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愛し恋しと

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こんなつもりではなかったのだ。そんな意図はなかった。
 なかった、はずだ。

 家康は仰向けに身を横たえながら、今更ながらにそんな欺瞞を自分へ向けた。仰のいて視線をあげた先では、幾度も戦場を共にした見慣れた男が、見慣れぬ色を眼に湛えたまま家康を見つめている。その色を誰かから向けられることをこそ、家康は他の何にもまして避け続けて生きてきた。
 なのに今は魅入られたように見返したまま、家康は自分を騙しきって逃げることすらできない。





 徳川家康は、己の弱みを誰よりも強く認識していた。
 大きな瞳に明るい色を乗せた、愛嬌のある顔立ちをしながらも、鍛え上げた肉体は鋼のように引き締まり、振るう拳は地面を穿つほどの力を持つ。
 それでもなおこの戦国の世で、女人が将として生き抜くことは生半可な覚悟でできるものではない。しかし肉親総てから遠く離れ、それでも己を殺さずに生きていくためには、家康はどうしてもこの生き方しか選べなかった。誰ぞに嫁ぎ、その婚姻を以って一定の平穏を手にすることもできたであろうが、家康は己だけに停滞と平穏という名の「幸福」を授けることは許せなかった。
 弱者どころかどれほどの強者ですら、身体も魂も傷つかずにはいられないこの戦乱の世を終息させる。昔、家康のその決意を知った家臣たちはこぞって茨の道を歩むことを止めようとした。泣く者もいた。怒る者も、叫ぶ者も、嘆く者も。それら総てが己を案じていることの表れだと知っていたからこそ、家康はその歩みを止めようとはしなかった。
 こんな世が続くうちにお前たちがいなくなってしまったら、どうすればいい。
 家康は平和が欲しい。心底欲しい。それが実現するまでは、女としての歓びなど要らない。
 そうと決め、戦装束に身を包み、鮮やかに翻っていた黒髪を短く刈りあげて、前を見据える眼からは弱さなど払拭してみせた。それが醜い張りぼてであろうと知ったことか。
 ワシが、平和を作る。
 三河の将・徳川家康としての歩みを続け、すでに十数年が経っていた。



 強大な力を誇る豊臣を前に、和睦を申し入れた。徹底抗戦をしてみせると意気込んだ部下たちに無為に奪われる絆を説き、豊臣に従軍する道を選んだ。家康はたびたび己のその選択を思い出す。
 確かな決意と共に選んだその道が果たして正しかったのか、否か。いまだに確かな答えは見えない。だが、あの選択がよもや女としての心の弱さの表れであったとしたら、と、不意に思えばそのたびに家康は足元が虚空となったような心許なさを覚える。
 だが、幸か不幸かここにはそんな家康をすぐに現実へ連れ戻す相手がいた。
「家康、何を呆けた顔をしている」
 今もまた、ふと物思いに沈んでいた家康の耳に、遠慮も何もないずけずけとした物言いが飛び込んでくる。この男は、相手の精神状態など気にかけもしないのだ。はあ、と大きくわざとらしい息をついてみせた家康は、じっとりとした目線を向けた。その視線の先に立つ男――三成は、相変わらず造りばかりは美しい顔にわかりやすく不快を乗せて家康を見ている。
「あのなあ、三成。呆けた顔とは失礼だぞ。思慮深い顔と言ってくれ」
「貴様の思慮など無意味だ。先程も横から私の邪魔をしてくれたな」
「それは、……お前が、」
 ころしすぎるからだ。
 家康は最後の言葉を口にしようとして、結局呑みこんだ。そういった類の言葉を口にすることで、己が豊臣の兵や一部の将に影で何を言われているか、家康はつい最近知ったばかりだった。
 ―――戦場に慈悲を持ち込むとは、やはり所詮は女人よ。
 そんな嘲笑混じりの評など、新参の将の身であれば無い方がおかしい。気にかける必要はないと、意識のうえではわかっているのだが、どうしてもすべてを無視することができなかった。
「その顔、何の意味がある?」
 問いかけに、いつのまにか再び俯いていた顔をあげれば、眼の前に男の端正な顔があった。自分よりも高い位置にある眼が訝しげにこちらを見据えている。その眼には純粋な疑問だけがあり、だからこそ家康は素直に問い返した。
「……どんな顔をしていた?」
 他の相手ならば余計な詮索を恐れて誤魔化すところを、こうして返せることは得難いものだと軽く認識しながら家康が尋ねれば、同輩である豊臣の将はこともなげに言った。
「鬱陶しい顔だ」
 確かにそうだったろう、とは思う。が、家康はあえて笑みを浮かべた。
「本当にひどい奴だな、お前は!」
 にこにこと朗らかに微笑みながらそう答えた家康に対して、三成はしばし沈黙を返した。だが無視をしているわけではなく、じっと家康に視線を注いでいる。珍しいことだ、この男は思ったことはすぐに口にするのにとその口が開くのを待っていた家康は、三成の髪や頬に飛んだ赤い斑の染みを見つめた。
 血の匂いが支配する戦場に立つことは、もはや家康の生そのものだ。
 世が世であれば豪奢な城で柔らかく暖かなものだけを見て過ごしていられただろうにと、嘆く家臣も今はもういない。三河の武士は家康を女と侮らず、将として誇ってくれている。
 それに応えるためならば、血を浴びることも厭うまい。改めてそんなことをつらつらと考えていた家康に対して、三成が突然落とした言葉は家康を凍りつかせるものだった。
「貴様のその無意味な笑み」
 三成はもはや興味が失せたと言いたげに踵を返しながら、放り投げるように言った。
「それを見ると貴様が女だと思い出す」
 ――どういう意味だ、それは。



 戦場から戻った後も、家康は三成によってもたらされた言葉を抱えたまま、悶々として過ごしていた。放り投げようとしても無駄であった。豊臣の砦の、与えられた居室で乱暴に寝転がったまま、家康はあえて意識を軽くするため頬を膨らませて呟く。
「三成のやつ。……いきなり何なんだ」
 零した声が思っていたよりも弱弱しくて、家康は思わずふっと笑った。そして、その笑みを途中で強張らせて、片手で己の頬を引っ張ってみる。
 柔らかな頬には細かな産毛があるだけで、髭も生えなければ硬くもならない。鍛えあげた身体はそこらの兵に比べても頑丈かつ強靭で、腕などはひょっとしたらあの三成よりも筋肉質なのではないかと思う。
 なのにふと数え上げればそこかしこに未だ柔らかな部分が見つかって、ますます家康を落ち込ませた。
 石田三成は、不思議な男だ。
 欺瞞も虚飾も計算も全く持たないままに、己を総て曝け出して恥じることなく生きている。
 その生き様は真っ直ぐといえば聞こえがいいが、端的に言えば不器用で思慮に欠け、一部では失笑を買うようなものでもあった。だがそれでも、いくつもの矛盾を覆い隠して生きている家康にとっては、時折何か眩しいような思いすら覚える男だった。
 戦で何度か眼にしたことはあったが、真正面から対面を果たしたのは和睦が成り立って後、豊臣に招かれ改めて挨拶の場を設けられた時だ。
 戦場では常に刃そのもののように駆け、眼につくもの総てを屠った男は、家康が膝を折った先で覇王の斜め前に佇んでいた。その淡々とした顔が、まるで家康に興味を示していないことに、家康は内心で密かに驚いていた。
作品名:愛し恋しと 作家名:karo