揺り篭 番外集
partys over
心配された深夜の通り雨は新緑の碧に跳ね返る綺麗な朝露になって気持ちのよい朝を演出していた。一雨ごとに夏に近づく太陽は既に今日も暑い一日になる予感を孕ませている。
「おはようございます」
最近ようやくメイドたちから勝ち取った玄関先の掃除を済ませている私に遠慮がちに柔らかいトーンの声が掛けられ、顔を上げると−−いつもは太陽がもっと昇り切ってからしか活動を始めない人の顔があった。
「え、アルフレッド、さん?」
疑問系。
彼らしくもなくふんわりとした微笑を浮かべる男の後ろから決まり悪そうに顔を覗かせた人は良く知っている。最後に見た時よりも随分顔色がマシになっていてほっとした。
「…ただいま、菊」
「アーサーさん、お届けにあがりました」
まだ疑問符を頭の上に並べていた私は思い至った。
柔らかい蜂蜜色した癖っ毛の髪はどちらかというとフランシスさんに似ている。その従兄のように優しい微笑を湛えた瞳の色は良く見ると蒼ではなく薄く煙ったゼニアオイに近い色だ。それなのにパッと見は完全にアルフレッドさんなのだから不思議だ。
「はじめまして。貴方のお話はよくアーサーさんとアルから聴いてます」
マシュー・ウィリアムスですと礼儀正しく頭を下げた彼は総合すると血縁を疑うくらい良くできた穏やかな人物でありながら、見紛うことなくアルフレッドの双子の兄だった。
マシューに起こされた。
てっきり菊だとばかり思ってあと50分とシーツの中に潜行しながら呟いたら、物凄い勢いで手が伸びてきてギーッと力任せに鼻を摘み上げられたのだ。
今ダイニングには菊、マシュー、ルートヴィッヒ、俺という普段あんまりないメンツが思い思いに朝食を終え寛いでいる。
特に会話が弾む訳でもなくかといって重苦しい空気ということもないのは、適度な距離感で誰にでも優しく相槌を打つ菊のお陰と、さほど離れていないキッチンから漏れ聞こえてくる賑やか過ぎる喧騒の所為だろう。
「それでアーサーは何処に行ったんだい?」
帰ってきた筈の人騒がせな元義兄は起きてきてから一度も姿を見かけていない。別に気になっている訳ではないがその人を連れてきた実の兄にさり気なくを装って尋ねた。
覗いてないけどまさかキッチンに居るってことはないだろう。指揮を取っているヴァルガス兄弟がそんな暴挙許さないと思いたい。
「そういえばフランシスさんが連れて行ったっきりですね」
「なんだい。自分は全然アーサーのことなんか気にしてないですって態度だった癖に」
「あはは、それはないよ。だって毎日ピエールたちがとっかえひっかえくるんだよ?」
聞いているのかいないのかと思っていたルートヴィッヒがマシューの言葉に軽く噴出した。このいつも厳めしい顔をしたムキムキの騎士は案外笑い上戸だ。
「こら、マシューバラしちゃ駄目でしょ」
話題の渦中の人がようやく姿を現した。
ルートヴィッヒは逃げるように兄さんを連れ戻してくるとキッチンへ消えていった。
空いていた菊とマシューの間の席に彼が腰掛けると菊はすっと立ち上がりワゴンから二つカップを取り出してから小首を傾げた。
「おや、アーサーさんは?」
「あれ、坊ちゃん?」
フランシスが目を遣った開け放たれた扉の向こうが騒然となる。
「おい、離せ!!」
「ケセセセ、触り心地が俺好みだぜー」
キッチンが戻ってきたギルベルトがなにやら白いものを抱えていると思ったらアーサーだった。
真っ白なのは頭からフードのように続くローブで柔らかい素材に更に水鳥の大きな羽を編みこまれているらしくふわふわでギルベルトが盛んに頬擦りしている。あ、アーサーとフランシスに両方から殴られてもんどりうった所を更にさり気なくマシューに蹴られた。
脹脛くらいの長さの細い黒のパンツは彼の細腰を覆い、上に被さるチュニックではその細さを隠せてない。フードから零れた金髪には小さな金細工を纏った様々な色の宝石を飾られしかもいつもよりも明らかに艶々だ。唇もなにかグロス的なものが塗られているのか眩しいくらい薔薇色に輝いている。
恥ずかしそうに長い睫を伏せ頬をほのかに赤く染め俯くアーサーと視線が合う。
「はーい、お兄さんからお前たちに少し遅れた誕生日プレゼントでーす」
お触りは別料金とかほざいてるフランシスに俺は物じゃねえ、ばかぁっと再びアーサーの鉄拳が閃いた。
珍しく散々笑いあって楽しかった余韻に身を任せてベッドに横たわる。
「疲れちゃった?」
今日の主賓でありながらホストでもある主は大掛かりな後片付けを明日にするようにメイドたちに指示して自らも食器を洗い場に運ぶのを手伝っていたが、早々に追い出されたようだ。
「服…皺になる」
腰掛けたベッドの軋む音を聞きながら一日御仕着せで無理矢理着せられてた高価な素材の衣服が気になるけれど瞼が重くてそれどころでない。優しい手と柔らかく頬に当たる感触が更に意識を深い暖かな闇の中に誘う。
普段はついつい飲みすぎてしまうアルコールも今日は本当にちょうど良く回る程度しか飲んでなく−−アルフレッドと菊とフランシスの努力の結果だが−−ふわふわして夢見心地だ。フランシスが髪に飾られたマンティリアを抑える櫛を一つ一つ丁寧に取り外していくのもされるまま。
「…楽しかった」
ローブを解かれ、袖を抜くフランシスに凭れかかりながら呟くと慈愛に満ちた藍い双眸が覗き込むから無意識に笑った。
「坊ちゃんその顔は反則」
らしくもなく頬を赤く染めたフランシスがぎゅうっと抱き尽きてきた。
普段なら殴り飛ばしてやるところだけど今は気分がいい。
「体、つらくない?」
朝から何度目かの同じ質問を口にした。唇が耳の後ろの温度を測ってる。
ほわほわした頭はもう何を言われてるのか判別してないと気づいたのかフランシスはもっと優しくおやすみと囁くと俺の背中を撫でながら光の中に飲み込まれていった。