歓喜の歌は己が為に響かせる 後編
Ⅴ
放課後のオーケストラと合唱の合わせが終われば、それで俺も源田も帰れた。折角、鬼道さんの御好意で頂いたチケットなのだ……行かなければいけない。ロータリーまで一緒に歩きながら、当日について話し合う。
「日曜日か……。夜六時開演か。どうする?」
源田に尋ねられるが、俺だってどうするかわからない。
「どうするって……。都心まで出ないといけないし。」
俺が必死に頭を動かして考えていると、源田が口を出してきた。
「どこか、一緒に夕食食べてから行かないか?親がいないから食事もどこかで済ませないといけないんだ。」
「お手伝いさんとかいねぇの?」
「俺の家は普通の家だぞ。」
そうだ、源田は特待生で帝国学園に入ったのだ。開学以来、優秀な生徒を広く集め育てるために帝国学園には特待生制度がある。源田は、鬼道さんによれば影山総帥にキーパーとしての素質を認められて、特待生として入ったと聞いている。才能という奴なのだろう。あまり……才能というのは好きではないが。
「あ!でも佐久間が普段行くようなとこだと金が……。」
思わず鼻で笑ってしまう。
「俺もふつーのレストラン行くよ。ハンバーガーでも構わないし。」
……あれ、これじゃぁもう一緒に夕食を食べにいくような返事ではないか……。
結局、夕食も一緒に食べてから演奏会に行くことになった。夜六時なんて微妙な時間にするんじゃない。主催者を恨んだ。
会場の近くの駅で源田を待つ。思えば十二月、すっかり街の雰囲気はクリスマス一色である。無機質な帝国学園にいると季節感というものが薄くなる。古い時代から帝国学園はあるため、その時の建物や中庭も存在しており、そこには桜も植えてあれば金木犀や薔薇やらコスモスやら、園芸委員会が育てているという植物が群生していると聴くが滅多なことがなければ、生徒はそういう場所にはいかない。
こんな季節に、まさか男と、しかも源田と一緒に出歩くことになろうとは。ハァと吐いた息が白くのぼる。年末ということもある、心なしか人が通りに多いように感じた。
「佐久間!すまんっ。」
「遅い。」
ゼェゼェと息を吐きながら、源田は走ってここまで来たようだ。それに、遅いとは言ったが、待ち合わせの時間的にはまだ余裕がある。適当な時間に家から出たら、俺の方が早く着いてしまった。
「早くどっか店入ろうぜ。寒い。」
「そうだな!」
食べる店はとくに決めていなかったので、二人で通りを歩いてどこがいいか思案する。
「お前、いくらぐらいがいいの?」
「――千円以下なら。」
「なんだ、それだったら十分、いいの食えんじゃん。」
店は源田が「佐久間の好きなところでいい」と言ったので、その千円以下で食べれるところで、好きなところに入った。あの日はハンバーガーでも構わないとは言ったが、静かな場所の方がいい。母がよく利用している系列の店に入った。あの人はコーヒーと紅茶が好きな人だから、その手の店を探索するのが好きだった。店の内装はシックに纏められているし、照明も暗めだから高級感があるとまではいかないが、安っぽげな店装ではない。源田が不安げにキョロキョロするので、「しゃんとしろ」と言ってようやくその行動は収まった。
通されたのは個室で、扉はカーテンで仕切られている。もとい、個室しかない店なのだ。
メニューを見た源田は値段にホッとしている様子だった。
「こういう店、来ないのか?」
「あまり出歩かないからな……佐久間だってわかるだろ。」
「まぁ、そうだな。」
本来なら今日もサッカー部の練習があるのだ。しかし、鬼道さんが気を利かせて俺と源田は休日になった。俺としては、午前中部活でも全く構わなかったし、その方が……。
お互い頼むものを決めて注文してから、しばらく沈黙が続いた。もともと、そんなに話合う仲ではない。部活中は必要なことだけ喋れば済むから、とくに困ったことはなかったが、いざフォワードとキーパーが二人きりになっても、とくに話すことが見つからなかった。食事が思ったより早めに出されたので、これで気兼ねなくしゃべらずに済んだ。
食事を終えて、店に残ってもしゃべることもないのでさっさと精算して会場へ向かった。街の賑わいから離れた場所に会場があるためか、自然、人の流れと逆方向になる。源田が前を歩いているが、不安なのかチラチラとこちらをうかがってきた。
「何だよ。前だけ見てろ。」
「ん。」
短く返事だけ寄越して、それからはこちらを見ないようにしているようだったが、それでも頭が少しだけこちらに向いていた。
会場付近になると人の流れも落ち着き、逆に同じ方向に向かう人が多くなった。まだ開場前のため、並ぶ者もいれば席に座って待つものもいた。源田が一般列に紛れ込もうとしていたため、袖を引っ張って流れから出た。
「俺たちは貴賓席だから、こっちじゃない。」
「そうか……こういう席は初めてだから……。」
恥ずかしそうに笑う源田のフォローはせず、並んでいない方の受付に向かった。受付をしていたスタッフに二人分のチケットを渡し、奥にいたスタッフに案内される。
「こちらでございます。」
フロアを上がり、細い廊下には等間隔に扉があった。その途中の扉を開けられ、源田と二人で入ると舞台から見て左上にある個室のような席だった。扉は閉められ、イスに腰掛けた。
「……いつまで立ってる?」
「ああ、すまない。」
席から一般席と舞台をずっと見ていた源田は座ることも忘れていたらしい。
「こんなところ、初めてだ。」
「俺もこういう席は初めてだ。だけど、静かにするぐらいはわかるだろうな?」
とバカにすると、本当に源田は畏まって黙り込んだので思わずガクッとなった。
「今はいいよ。まだ開演まで三十分ある。」
「そ、そうか……なぁ、佐久間。訊いてもいいか?」
「何だよ。」
不機嫌そうな声を出したが、源田はおずおずと尋ねてきた。
「佐久間は、こういう演奏会聴きにきたことはあるのか?」
「なんだ、そんなことかよ。」
肩透かしな気分になった。
「まぁ……情操教育っての?教養のつもりもあるんだろうけど、一年に数回は。」
「そうか。ところで、今日やる曲は何なんだ?パンフレットだと、第九以外もあるみたいだが……。」
「そうだな。」
黙っているのが居た堪れないのか、源田はあれやこれやと質問してきた。おもしろいくらいに、源田は何も知らなかった。たとえば管弦楽と吹奏楽の違いとか……、字を書いて見てみれば一目瞭然じゃないか。
「でも、別にこんなこと知っても、そんなに役に立たないぞ。」
すると源田は照れたように笑う。
「少しでも佐久間に追いつきたいんだ。」
それは、どういう意味なのだろうか――尋ねる暇もなく、ベルが鳴り響き開演が告げられた。 第九は全部で四楽章ある内、合唱とソリストが参加するのは第四楽章の一つだけ。そのため、この演奏会では第九の前に一曲据えてそこで合唱も参加しているようだ。そりゃ、第九のその最後の楽章だけしか歌えないのでは、少し寂しい気もしてしまうだろう。晴れやかな歌声と流れるような音をつま弾くオーケストラ。加えてこの照明の暗さだ。寝てしまいたいが、源田のいる手前、易々とそんな無防備な恰好はできない。(先日の保健室でのことは除いておく)
作品名:歓喜の歌は己が為に響かせる 後編 作家名:さらんらっぷ