑え込んだ。ここで表情を崩しては仕掛けた意味がない。
作品名:2/13 pm23:30 作家名:かなや@金谷