暗やみは何処
焔が舞い、火花が散る。
佐助はその様を、少しだけ眼元を緩めて見つめている。
槍頭で突き、斬り、柄で払い、石突きで叩き潰し、回転して跳ね飛ばし、と。
変幻自在に槍を操り、鍛練用の鎧をつけた案山子をいとも容易く破壊する。
幸村の鍛練風景だけは武田にいた頃と今――西軍の中で、わずかな時間を見つけて行う時に変わりはない。佐助は久々に主が自分のためだけに槍を振るう時間を持てたことを密かに喜び、その姿を隣接する屋根の上から眺めていた。声をかけてはいないが、幸村もまた、以前と同じく佐助が傍に控えていることを心得ているだろう。
通常、鍛練のためだけに槍を振るう場合、幸村が炎まで纏うことは少ない。槍術自体を磨くために極力焔を抑えて槍を操っている。
だが今、自身と同じく信玄を師と呼ぶ男に敗北を喫して以来、幸村の中で燻っている焔が、槍が振るわれるたびに我慢ならないとばかりに零れ落ちている。
華々しく焔が舞う。抑えきれない火花が散る。
幸村はそれを未熟として恥じるかもしれないが、佐助は主の放つ、潔い程美しい焔を見ることは嫌いではなかった。
出来ればもう少し眺めていたかったが、佐助にもまたやるべきことが山ほどある。頑張りなよ大将、と内心で呟いて、佐助はその場を離れようとした。
まさにその時、渾身の力を込めて大技を繰り出しながら、虎が吠えた。
「おおおッ―――斬滅斬滅、斬滅でござるあああ!!」
「ちょっと待って旦那ァ!?」
佐助も即座に叫び返した。
瞬きひとつのうちに己の傍へ舞い降りた忍を前にして、幸村は構えを解いてきょとんとした顔を向けた。
「どうした、佐助!鍛練中に声をかけるなど珍しいな」
この忍が声をかけるのは幸村の集中力が途切れた時や、あまりにも連続して鍛練を行った時など、止めるべきと判断した場合のみだ。例えば、幸村が集中を失い一瞬だけ我に返って息をついた瞬間に、横から「そろそろ腹ごしらえしない?」などと言って菓子と茶を用意していたりする男だ。つくづく本業とは関係ないあらゆる方向にまで気が回る出来た忍なのである。
その出来た忍が唐突に幸村の前に姿を現し、なぜか腕を組んでこちらを見据えている。
どうしたのかと問いかける主の様子を見つめた佐助は、その額から汗が伝い、頬はやや赤らみ、瞳には明るい光が宿っていることを間近に確認した。鍛練好きな幸村の高揚が伝わり、微笑ましくなるのを捩じ伏せて、佐助はあえて引き攣った笑みを形作る。
「い、……今の掛け声、一体どーうしたのかなぁー、旦那?」
ぱちくり。とわかりやすく瞬きをした幸村は、何を問われたか気付いた途端に喜色を浮かべた。
「おお!あれはな、三成殿の」
「やっぱりか畜生!」
Goddamn!と叫んで己の顔を覆った忍に、幸村はわけがわからないという顔で佐助?と名を呼んだ。自分の影の過剰反応の意味が、幸村にはさっぱり理解できない。
「あああもう!思わず独眼竜の使っちゃった最ッ低!もう!何でそうなったの旦那!?」
肩を揺さぶってきそうな勢いの忍を思わず避けながら、幸村はそれでも朗らかに答えた。
「戦場の三成殿は圧倒的である故、俺も負けてはいられまいと、」
「それでどうして口癖真似しちゃうのよ!」
「うむ。勢いをお借りできるだろうかとな」
あっけらかんと言い放つ主を前に、佐助は額を抑えた。深呼吸を三回繰り返す。それまでの呼称が以前のものに戻っていたことに気付き、どんだけ動揺してんの俺、と自分に突っ込みながらもこれは放置できない。
「あのね大将、……意味わかって使ってる?」
幸村はちょっと首を傾げたのちに、言った。
「気合気合、みたいなものだろうか?」
駄目だ、これは。佐助は匙を投げてしまいたくなった。何せ意味もわかっていないくせに、幸村は続けて、三成殿の扱われる言葉はどれも興味深い!と顔を輝かせながら言うのである。そりゃあんだけ芝居がかった台詞使わねえもん普通、と佐助などは白けてしまうのだが、それ以上口出しをすることが出来なかった。
見えない道にもがき、ふとした瞬間に影を背負う主を知っている。だからこそ、こんなに楽しげにしている幸村に水を差すなど、他ならぬ佐助自身が許せない。
だが、放っておいて主が斬滅殲滅燼滅でござる、あの日の某を射抜いて殺せ、などと言い出したら泣きたくなるほど厭だ。しかもそうなったら凶王も相当気まずいだろう。場合によっては激昂するかもしれない危険がある。
なので佐助は矛先を変えることにした。
佐助はその様を、少しだけ眼元を緩めて見つめている。
槍頭で突き、斬り、柄で払い、石突きで叩き潰し、回転して跳ね飛ばし、と。
変幻自在に槍を操り、鍛練用の鎧をつけた案山子をいとも容易く破壊する。
幸村の鍛練風景だけは武田にいた頃と今――西軍の中で、わずかな時間を見つけて行う時に変わりはない。佐助は久々に主が自分のためだけに槍を振るう時間を持てたことを密かに喜び、その姿を隣接する屋根の上から眺めていた。声をかけてはいないが、幸村もまた、以前と同じく佐助が傍に控えていることを心得ているだろう。
通常、鍛練のためだけに槍を振るう場合、幸村が炎まで纏うことは少ない。槍術自体を磨くために極力焔を抑えて槍を操っている。
だが今、自身と同じく信玄を師と呼ぶ男に敗北を喫して以来、幸村の中で燻っている焔が、槍が振るわれるたびに我慢ならないとばかりに零れ落ちている。
華々しく焔が舞う。抑えきれない火花が散る。
幸村はそれを未熟として恥じるかもしれないが、佐助は主の放つ、潔い程美しい焔を見ることは嫌いではなかった。
出来ればもう少し眺めていたかったが、佐助にもまたやるべきことが山ほどある。頑張りなよ大将、と内心で呟いて、佐助はその場を離れようとした。
まさにその時、渾身の力を込めて大技を繰り出しながら、虎が吠えた。
「おおおッ―――斬滅斬滅、斬滅でござるあああ!!」
「ちょっと待って旦那ァ!?」
佐助も即座に叫び返した。
瞬きひとつのうちに己の傍へ舞い降りた忍を前にして、幸村は構えを解いてきょとんとした顔を向けた。
「どうした、佐助!鍛練中に声をかけるなど珍しいな」
この忍が声をかけるのは幸村の集中力が途切れた時や、あまりにも連続して鍛練を行った時など、止めるべきと判断した場合のみだ。例えば、幸村が集中を失い一瞬だけ我に返って息をついた瞬間に、横から「そろそろ腹ごしらえしない?」などと言って菓子と茶を用意していたりする男だ。つくづく本業とは関係ないあらゆる方向にまで気が回る出来た忍なのである。
その出来た忍が唐突に幸村の前に姿を現し、なぜか腕を組んでこちらを見据えている。
どうしたのかと問いかける主の様子を見つめた佐助は、その額から汗が伝い、頬はやや赤らみ、瞳には明るい光が宿っていることを間近に確認した。鍛練好きな幸村の高揚が伝わり、微笑ましくなるのを捩じ伏せて、佐助はあえて引き攣った笑みを形作る。
「い、……今の掛け声、一体どーうしたのかなぁー、旦那?」
ぱちくり。とわかりやすく瞬きをした幸村は、何を問われたか気付いた途端に喜色を浮かべた。
「おお!あれはな、三成殿の」
「やっぱりか畜生!」
Goddamn!と叫んで己の顔を覆った忍に、幸村はわけがわからないという顔で佐助?と名を呼んだ。自分の影の過剰反応の意味が、幸村にはさっぱり理解できない。
「あああもう!思わず独眼竜の使っちゃった最ッ低!もう!何でそうなったの旦那!?」
肩を揺さぶってきそうな勢いの忍を思わず避けながら、幸村はそれでも朗らかに答えた。
「戦場の三成殿は圧倒的である故、俺も負けてはいられまいと、」
「それでどうして口癖真似しちゃうのよ!」
「うむ。勢いをお借りできるだろうかとな」
あっけらかんと言い放つ主を前に、佐助は額を抑えた。深呼吸を三回繰り返す。それまでの呼称が以前のものに戻っていたことに気付き、どんだけ動揺してんの俺、と自分に突っ込みながらもこれは放置できない。
「あのね大将、……意味わかって使ってる?」
幸村はちょっと首を傾げたのちに、言った。
「気合気合、みたいなものだろうか?」
駄目だ、これは。佐助は匙を投げてしまいたくなった。何せ意味もわかっていないくせに、幸村は続けて、三成殿の扱われる言葉はどれも興味深い!と顔を輝かせながら言うのである。そりゃあんだけ芝居がかった台詞使わねえもん普通、と佐助などは白けてしまうのだが、それ以上口出しをすることが出来なかった。
見えない道にもがき、ふとした瞬間に影を背負う主を知っている。だからこそ、こんなに楽しげにしている幸村に水を差すなど、他ならぬ佐助自身が許せない。
だが、放っておいて主が斬滅殲滅燼滅でござる、あの日の某を射抜いて殺せ、などと言い出したら泣きたくなるほど厭だ。しかもそうなったら凶王も相当気まずいだろう。場合によっては激昂するかもしれない危険がある。
なので佐助は矛先を変えることにした。