【CM79新刊】お見舞いに行こう!
昔はサテライトとシティの絶対的な隔たりの前に押しつぶされそうになっていたが、実際はシティの中だけでも大きな差があるのだな、とジャックは繁華街を歩きながら思っていた。小ぢんまりとした個人商店が並ぶ、メインストリートより一本ズレた道を物色していると、どちらかというとサテライトを思い出す。―当然、サテライトの市に比べれば品揃えは天と地ほどの差があるのだが。
ジャックにとってのシティの生活はキングであった二年間を過ごしたトップス―正確には、当時の治安維持局長官であったレクス・ゴドウィンの屋敷の中―での日常が基準となっている。あの屋敷の中では外に出ずとも欲しいものは何でも揃った。あらゆるものが機械化・自動化されていて、働く必要どころか考える必要もなかった。今となって思えば、それも自分を傀儡としていたゴドウィンの策略なのだろうが―。腕を組み、イライラとつま先をとんとん地面に叩きつけながらジャックは思案する。
「お客さん、どうしたんだい?」
人好きの良さそうな老婆が心配するように覗きこんでくる。ジャックの目の前にあるのは色とりどりの果物がきれいに陳列されている店先である。ジャックはこの果物屋の前に、かれこれ三十分は立ち尽くしていた。
決闘では決してこんな長考をしない(そもそも公式試合では一ターンに制限時間がある上、スピードの世界で長考は美しくない)ジャックだったが、こんなにも迷っている理由は『単に買い物をする経験が不足している』ということと、『他人とは違うことをしたい』という二点である。
「お友達のお見舞いなんだろう? だったらこれがいいよ?」
そう言って籠に入った果物の詰め合わせを老婆は差し出してくる。
「いいや、だめだ」
が、ジャックは首を横に振るばかりだ。
「お金が足りないのならまけとくよ」
「金は足りる!!」
ジャックは手のなかの封筒をぐしゃりと握りしめる。その中にはここ数日間、日雇いの仕事で稼いだ金が入っている。少々てこずりはしたが、見舞いの品を買うくらいならば十分な額を稼げた。
仕事を紹介してくれたカーリーに感謝しながらも、こういうとき、何を買えばいいのかも聞いておくべきだったかもしれないとジャックは思う。
―数日前、ジャックは病院に入院している風馬の元へお見舞いに行ったのである。
元々ジャックのせいで捜査を台無しにした上に怪我を負わせ、入院させてしまったようなものだ。しかし、風馬走一という名のセキュリティの男は、ジャックを恨むこともせず、病室を訪れる度に笑顔で迎えてくれた。
かつてデュエルギャングとしてサテライトで活動していた過去があるため、セキュリティの人間というだけでジャックは多少の苦手意識があったのだが、風馬を目の前にすると不思議とそんな感情はどこかへ消えてなくなってしまった。
デュエルチェイサーズの一員である彼は決闘にもDホイールにも詳しく、それくらいしか話題にできることのないジャックと話が良く合った。だから余計に居心地が良く、仕事のないジャックは頻繁に風馬の病室を訪れていたのだが―その日は先客がいた。
「なんだ、牛尾か」
「なんだとはなんだ。そういうジャック、おまえこそなんでここにいるんだよ」
ジャックより先に風馬の病室にいたのは、課長補佐にまで昇進した牛尾だった。
「見舞いに決まっているだろう!」
ジャックは得意げにふんぞり返る。
「お前さんそんなキャラだったか……? 風馬を困らせたりしてないだろうな」
眉を顰めて牛尾が渋い顔をするのに、
「いやいや、迷惑なんて全然してないぜ。いつも話し相手になってくれて、本当に感謝してる」
すかさず風馬がフォローを入れた。
「お前こそ仕事はどうした。また深影に怒鳴られるぞ」
「お前にだけは仕事と深影さんのことについて言われたくないが……部下の見舞いに行くのも仕事のうちなんだよ。ま、部下っていっても同期だけどな」
言いながら牛尾はテーブルに、彼にはとても似合わない、色とりどりの果物の詰まった籠を置いた。
「あんまいいもんじゃねぇが。皆からだ」
「おっ、うまそうだな。ありがとう。牛尾も食っていくか? ナイフあるし、剥くぜ?」
「いや、まだ仕事が残ってるんでな。これだけ渡して帰ろうと思ってたんだ。お前も元気そうだし」
「病気じゃないんだから当然だろ?」
「意識不明のうえあんなでかい手術したんだ、どっか悪くなってるんじゃねぇだろうなって心配するのも当然じゃねぇか。……ま、そういうことで俺は帰るわ。退院はもうそろそろなんだろ?」
「ああ。仕事に戻れるようになるにはもう少しかかるだろうけどな」
「だろうな……。あんまり無理するなよ。お前は昔から無茶ばっかりするんだからな」
「牛尾に言われたくないね」
風馬が意地悪そうに言うのに(そんな風馬の顔をジャックははじめて見た)、牛尾が「はっ」と笑顔を返す。そんなふたりのやりとりを、ジャックはただ個室の入り口で棒のように突っ立って見ていることしか出来なかったから、
「……おいジャック。あんま風馬に迷惑かけるんじゃねぇぞ」
牛尾に言われても、反応が遅れてしまう。
「……あ、ああ。当然だろう!」
「どうだかな……じゃあな」
すれ違うように部屋を出ていった牛尾が、何も持っていないジャックの手を見た気がした。そして身ひとつで風馬の病室を訪れた自分を、ジャックは心の底から悔しく思い、ぎゅっと拳を握りしめたのであった。
……と、そんなことがあったため、はじめて『お見舞いには何か差し入れを持っていくものだ』という世間一般の常識を知ったジャック・アトラスは、果物屋の前で立ち往生していたのである。
ここ数日仕事に精を出していたのも、すべてはこの購入資金を稼ぐためである。他人に贈るものを、他人から借りた金で購入するということは気に入らなかった。自分の金が必要だったからこそ、ジャックは日雇いの仕事を探したのである。―もうじき退院する風馬が、まだ病院にいるうちにどうしてもお見舞いを贈りたかった。
しかしジャックにはもうひとつ乗り越えなければならない試練があったのである。
『お見舞いには、何を贈ればいいのか』。
それがジャックには分からなかったのだ。サテライトで暮らしていたときにはお見舞いする相手など当然いなかったし(マーサハウスにいたときにマーサが体調を崩すことはあったが、あれは『お見舞い』ではなく『看病』である)、トップスで二年間生活していたことも同じくである。
ならばと自分が怪我をして入院していたことを思い出してみる。深影が甲斐甲斐しく世話をやいてくれたことくらいしか記憶にない。花や果物を持ってきてくれていたことは覚えている。その記憶を参考にしようとして、まず真っ先に『花はありえない』ということを決めた。入院していた際のジャックにとっては花の匂いはただ苛立ちを煽るものでしかなかったからだ。
そうすると少ない選択肢の中残るものは果物だけになってしまったのだが、それも『牛尾と被る』という点でベストな解答ではなかった。なかったのだが、悲しいかな、ジャックにはもうそれ以上引き出しがなかった。……そして結局、足を運んだのがこの果物屋なのだが。
ジャックにとってのシティの生活はキングであった二年間を過ごしたトップス―正確には、当時の治安維持局長官であったレクス・ゴドウィンの屋敷の中―での日常が基準となっている。あの屋敷の中では外に出ずとも欲しいものは何でも揃った。あらゆるものが機械化・自動化されていて、働く必要どころか考える必要もなかった。今となって思えば、それも自分を傀儡としていたゴドウィンの策略なのだろうが―。腕を組み、イライラとつま先をとんとん地面に叩きつけながらジャックは思案する。
「お客さん、どうしたんだい?」
人好きの良さそうな老婆が心配するように覗きこんでくる。ジャックの目の前にあるのは色とりどりの果物がきれいに陳列されている店先である。ジャックはこの果物屋の前に、かれこれ三十分は立ち尽くしていた。
決闘では決してこんな長考をしない(そもそも公式試合では一ターンに制限時間がある上、スピードの世界で長考は美しくない)ジャックだったが、こんなにも迷っている理由は『単に買い物をする経験が不足している』ということと、『他人とは違うことをしたい』という二点である。
「お友達のお見舞いなんだろう? だったらこれがいいよ?」
そう言って籠に入った果物の詰め合わせを老婆は差し出してくる。
「いいや、だめだ」
が、ジャックは首を横に振るばかりだ。
「お金が足りないのならまけとくよ」
「金は足りる!!」
ジャックは手のなかの封筒をぐしゃりと握りしめる。その中にはここ数日間、日雇いの仕事で稼いだ金が入っている。少々てこずりはしたが、見舞いの品を買うくらいならば十分な額を稼げた。
仕事を紹介してくれたカーリーに感謝しながらも、こういうとき、何を買えばいいのかも聞いておくべきだったかもしれないとジャックは思う。
―数日前、ジャックは病院に入院している風馬の元へお見舞いに行ったのである。
元々ジャックのせいで捜査を台無しにした上に怪我を負わせ、入院させてしまったようなものだ。しかし、風馬走一という名のセキュリティの男は、ジャックを恨むこともせず、病室を訪れる度に笑顔で迎えてくれた。
かつてデュエルギャングとしてサテライトで活動していた過去があるため、セキュリティの人間というだけでジャックは多少の苦手意識があったのだが、風馬を目の前にすると不思議とそんな感情はどこかへ消えてなくなってしまった。
デュエルチェイサーズの一員である彼は決闘にもDホイールにも詳しく、それくらいしか話題にできることのないジャックと話が良く合った。だから余計に居心地が良く、仕事のないジャックは頻繁に風馬の病室を訪れていたのだが―その日は先客がいた。
「なんだ、牛尾か」
「なんだとはなんだ。そういうジャック、おまえこそなんでここにいるんだよ」
ジャックより先に風馬の病室にいたのは、課長補佐にまで昇進した牛尾だった。
「見舞いに決まっているだろう!」
ジャックは得意げにふんぞり返る。
「お前さんそんなキャラだったか……? 風馬を困らせたりしてないだろうな」
眉を顰めて牛尾が渋い顔をするのに、
「いやいや、迷惑なんて全然してないぜ。いつも話し相手になってくれて、本当に感謝してる」
すかさず風馬がフォローを入れた。
「お前こそ仕事はどうした。また深影に怒鳴られるぞ」
「お前にだけは仕事と深影さんのことについて言われたくないが……部下の見舞いに行くのも仕事のうちなんだよ。ま、部下っていっても同期だけどな」
言いながら牛尾はテーブルに、彼にはとても似合わない、色とりどりの果物の詰まった籠を置いた。
「あんまいいもんじゃねぇが。皆からだ」
「おっ、うまそうだな。ありがとう。牛尾も食っていくか? ナイフあるし、剥くぜ?」
「いや、まだ仕事が残ってるんでな。これだけ渡して帰ろうと思ってたんだ。お前も元気そうだし」
「病気じゃないんだから当然だろ?」
「意識不明のうえあんなでかい手術したんだ、どっか悪くなってるんじゃねぇだろうなって心配するのも当然じゃねぇか。……ま、そういうことで俺は帰るわ。退院はもうそろそろなんだろ?」
「ああ。仕事に戻れるようになるにはもう少しかかるだろうけどな」
「だろうな……。あんまり無理するなよ。お前は昔から無茶ばっかりするんだからな」
「牛尾に言われたくないね」
風馬が意地悪そうに言うのに(そんな風馬の顔をジャックははじめて見た)、牛尾が「はっ」と笑顔を返す。そんなふたりのやりとりを、ジャックはただ個室の入り口で棒のように突っ立って見ていることしか出来なかったから、
「……おいジャック。あんま風馬に迷惑かけるんじゃねぇぞ」
牛尾に言われても、反応が遅れてしまう。
「……あ、ああ。当然だろう!」
「どうだかな……じゃあな」
すれ違うように部屋を出ていった牛尾が、何も持っていないジャックの手を見た気がした。そして身ひとつで風馬の病室を訪れた自分を、ジャックは心の底から悔しく思い、ぎゅっと拳を握りしめたのであった。
……と、そんなことがあったため、はじめて『お見舞いには何か差し入れを持っていくものだ』という世間一般の常識を知ったジャック・アトラスは、果物屋の前で立ち往生していたのである。
ここ数日仕事に精を出していたのも、すべてはこの購入資金を稼ぐためである。他人に贈るものを、他人から借りた金で購入するということは気に入らなかった。自分の金が必要だったからこそ、ジャックは日雇いの仕事を探したのである。―もうじき退院する風馬が、まだ病院にいるうちにどうしてもお見舞いを贈りたかった。
しかしジャックにはもうひとつ乗り越えなければならない試練があったのである。
『お見舞いには、何を贈ればいいのか』。
それがジャックには分からなかったのだ。サテライトで暮らしていたときにはお見舞いする相手など当然いなかったし(マーサハウスにいたときにマーサが体調を崩すことはあったが、あれは『お見舞い』ではなく『看病』である)、トップスで二年間生活していたことも同じくである。
ならばと自分が怪我をして入院していたことを思い出してみる。深影が甲斐甲斐しく世話をやいてくれたことくらいしか記憶にない。花や果物を持ってきてくれていたことは覚えている。その記憶を参考にしようとして、まず真っ先に『花はありえない』ということを決めた。入院していた際のジャックにとっては花の匂いはただ苛立ちを煽るものでしかなかったからだ。
そうすると少ない選択肢の中残るものは果物だけになってしまったのだが、それも『牛尾と被る』という点でベストな解答ではなかった。なかったのだが、悲しいかな、ジャックにはもうそれ以上引き出しがなかった。……そして結局、足を運んだのがこの果物屋なのだが。
作品名:【CM79新刊】お見舞いに行こう! 作家名:110-8