歓喜の歌は己が為に響かせる 後編
その一曲が終わると、合唱団はその場の席に座る。一度は退場した指揮者が再入場し、ソリストが四人入る。拍手と共に迎え、彼らも合唱団と同じように席に着く。指揮者が台にのぼり、タクトを握り構える。スッと、息がひっこめられる。
タクトが動き出すと、オーケストラの音が静かになり始めた。交響曲第九番第一楽章。音が刻まれ、少しずつ楽器が加わっていく。そして、衝撃的な音が空間一杯に響き渡る。それはまた一度、繰り返される。時代のターニングポイントに立ったと言えるこの曲は、堂々たる響きと至上の輝きを持っていた。
がしかし、俺はそこまで音楽に熱中しているわけではないから、本当に人並みの反応しかできない。巧いとか、解釈がどうこうとかが少しわかる程度で、教養にしか過ぎない。
全くオーケストラの演奏を聴いたことのないという源田は、まるでサッカーのときみたいに、厳かに鎮座している。俺は攻めるサッカーをする。だから、キーパーたる源田を試合中に見ることは恥としているが、練習となればそりゃ嫌でも源田を見ることはある。そのときの彼の気迫は本物だと思う。だが、別にこんなところまで真剣に聴かなくてもいいのに。源田は律儀な奴なのだろう。
だが、俺も鬼道さんからチケットを頂いた身なのだ。真剣に聴かねばなるまい。
全プログラムが終了し、会場を出る。
「俺、帰りは車なんだけど。お前は?」
「電車だ。じゃぁ、俺はここで。」
来るときの道を源田は駆け下り始める。もう夜だ、急いで帰らないと……。
「――源田!」
階段の上から源田を呼ぶと、源田は不思議そうな顔でこちらを見返した。帰りの客で階段は溢れているため、源田を邪魔そうに避けていく。
「送ってく。早く戻ってこい。」
「でも」
「ついでだ。ほら、早くしろよ。」
困ったような顔つきで流れに逆らい源田が駆け上がる。俺は源田がここに来るのを待たず、会場の後ろにある駐車場に向かって歩き始めた。
作品名:歓喜の歌は己が為に響かせる 後編 作家名:さらんらっぷ