雨やどり
「あー…なかなかやみそうにねえなぁ、こりゃ…」
小気味良い音で地面を打ち付ける雨に、塗れてしなった髪をかきあげた元親が呟く。
ちらりと横を見れば、じっと雨足を見つめる元就がたたずんでいる。
「アンタ、こんなところでなにしてたんだ?」
「そなたこそ…賊は陸に上がると、地理もつかめぬのか?」
ふっと鼻で笑い、やけに好戦的な元就の言葉に、元親はむっとした表情を見せる。
だが今日は、反撃のための言葉をぐっと飲み込んで…元親は、不本意ながらもむっと口を閉ざしていた。
何の気なしに元就を訪ねた元親は、書斎に居るはずの彼の姿が見当たらなかったことに、酷く驚いた。
執務の時間である今、書斎に元就の姿が見えぬのは大層珍しいことだ。
そんなものだから、厠にでも立ったのだろう、元就はすぐにでも部屋へと戻ってくるはず…と、考えていた元親だったが。
一向に帰る気配のない影に、待つことに飽きた元親は、その辺を散策しようと考えたのだ。
…そして今に至る。
元就の言葉がずばりだったこと。
さらには湿気による不快感と暑さで、元就の機嫌が底なしに悪いこと。
この二点によって、元親は非常に気を使い、いつもの軽口をつぐんでいたのだ。
こんな暑さの中、いがみ合いで余計な体力を使いたくはないという、自己防衛なのだ。
「しっかし、よく降んな…」
「そなたが陸になどあがるからだ」
日輪様がお怒りだ…と、本気とも冗談とも取れる元就の嫌味にも、心中では罵詈雑言を浴びせながらも元親は耐える。
相変わらず神経質そうに眉根を寄せ、不快感を隠すことのない元就を、元親は呆れた表情で見つめていると…気付いた。
うなじに汗の玉。
ふと、元親の脳裏に何時だったかの記憶がよぎる。
それはまだ、自分が幼かった頃の記憶。
けれど、記憶は酷くおぼろ気で…よくよく思い出そうとすると、それ以外の嫌な記憶が掘り起こされてしまう。
自分の記憶に、背筋に悪寒を走らせた元親は、記憶を払うように頭を降り、もう一度、元就の首筋を見る。
暑さのせいか、普段より心なしか血色の良いうなじが、やけに美味そうで。
本能的に喉を鳴らした元親は、そっとうなじに手を伸ばす。
「汗…」
そう言うと、元親は、つ…と指先で汗をなぞる。
びくり、と体が震え。
手が振り払われる。
「触るな」
…と言った元就の、つり上がった目元は心なしか朱に染まっている。
一瞬、こんな状況が前にもあったような…と首をひねった元親の頭に、あの時の小さな童の姿が浮かぶ。
あぁ…あのときの。
そう言えばあのときも、こんな風に気まずい雨宿りだった。
…まあ、今回は自分のせいなのだが。
そう、苦笑しながらぼんやりと記憶に思いをはせていると。
「一度ならず…二度までも…」
…と、口惜しそうに呟く元就の声が聞こえる。
その言葉に、自分があの時の稚児だったのだと、ずっと昔に元就が気付いていたのだと知って。
「今度は逃げんなよ?」
風邪ひくからな…と、元親は再び苦笑いを見せた。